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地御前史跡めぐり

10月23日の水曜日。

今日から1週間、広島の鉄道会社「広島電鉄」が、宮島線沿線の全21駅を44のプログラムを通して、沿線の魅力を再発見する1週間として、「みやじませんウィーク」というイベントを開催しています。

私の地元、地御前では、このイベントに乗っかって、小学生ガイドによる「地御前史跡めぐり」を開催。
呼びかけたときには申込者が2〜3名だったらしいけど、なんと今日は50人余りの参加者が!
昨日から降り続いた雨も朝には上がり、史跡めぐりが始まると太陽が照り始め、半袖でも暑いと感じるほど。

まずは市民センターで受付をすませ、講堂に集まり、5つのグループにわかれて、9つの史跡を回る説明を聞きました。
小学生は、6年生が2時間目と3時間目を使って、各史跡に立ち、回ってきた参加者にそこで史跡の説明をするという形でガイドをしてくれました。

9月の後半に、地域の郷土文化保存会の方から史跡について学び、学んだことを自分たちでまとめ、ガイドの原稿を作り、もう一度郷土文化保存会の方に作った原稿を見てもらって、OKをもらったものを参加者に説明する、という、学校と地域が一体になって、今回のイベントに取り組みました。
説明も、自分たちの「声」だけではなく、紙芝居を作ったり、パンフレットを作ったり、クイズにしてみたり、参加者が「ただ聞くだけ」ではなく、楽しんで参加できる工夫をしていました。
たくさん調べて、自分たちで学び、プレゼンも考えて、たった1ヶ月でこれだけの準備をすることは容易ではなかったはず。
この町に住んで9年、まだまだ知らないことがたくさんありました。


1.観音堂

広島新四国八十八ヶ所霊場です。
智秀山(ちしゅうざん)観音堂といわれ、平安時代に建立されたものだそうです。
智秀山は、観音山の奥側の山が血臭山といわれ、神仏の間で血を見る争い事は避けるため、血臭→智秀と改称されたとのこと。
本堂には十一面観音菩薩がまつられており、昭和56年に、小高い丘にあったものを、丘を切り崩して平地にし、今現在の地に安置された。

十一面観音菩薩
頭の上に10個の顔がある

2.西向寺

1597年(慶長2年)、現大野町の寺河内に建立。
1625年(寛永2年)智秀山西向寺(当時は真言宗か天台宗)
1684〜1687年 浄土真宗本願寺派に改宗。

西向寺本堂

境内には樹齢260〜340年の松があり、「雪が葉に積もり地面に雪が落ちない」ことから、天蓋松と呼ばれています。

天蓋松

小学生のパンフレットには浄土真宗について説明されています。

浄土真宗は日本で信者数が最も多い宗派で、鎌倉時代に親鸞が開いた仏教。東本願寺を本山とする「真宗大谷派」と龍谷山本願寺を本山とする「浄土真宗本願寺派」がある。
阿弥陀様の救いを信じれば誰でもできる「他力本願」という教えを説いている。
浄土真宗の紋「下り藤」は、明治31年本願寺第22宗主、鏡如上人は九條籌子(かずこ)さまとご結婚されました。その時籌子さまがご持参になった紋所が「下り藤」だった。
親鸞聖人は鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家。親鸞聖人と尊称され、鎌倉仏教の一つ、浄土真宗の宗祖とされる。
門徒の数は1,000万人以上とも言われている。

小学生のパンフレットより

そして、親鸞聖人の生涯についても調べて、法然上人とのであい、越後・関東での生活、京都での生活、と90歳までの生涯をパンフレットに記載してくれています。
パンフレットの最後のページには、浄土真宗の布教に携わった蓮如上人についての記述があります。
たくさん調べてくれたんですね。

3.正行寺

正行寺本堂 写真右中央に不動明王像

松見山正行寺。
元は天台宗、江戸時代に浄土真宗本願寺派に改宗。
現在の本堂は1862年に改築されています。
ここではお寺の「門」についての説明を受けました。
お寺の門を「山門」と呼ぶのは、お寺は元々山に建てられたことに由来するのだそうです。
「高野山」や「比叡山」などが有名ですね。
今では平地にある寺院でも、門は「山門」と言うそうです。また、山門は三門とも書かれるそうで、「三解脱門(さんげだつもん)の略で、悟りに至るための3つの要素を象徴しているのだそう。

不動明王像

本堂の不動明王像は、室町時代からのものだそうです。不動明王は大日如来の化身で、五大明王の中で最高と言われています。右目は天を、左目は地を見ていて「天地眼」と呼ばれています。
不動明王の怒り顔は、「怒りを持って煩悩を抱えた人たちを力ずくで救済しようとしているため」なんだそうです。

正行寺の本尊は阿弥陀如来で、「死者は死者となった時点ですべて仏になる」と言われる浄土真宗の教えは、この阿弥陀如来が極楽浄土から衆生を救済するとされることからきています。

4.小林千古の碑

「小林千古生誕之地」と記された石碑

小林千古(本名:小林花吉)は、地御前村出身の画家です。18歳のときにハワイを経由しサンフランシスコに渡り、その後カリフォルニアデザイン学校に入学、学内コンクールで最優秀賞を受賞した頃から「ばんこ」と号を称するようになりました。
1900年頃パリに渡り、ルーブル美術館で名画に触れ、黒田清輝や岡田三郎助らと親交します。1903年に帰国、1905年に上京し、白馬会創立10周年記念絵画展に、号を「千古(SENKO)」に変えて22点を出品、日本画壇へデビューしました。

