はじめてのnote
はじめまして、まっすーと申します。
失敗だらけの人生を送っていますが、それを世の中に発信することで1つのサンプルとして皆さんの人生に役に立てばと思い、noteを始めることにしました。
ブログを書いた経験もないので、文章力などは大目に見てもらえれば幸いですm(_ _)m
それでは早速、自己紹介がてら僕の人生をwikipedia風に振り返っていきたいと思います。
誕生〜幼稚園時代
2001年6月11日、広島県広島市内の産婦人科で生まれます。
梅雨時で、すごく雨が降っていた日だそうで…それから「雨男」と呼ばれるようになりました。
母親から聞いたのですが、とても大きく、お腹から出てくるまで時間がかかったそうです。
そしてその大きな身体と共に両親の愛を受けすくすく育った僕は、実家から程近い幼稚園に入園します。
入園式では大泣きしていたそうです。ビビりで緊張しいなのは当時から変わっていません。
園児生活は正直あまり記憶がないですが、3年間同じぽっちゃりした女の先生にお世話になったのと、リアルジャイアンみたいな子にいじめられていた記憶だけあります。
小学校入学〜低学年
幼稚園を無事卒園し、地元の小学校へと入学します。小学校の入学式でも泣いてたそうです。
幼稚園から一緒の子も多かったですが、友達がなかなか出来ず苦労していたみたいです。
当初は家の近い女の子と一緒に登下校していたようですが、徐々に孤立。
1学年上がかなり荒れていて、そういう不良の先輩に絡まれてしんどかったなぁ〜ってのはなんとなく覚えています。
全盛期到来、小学校高学年
小学3、4年生くらいの時だったでしょうか。
親の影響で野球を好きになったことで、友達が大幅に増えます。流石野球大国、日本。
そこから外で体を動かす機会が増加したことで激ヤセ。「あいつ誰だ?まっすー…?」と言う声も聞こえてきました。嬉しかったな。
元々背が高かったこともあり運動能力も向上、柔軟性はなかったので長座体前屈は苦手でしたが…50m走のタイムは学校で1番でした。
その脚力を活かし、運動会でアンカーを務めた姿を両親に見せられた瞬間は本当に誇らしかった。人生で1番楽しかった、まさに全盛期。
中学校入学、挫折
そんなこんなで小学校で人気者になった自分は、意気揚々に中学校へと入学していきました。
幼馴染の誘いでサッカー部へ入部。ただ、直ぐに伸びていた鼻っ柱はへし折られます。
隣町から大量の生徒がやってきます。自分より背の高い子、脚の速い子はざらにいて、早くも存在意義を見失います。
学校生活も最初はそばにいたはずの幼馴染は、すぐ隣町のアイツのもとへ…
人生で初めて学校に行くのが苦痛に感じ始め、毎日中学校が近づく度お腹が痛くなるそんな毎日。
そんなある日、担任の先生へSOSを出すも日常に変化はなく、ついに不登校になってしまいました。
不登校生活、恩師との出会い
「もうずっと寝ていたい。」そう思いながら、布団から抜け出すことも困難な状態が長く続きました。
担任の先生が定期的に家に訪ねてきますが、母親に対応を任せていました。
そして時が過ぎ、2年生になると母親が毎日しつこいくらいに言ってきたんです。
「新しい担任の先生、本当にいい人だから、1回顔くらい出してあげなさいよ」
あまりにしつこいので、そんなに言うなら…と重い腰を上げて玄関に顔を出すと、先生は涙ぐんでいました。
「なんで泣いてるんですか?」と聞くと、「君の今までの苦労を思うと…本当にありがとう」と感謝され、「この人にならついて行こう」と久しぶりに人に対して心が開けた瞬間でした。
その後、先生と話し合った末、修学旅行から学校に復帰することに決めました。
当時のクラスメイトも優しい子が多くて、本当に楽しい青春の思い出の1ページが出来ました。今でも12月になると当時のことを思い出します。もう10年経つのか…早いなぁ…
長いトンネルの入口へ
そんなこんなでそこそこ充実した学校生活を送っていた3月に先生と来年度に向けた面談をすることになりました。
「今の悩みは?」とか「体調はどう?」とかそんな話をして、「是非、来年度も担任よろしくお願いします!」と僕の方から頭を下げた。
