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認知症とガンと父

父が認知症と診断されたのは、5年位前
父が77~78歳くらいだったと思います

少しずつ物忘れがひどくなり
少しずつ記憶があいまいになり
少しずつできることが減っていきました

手先が器用で何でも作ってくれた父
物静かで決して感情をむき出しにせず、常に冷静沈着
ゆえに、何考えてるかわからない
そんな印象も子ども心にありました

現役を引退してからは、母と二人で
町内会や地域の老人会などの世話係
地域の子どもたちの登下校の見守り
シニアグランドゴルフのメンバーになるなど
地域とのつながりも大切にしてきました

そんな父が、母に頼まれた使いで家を出た後
目的地までなかなか辿りつけないということがありました
田舎へ帰る道で、車の運転が怪しく感じることがありました
気になった母が、祖母の介護の際にお世話になったケアマネさんに
相談したことで、父は検査を受け認知症と診断されました

認知症の進行を抑える薬を処方され
毎日内服し続けていきますが
今までできていた炊飯器の取り扱いができなくなり
物事を順序だてて考えることが難しくなりました

認知症は進行し、一人で判断することが難しくなったころ
2022年の3月に肺がんが見つかりました
認知能力は低下しているものの
父の体力は十分手術に耐えうると考えられ、
今後も変わらず過ごすために手術を受けることにしました

術後の経過は良好で、グランドゴルフに行ったり
公園の清掃活動を定期的に行ったり
認知症になってから行っているデイサービスへも
元気に行っていました

2023年の1月には、私たち夫婦と
夫の両親と私の両親とで1泊2日の旅行にも行きました

ところが、2023年3月の術後1年の検診で
ガンの再発がわかりました
その時の父に自覚症状はありません

主治医は父と母に抗がん剤治療の説明をし
治療日と入院日を決めて家に帰したそうです

母からその話を聞いて
「お父さんは治療についてなんて言ってるの?」
と、私は母に尋ねました

「お父さんは理解できんのじゃけ。何を聞いても覚えとらんし、わからんのじゃけ、先生が言うことに、『はい、はい』って聞くしかないよ。病気のことは私らはわからんし、先生にお任せするしかないんじゃけ。」
母がそういうので、私はとても違和感を感じました

「お父さんの命を、先生にお任せするの?抗がん剤を体に入れて、ガンと薬と闘うのはお父さんなのに、お父さんに、どうしたいか聞きもせず、お父さんの人生を他人の先生に決めてもらうの?なんか、違う気がする」
私は母にそう言いました

ACPって、聞いたことありますか?
人生会議って言ったら、「あ、それか」って思う人もいるでしょうか
アドバンス・ケア・プランニング、ですね
「人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合う取り組み」のことをいいます

私は、母にこのことを説明しました
父の人生のあらゆる決め事について、父の意思を確認せずに周りの人たちだけで決めてしまうのは、父の尊厳を無視したことになるんじゃないか
どんなに、父が自分の意思をうまく表現できなくなったとしても、「わからないから」と決めつけて、父の人生のことなのに、父の意思を確認しないのは、人道的にどうなんだろうか
今後、どうしたいか、どのように過ごしたいか、何かを選択しなければならない状況になった時は、その都度、本人が何を望んでいるか確認して、その望みをかなえるためにどんな手段があるかをみんなで話し合うことが大切なんじゃないか

その話を聞いて、母は
「そうよね。お父さんの気持ちを聞かんといけんよね」
と理解してくれて、主治医ともう一度話し合う機会を設けてもらいました

主治医と父と母、私、医療相談室担当者、看護師で、面談した結果
「ワシは入院はしとうない」という父の気持ちが聴けました
「通院での治療は受ける」という意思も確認できました
それから半年、ペメトレキセド単剤での治療を受けました
しかし、効果がいまひとつであったためニボルマブに変更になりました

すると、父のガン細胞は縮小して薬の効果があったと判断されました
それと並行して、父の身体には「副作用」の反応が出てきていました

はじめは、気にならなかった程度のものだったようです(母曰く)
けれど、日に日に身体を掻くようになり
次第に搔きむしってシャツやシーツに血が付くようになりました
見かねた母が、私に相談してきたので
・主治医に診てもらって、皮膚科に紹介してもらうこと
・抗がん剤の治療継続について、相談すること
この2点を早めに行動するよう伝えました