この小林千古の碑は、地御前小学校の校庭の角、三叉路のところに建てられています。

5.大銀杏

地御前小学校の門を入って、左側の階段を登ると、そこには大きなイチョウの木。
高さ約15.5m、幹の周りの長さは3.18mで、廿日市市最大のイチョウの木なんだそうです。
3.18mというと、子どもが4人手を繋いで一周囲める長さですって。

地御前小学校の大イチョウの木

イチョウの木は、生きた化石と呼ばれるほど昔からあるそうで、イチョウの寿命は数百年から数千年。日本で最も古いイチョウは樹齢1,500年だそうです。
ちなみに、地御前小学校のイチョウの木は樹齢約850年とか。

ここではクイズがありました。
箱に3つの回答と紐があって、正解だと紐がスルッと抜ける、というもの。
第一問、嬉しげに小学生の前に行った私。
選んだ回答の紐を引っ張り、スルッと抜けたので小学生から拍手をもらいました。そして、プレゼントとして、イチョウの葉を押し花にした「しおり」をくれました。

第二問、第三門と、参加者は積極的に前に出て紐を引っ張り、小学校のイチョウの木のことを学ぶことができました。

6.盃状穴

盃状穴
たこ焼きの穴みたいな窪みが岩のあちこちにある

盃状穴は縄文時代から作られているそう。これは地御前小学校の校門から出て西側、大歳神社との間の道(ここも三叉路)の角に、石垣の一部として存在しています。
言われなきゃ気づかないし、説明文がなきゃ、意味あるものだとも思わなかった、私にとっては「ただの石垣」でした。

説明の際には、たこ焼きを模した「たこちゅ」「たこん」「たこやっき〜」の3キャラが、ユニークな語り口調で惹きこんでくれました。

この窪みは、子孫繁栄や死者の蘇生を願って掘られ信仰されてきたそうです。
ちなみに、パンフレットによると「学校の盃状穴は詳しいことは不明」だそうです。

7.釈迦堂

釈迦堂の如来座像
なんと290cmもあるんだそう

ここでは、紙芝居を用いて説明してくれました。
この釈迦如来像は、地御前の神宮寺というお寺にあったものが、地御前神社に移り、理由は定かではないが地御前神社から移動することになった際に、釈迦堂を建設し祀られたということです。

釈迦如来像は、神宮寺→地御前神社→地御前小学校敷地内→釈迦堂とお引越しをされたようです。

お釈迦さまの頭のぶつぶつ、あれ、何だと思います?
髪の毛を巻いたものだそうですが、知恵がいっぱい詰まっているのだそうです。
全部延ばすと44mと言ってました。

思い浮かんだのはパンチパーマ…
あのひと粒ひと粒に智恵がいっぱいになるのなら、私もパンチパーマにしてみたい、なーんて。

8.大歳神社

大歳神社

大歳神社は地御前の氏神さまです。いつ建立されたのかは不明だそうですが、地御前神社と変わらない歴史がある、とのこと。
大歳神社には、2つのしめ縄があり、1つ目は石鳥居をくぐり、石段を登ったところ、2つ目は大歳神社本殿にあります。これらのしめ縄は地域の方々の「手作り」だそうで、今年で5年目になるそうです。

ここでは、大歳神社の参拝の仕方を教えてくれました。
①石鳥居の前で一礼
②石段を登る
※このとき、「真ん中」を通るのではなく、「端」を通るのが正しい。真ん中は神さまが通るため。
③本殿のお参り 二礼二拍手一礼
④石段を降りて石鳥居の前でもう一度一礼

9.国道開鑿碑(こくどうかいさくひ)

国道開鑿碑

開鑿とは土地を切り開いて道路や運河などを通すことです。
国道開鑿碑は、地御前神社の東側にあります。
1874年に元安川から廿日市まで、廿日市から地御前まで、1880年に地御前から栄橋(大竹市)まで国道を作る工事が進み、その記念に建てられた石碑です。
この碑には「地平天成」と刻まれており、世の中が平穏で天地が治まるという意味が込められています。
石碑の後側には工事に携わった人、軍人の名前が刻まれています。510人もの人たちが無休で働いたんだそうです。

10.地御前神社

地御前神社

593年に造られた神社です。
厳島神社は、島全体が御神体で上陸することが許されなかったため、地御前神社が造られました。
1168年平清盛により、厳島神社と同様な存在に修造されました。明治の初めまでは、島にある神社を「内宮」、陸にある神社を「外宮」と呼び、地御前神社と呼ばれるようになったのはそれ以降だそうです。
1240年に木造の大鳥居が建立され、1801年に建て替えられました。
大鳥居の周りはイチョウの木が植えられていて、秋には沢山の銀杏の実が落ちています。
私は毎年ここの銀杏をバケツいっぱい拾って、強烈なニオイと闘いながらしごうして、大好きな銀杏をありがたく食しておりました。

地御前小学校6年生作成のパンフレット

小学生がくれたパンフレットはこんなにたくさん。
みんな、それぞれ工夫をこらしていて、後から見ても楽しめます。

みやじませんウィークのステッカーラリー
2つGET✨

このイベントで、ステッカーラリーの一番はじめと、下の右から3番目のステッカーをもらいました。

みやじませんウィークは、10月29日(水)まで。
他のステッカーを集められるかなぁ…

一部こちらもご参照ください。
地御前ものがたり



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