【神(髪)は、死んだ。】脱毛症になった話。その①
ある日のシャンプーから、抜け毛がすごい。
齢三十にして、ついに自分も薄毛が始まったか。
ハゲとは無縁の人生だったから、心穏やかじゃない。生え際を確認したが、後退した様子は無い。合わせ鏡を駆使したり、スマホを脳天にかざしてみたが、セルフで確かめるのは難しい。
放っておいたら到頭、抜け毛で排水口が詰まり出した。自分の体に起こる異変が、気味悪かった。
でも体調に問題はないし、そういう時期か何かだろう。犬猫だって、暑くなれば毛が生え替わる。
多発性脱毛症に気付いたのは、月に一度の美容室だった。まあ、仕方ない。誰だって、いつかはハゲる。長い付き合いになる美容師さんの、とても悲しそうな顔に、我に返った。
脳天に10センチ大のハゲ。
いやー、これは笑えない。
「ハゲちゃったかー笑」と、気丈に振る舞っても、肩は震えたし、油断したら泣きそうだった。
こういう時、恋人がいたら、ハゲは二人の愛の真価を問う重要なファクターとなり得るに違いない。
「発毛治療」で検索すると、テレビCMもやっている有名なクリニックにヒット。耳に残るCMメロディーが、今は、忌々しい。
穏やかな照明に、温かみある木目調の受付。待合室は仕切りで区切られており、患者同士、顔は見えない。なるほど。ここまでプライバシーへの配慮を要するとは、ハゲ問題も中々深刻である。
「あ、お客様。こんにちは。
本日は、頭髪治療でのご来院ですか?」
周囲に聞こえぬように声をこもらせつつも、はっきり、ゆっくりした優しい口調は、聖母マリアのそれだった。慈愛に満ちた受付女性の眼差しからは、「あなたの頭には決して視線を向けていません」という強い意識が感じられた。
この人は、数多の傷心したハゲを見てきたのだろう。その悲痛な叫びと向き合い続けて会得した、最強の接客だ。
不気味に静まりかえる院内。普通の病院の空気とは違う。ここにいるのは、さながら、終末医療患者だ。神(髪)は、死んだ。治療で戻るなら、この世に、ハゲはいない。たぶん、みんな、それをわかって来ている。
説明は簡潔に終わり、提示された金額は、年末の一番大きな賞与が吹き飛ぶ額だった。
「ローンも可能です!」
堂々とした説明は、大層なことだ。自社の治療に余程の自信があるのだろうか。…いやー、たぶん、そうじゃない。
ハゲは、藁にもすがりたいのだ。金なら、いくらでも、出す。本来、ビジネスとは、そういうもの。
財布と相談して、治療は諦めた。
都心まで来たし、折角なので、居酒屋ランチへ。ビールケースを椅子にした、大雑把だが清潔な店内。生け簀があって、煮魚を推している。煮魚は脂が旨くて、白飯が進んだ。
同い年くらいの可愛い店員さんが、自分の真後ろで、レジ点検を始めた。頭頂に、視線を感じた。一瞬で魚の味が消えて、鼓動が速くなった。あー、見ないでほしい。背中を丸めてうつむいたまま、飯を急いでかき込んだ。
→その②
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