母はすぐに行動に移し、主治医から皮膚科への紹介状を受け取って
早速皮膚科医に父を診てもらったそうです
塗り薬をもらい、一時的に改善したと聞きましたが
先日、皮膚症状が悪化し、発熱もあったため入院となりました

母から、こんな話がありました
・毎月、抗がん剤を受けるときに診察があるが、主治医は父のほうを向くことなく、電子カルテ(パソコン)を見るだけで、抗がん剤の投与をすすめた
・予め副作用の説明はあったが、それならば診察のたびに副作用の確認をしてもいいのではないか
・抗がん剤をはじめて前の検査から半年になるので、こちらから主治医に「もう半年になりますが、CT撮らなくてもいいんですか?」と聞いたら、「あ、そうですね。CT撮りましょう」とまるで、投与期間を知らないかのようだった
・「副作用がしんどそうです」と相談したのに、「今の薬はよく効いているので、治療をやめることはできない」と言われた
・副作用を抑えるための薬について、「1回でも飲み忘れたら別の病気になります。自宅できちんと忘れずに飲ませることができますか。必ず、忘れずに飲ませられますか?」と言われたため、これ以上お父さんにつらい思いはさせたくないと思い、入院してもらった

私は、母の話を聴いて、胸が詰まる思いがしました
父は、何のために治療をしているんだろう…
肺がんの手術をして元気に毎日過ごしていたのに
自覚症状がないけど再発を指摘され、抗がん剤をするしかないと説明されて
入院しなくても治療ができるなら、と父は抗がん剤治療を選択したけど
その抗がん剤による副作用で、全身に皮膚症状がでて酷い痒みに悩まされ
掻きむしって全身血だらけになって夜も眠れない日があったそうです
それなのに、抗がん剤が効いているから治療はやめられない…

いま、父に必要なのは、本当に抗がん剤でしょうか?

今日、父に面会しに行きました
「お父さん」と呼びかけたため、娘だとは認識したようですが
私の名前を言うことができません
けれど、私の言葉かけには、笑顔で応じてくれていました

「お父さん、カイカイ(皮膚症状)はどんな?」
父は服をめくってお腹を見せて
「うん、まあ、ようなっとるよ」
父のお腹は真っ赤
だけど、掻きむしって瘡蓋になっていたところはもう見当たらない
「痒くてつらかったね、やれんかったね」そういうと
「まあのう、やれんかったよ」そう言いながら脇腹をポリポリ…
まだ痒みはつづいているようです

「今は、やれんことはない?」
「まあ、おりおうとるよ」
「おりおうとるんじゃね、よかった。お父さん、これ、飲む?」
私が差し出したヤクルトを飲み干して「うん、うまい」と笑顔を見せる父

「お父さん、またやれんようになったらどうする?」
父の思いを聞きたくて、そう問いかけてみました
「やれんようになったら揉めるよ」
父はそう答えました

来月、CTを撮って抗がん剤の効果を評価したら
すぐにまた抗がん剤を投与することになっているそうです

今は、痒みが落ち着いてきて穏やかさを取り戻していますが
副作用に苦しんでいても、抗がん剤の投与はするべきものなのでしょうか

優先すべきは、ガンの治療でしょうか…?

治療は何のためにするのでしょうか
今、優先しなくてはならない治療は何なのでしょうか

もっともっと、患者を、生活者としての患者を診てほしいです
QOLを下げてまでやらなきゃいけない治療って、何の意味がありますか?
父にも母にも、穏やかな日々を送ってほしいです
「お父さんと、これまで通り、グランドゴルフに行ったり、公園の掃除をしたり、今までと変わらん生活をしたい。」
そういう母の気持ちも大切にしたいです

これからの父と母の生活を考えた時
今後、どんな治療をどのようにすすめていくのか
主治医とも共有したいと思いました

いくつかの選択肢が出たらACPです
その人の「今の気持ち」を尊重したい、
それは看護師時代に私が一番大切にしたかったものです

父が、自分の気持ちをうまく表現できなくなっても
私は、「父だったらどうすると思うか」を家族と考えながら
父にとって最善のことを選択していきたいと思います








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