【9回目のラジオ】「3つの支え」
先日、9回目のラジオ収録を済ませてきました
私はいつもスクリプトを持っていくんですが
そのスクリプトに重大なミスが・・・
「初めての放送からもう2か月…」って言ってるんですけど
2か月ちゃうわ!9回目なら4カ月過ぎだわ
これ、修正するの忘れてたんです😓
ラジオを始めることになった時から
少しずつネタを作ってて何回目までか
ある程度出来上がってたんですよね
時々内容を変えてゲストさん迎えたりして
出来上がってたスクリプトを後回しにするから
こんな事故も怒っちゃうわけで
さて、今回お話しした内容は
エンドオブライフケア協会*の援助士養成基礎講座から
「3つの支え」について詳しくお話ししています
私は子どもの頃、ちょっと複雑な家庭環境で育って
「私なんて、おらんでもええんじゃない?」
って思うことが多くありました
誰も私のことを必要としとらんし、ここにおっても
おらんでも…いや寧ろおらんほうがみんな楽なんじゃない?
存在を否定する言葉を一緒に暮らす家族から言われ
自己否定、現実逃避の毎日でした
お人形遊びをしながら、そのお人形に自分の夢を重ね
「いつかこんな風になりたいな」と
幸せに暮らす自分を演じていました
おかげで独り言が多くなりましたね
3つの支えのうち、1つめの支えは「将来の夢」です
私が子どもの頃に抱いていた「いつかこんな風になりたい」
という、「将来の夢」
将来といっても、遠い先のことばかりではなくて
1カ月先、半年先という短いスパンでも
夢があればその夢に向かって何かに取り組む意欲が
湧いてきませんか?
私は「夢見る夢子ちゃん」なので、今なお夢を持ってます
そんな夢を描いている私を、傍で温かく見守ってくれる人がいます
何かにチャレンジしようとしたとき、背中を押してくれる人
失敗してため息をついていたら、勇気づけてくれる人
何かをやろうと企画したら、手を貸してくれる人
体調が悪くて臥せっていると、気遣ってくれる人
こんな風に、私にはそっと支えてくれる人がいるんです
2つめの支えは「支えとなる関係」です
先ほど、私を支えてくれる人のことを記しましたが
「支えとなる関係」は必ずしも「人」とは限りません
落ち込んでいるときに膝の上に乗ってくれる猫ちゃんや
傍に寄り添ってくれるワンちゃんかもしれないし
お話ししてくれる小鳥さんだったり
悲しい気持ちを一緒に洗い流してくれる雨だったり
雨上がりの虹だったり、推しのアイドルやタレントさん
あるいは静かに文字を書く書道の時間だったり
大好きな香りだったり、お茶を飲むことだったり…
「支えとなる関係」はその人個人個人によって
人であったり物であったり、形あるものやないもの
違ってくると思います
そして、自分がつらいとき、どんな風に過ごしたいですか?
何も手につかなくて、何もしたくないって思ってるのに
「何ぐずぐすしとるん。はよ、これやりんさい」
なんて言われたら…どんな気持ちになるでしょう
余計につらくなっちゃうし、「人の気持ちがわからない人」って
その人にレッテル貼りしちゃうかもしれないですね
つらいときに自分がどのように過ごしたいか、
自分で決めたいと思いませんか?
何をするか、どうしたいか
自分で選ぶことができたら、嬉しいと思いませんか?
3つめの支えは「選ぶことができる自由」です
この選ぶことができる自由っていうのは
「選べないと苦しいけど選べるとうれしい」っていうことです
例えば、自分が住む場所、安心できる環境だったり
自分の尊厳、夢や希望、おしゃれや体をきれいに保つこと
自分の役割、自分のことを委ねられる誰か、食べるもの
収入源(仕事)…いろいろありますね
自分のことは自分で選んで決められると嬉しいですよね
「そんなの、当たり前じゃん」って思うかもしれませんが
この当たり前のことが当たり前にできなくなる時ってあるんです
だから、苦しいんですよね
この選ぶことができる自由を9つの視点で考えてみます
どうすれば、穏やかに過ごすことができるのかな、という視点です
エンドオブライフケア協会*では、この視点を
「両親尊き保て役割委ねようかな」
この語呂合わせで憶えます
両親の「りょう」は「療養場所」
今あなたは、どこでどのように過ごしていますか?
そして今後はどのように暮らしていきたいですか?
人生何があるかわかりません
自分が過ごしたい場所は、その時々で変わるかもしれません
「自分はどこでどのように過ごしたい」そういうことを
常日頃から考えていると、いざというときにも出てくると思うし、
目の前の人の療養場所を、その視点で考えることができるかもしれません
両親の「しん」は「安心できる環境」
あなたの安心できる環境はどんな環境ですか?