ただ、現実はそう甘くなかった。
4月、新学期になりクラス発表です。
こんなワクワクする瞬間にまた戻ってこれたことが感慨深くて仕方なかった。
そんな中「おい、まっすー!1組だろ?同じクラスだな!!!」と親友が声をかけてくれ、自分もクラスの表を見に行くと、担任の欄には、そう…違う先生の名前があったのです…。
「先生、話が違うじゃないですか!」僕はその場を離れて、恩師(ここからはそう呼びます)のもとへ
「ごめんね、俺1人では決められないから…でも○○先生も良い先生だし、困ったらいつでも話聞くからね」
そう伝えられ、もう自分を納得させるしか無かった。納得いかないけど、納得するしかない。
クラスメイトは本当にいい子ばかりで、出席番号順の近くに仲のいい子が固まっていたのもあって当初は担任のことなんてどうでもよく、楽しい日々を送ってました。
ただ、中学3年生、やはり進路のこともあるので先生とコミュニケーションを取らなければなりません。
そこですれ違いが生まれます。「普通の高校に行くにはあと○日しか休むことは許されない」
楽しい時期でも毎日学校に行くのがやっとで、定期的に休みを入れていた僕にはその一言が大きなプレッシャーでした。
その日数が迫ったある日、「もういいや」プツンと気持ちが切れました。2度目の不登校生活へ突入。みんなが受験勉強に励む中、夏も秋も1日たりとも学校へは行かず。
かと言って勉強をするモチベーションもない。
「どうせそれだけ学力があっても、学校へ行けない価値のない人間なんだ」
そう思い悩む毎日でした。
流石にクラスメイトのみんなとの時間を過ごしたいと1月から徐々に登校し、私立高校の一般入試も受験しますが、内申点を理由に落とされ…
ついに迎えた卒業式、「まっすー、高校はどうするの?」そう聞かれてもはぐらかすことしかできなかったな。
ただただ、周りの大人への不信感を募らせ、受験しないことが抵抗だと思い、公立高校の入試も受けませんでした。
でも見かねた先生が「頼むから行ってくれ」と無理やり行きたくもない定時制高校へと入学します。
高校時代〜現在
受験で疲弊しきった僕は、当然ながら学校に通いません。
ただ、手続きがあり、どうしても親と学校に行かなければならない日がありました。
そこで偉い先生から「最大で8年在籍できるから、来なくてもいいからとりあえず籍を置いといてくれ」と言われて、来年度ちょうどその8年目になります。なので、今も一応僕は高校生。ということになります。
学校に行かない日も家で一日中暮らすのにも飽きて、親にお小遣いを貰い外に少しずつ出始めたある日のことでした。
電車に乗っていると「トイレに行きたい…」
途中下車し、用を足してまた乗車しますが、
「トイレに行きたい…漏らしたらどうしよう…」と不安に駆られます。
流石にこれは病気だ、と思い泌尿器科にかかりますが「緊張してるだけ」と言われます。
気づいたら症状は尿意だけに留まらずどんどん悪化、特に他人の目がある所だと何も出来ない身体になってしまいました。
そして親の勧めである心療内科にかかります、すると「パニック障害」と診断されました。
これがもう6、7年前のことなんですけど、今も通院しながら投薬治療を行ってます。
おかげでだいぶ落ち着いてはいますが、今でも不安はあります。
またこの病気との闘いについては後日noteにまとめたいと思ってます。
さいごに
本当に長々と語ってしまいましたが、僕の人生ざっくり言うとこんな感じです(ここまで3000文字)
締めくくりに、最初にも少し書きましたが、なぜnoteを始めたか少し説明させていただきますね。
このSNS時代、非常に沢山の情報が意識せずとも頭に入ってきます。
でもそれをどんどん頭から出して発信していかないと精神衛生上よろしくないなと。
で、現実世界に発信の場がなかなか見つけられない僕はnoteで長々と文章を書いてアウトプットしていこうと思った訳です。
今、辛い思いをしてる人とか色んな人が僕の人生を見て「こんなこともあるんだな」って少しでも思ってくれたらいいなと思ってます。
という訳で最後まで読んで頂きありがとうございましたm(_ _)m
また気が向いたら書きます!