多様性と無関心
最近の社会における大きなキーワードとして「多様性」という物が挙げられると思います。
ありきたりですが、私は多様性のある社会は膨大な現代のSNSから作り上げられたと感じます。
LGBTやマイノリティなど様々な特徴を受け入れ、それを侵害しない(してはいけない)ような倫理観の発達。
ハラスメントなど昔では当たり前のように行われていた、社会における人権侵害。
女性の社会進出。等々。
世界はいい方に向かっていってる。
反面私はSNSは情報の爆発のようにも感じています。
海外などで行われていた良い例を生活に取り入れる。
成功者が発信した情報を見て真似る。
様々な倫理観を持った人間が暮らしていることが当たり前で、皆違う人間。
こう言った情報を知りすぎて、価値観と知識量が比例しなくなってしまった結果、他人が違う事が当たり前になり、他人を深く理解しようとする人が減っているように感じます。これは日本的というのでしょうか。
傷つけられたくないから、傷つけない。
頑張りたくないから、頑張らせない。
怒られたくないから、怒らない。
こういうネガティブな気持ち発信の行動って実はみんな持ってると思うのですが、かくいう多様性にあてはめると
拒否されたくないから、肯定する
と、考えてしまうのです。
私にとって多様性は理解し難い事も、社会に無理やり説得されているようで窮屈に感じてしまうキーワードとなっています。
そうした否定を吐き出せない社会にいると、心を吐き出す事を忘れてしまい、誰かの心に触れる事も減っていって、臆病な人達が自分の心を隠したまま生きていく、そしてそれが当たり前の社会になってしまうんじゃないかと私は感じます。
そんな私も多様性という言葉で感覚が麻痺してしまった一人だと感じてるのです。
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