過ごしたい場所と被っても大丈夫
それが安心できる環境、なんだから
HSPの私は大きな声、ガヤガヤしてるところはダメ
笑顔がない環境や、ヒソヒソ話がある環境もダメ
高圧的な態度をとる人がいたり
自分の正義を振りかざして、人を否定する人がいるとダメ
もう、安心なんかできやしない
「ここにいてもいい」と思える環境、大事ですね
尊きの「とうと」は「尊厳」
基本的人権の尊重、です
「自分が大切にされていること」これ、とても大事です
あなたが挨拶をしても誰も見向きもせず挨拶してくれなかったら?
あなたの持ち物を誰かに捨てられたり壊されたりしたら?
あなたの身体や心を誰かに傷つけられたら?
「私なんて、どうでもいいんだ…」自尊心を失ってしまいますよね
人は誰でも、人としての尊厳を守られなくてはなりません
尊厳が損なわれるということはとても苦しいことなんです
自分は大切にされたいけど他人は大切にしなくていい…いいですか?
それって他人が持っている「大切にされたい」気持ちを
無視していることになりますよね
みんなが笑顔になるためには自分も他人も尊厳が守られることが大切です
尊きの「き」は「希望」
「~したい」「~でありたい」
あなたにはどんな希望がありますか?
「おいしいものを食べたい」「おしゃれな服を買いたい」
「誰かの役に立ちたい」…いろいろな希望があると思います
今叶っていないことが希望として浮かんでくるかもしれませんね
保ては「保清」
身体をきれいに保つこと、です
健康な時にはあまり気にならないことだと思います
当たり前にお風呂に入ってきれいにできるから
でも、怪我をしてギプスを巻いていたりするとどうですか?
1人でお風呂に入るのが難しくなったり
ギプスを巻いているところは洗えないので、
だんだん気持ち悪くなったりしませんか?
当たり前にできていたことが当たり前にできなくなる…
苦しいですよね
当たり前にできていることって、本当はありがたいことですね
役割はそのまま「役割」
役割ってなんだろう?自分には役割ってないよ、って思いますか?
人は、人と関わりながら生きていますよね
そうすると何らかの役割って担っていると思うんです
赤ちゃんも「世話をされる」役割を持ってるし、
無垢な笑顔で「人を癒す」役割も持ってますね
家族の中の「父」「母」「兄」「姉」…そういった役割や
学校や会社での役割もありますよね
地域でも町内会、自治会の役割だったり役割はいろいろ
その、自分の役割が果たせなくなったときに
今まで時に意識していなかった自分の役割を改めて
意識するかもしれません
委ねようの「委ね」は「委ねる」
自分が途中までやりかけていることを、この先やり遂げることができない
そんな時、どのような状態であれば安心できるでしょう?
たとえば、仕事をしている人は
「ここまでやっているから、あとここからここまでやってもらえない?」
と誰かに頼めると助かりませんか?
「いいよ、やっとくよ」そう言ってもらえると安心できますね
委ねるというのは、自分の代わりに誰かに頼む、ということです
引き受けてもらえると安心して穏やかになれますね
委ねようの「よう」は「栄養」
動物は生きていくには栄養を取ることが欠かせませんね
健康な時には口からパクパク、何でも食べることができます
なので、普段はあまり気にかけることはないと思うんですが
歯医者さんで歯を抜いた時、痛くて食べられないことないですか?
お肉が食べたかったのに噛めないから柔らかいものにしようって
形態を変えたりしますよね
食べたいときに食べたいものをどうやって摂るか
食べることができなくなったときにどうやって栄養を摂るか
この手段も自分で選べたら納得いきますね
最後の「かな」は「お金」
生活していくにはお金は欠かせませんよね
家に住むにはローンの支払いや家賃があります
電気やガス、水道などのライフラインがないと不便ですし
でも、これにもお金はかかります
生活に必要なお金をどうするか?
健康な時にはしっかり働いて稼ぐことができますが
働けなくなったら収入源はどうしよう、という不安がでてきます
どんな社会資源があるか、どんな制度を利用できるか
ここに働きかけることで安心につながるなら
サポートする必要がありますね
苦しいときに見えてくる支え、支えには3つ
「将来の夢」「支えとなる関係」「選ぶことができる自由」
そして選ぶことができる自由は9つの視点で考えます
両親尊き保て役割委ねようかな
ぜひ、自分のこと、そして身近な家族のことから
この視点で「穏やかになれる」こと、考えてみてください
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