日々のこと:「私の一体何がダメなの?」
「何がダメなの?出来てる…のでは?」
先日某心理検査を行っていた際、ふいに、自分自身で、自分のことを、自分がこれまで実施してきたことを、下の下ではなく、下の中~上と評価をすることができました。
嬉しくて、自分に申し訳なくて、涙しました(結局、泣くんかい)。
そんな日のお話・散文です。
あれも成し遂げられなかった、それも成し遂げられなかった。
あの計画も立てられなかった、その計画も立てられなかった。
あれも困難だった、それも困難だった、ああ、これも困難だった。
「ねえ、それ本当?」
確かに、当初の計画を変更して、成し遂げたことかもしれない。
立てた計画を見直して、修正・変更した計画で、物事を進めていたかもしれない。
それは、果たして、本当に困難なことだった?
それは、果たして、他の人も、経験しないようなことだった?
計画を見直して、修正・変更した計画で物事を進めることは、私だけがしていること(少数派であるのかもしれないが)?
「ねえ、私、本当にダメだった?何も出来ていなかった?」
確かに、上司の方が求める成果を、求めるスピードで出すことは出来なかったかもしれない。
確かに、計画を下方修正した上で、成し遂げたことかもしれない。
確かに、成し遂げられたことは、99%、上司の方のお力添え(アドバイスやサポート諸々)のおかげだと思う。
でも…。
「それが、たとえ1%であったとしても、私、出来ていたことあるのでは?」
9月からの復帰の可否について、主治医の先生に相談・決定するための基準(8月〇日までに、◎◎のような状態になっていること)は、勤務先からも、主治医の先生からも特段の提示がなかったので、厚生労働省からの情報を参考にして、複数の項目で構成した基準を自分で設定した。
最終目標の◎◎のような状態を目指し、2週間ごとの(大まかではあるが)中間目標も定めた。そして、自己評価した。
基準の日程は、これまでの経験で得た、上司の方の傾向(少なくとも1~2週間前には復帰の可否を伝えた方が良い)等を考慮した上で設定した。実際には、8月末ぎりぎりでも良いとは話があった。
9月からの復帰は難しいという旨の診断がおり、10月からの復帰を目指すことになった。その際には、9月の受診予定と、復帰の可否に関する基準(9月〇日までに、◎◎のような状態になっていること)について、主治医の先生に再度相談し、了解(?)を得た。
直近、上司の方へ電話連絡をした日は、10月の復帰を見据えた、業務調整にかかる相談や今後の受診予定を連絡したこともあり、通話時間は45分間。涙は出たけれど、ずっと涙が出ていた状態ではなかった。
忙しい中で、1時間に近い時間を割いていただき、上司の方には本当に感謝しています。
仕事のお休みをいただいてから、心身を休めながらも、少なからず、勤務先や上司のこと・好む(だろう)傾向を、これまでの経験から考慮して、行動計画を立て→行動→評価→計画見直し等をして、主治医の先生には、治療計画の提案・相談等を主体的にしてきた(つもり)。
「ねえ、出来てる。出来ていたことあるよ。」
主治医の先生に、復帰の可否に関する自作の基準と、その自己評価を見てもらった時、私は「まだ、出来ていないことが多い」という旨を伝えた。
事実、上司の方との電話連絡時には涙が出ていたりする。
でも、先生からは「出来てると思うけどな~。」と一言。
なんだか、既視感があった。
以前、上司の方に、自分の至らなさを謝罪した際、「え、そう?あおまるさん、ちゃんとやってると思うけどな~。」と一言いただいたことがあった。
私は、めっそうもないという体で、字面通りに受け取ることが出来なかった。
実際に、出来ていないことが多かったと思う。
実際に、上司の方の期待に応えることが出来ていなかったと思う。
自分は「もっと出来るやつだ」と考えて、自分を高く見積りすぎていたかもしれない。
実際に、出来ていたことは、1%でもあった。
これまで、出来ていない、99%だけに目が向いていた。
いやいや、それは、自己正当化や過大評価というものであって、実際に、私は、何も出来ていなくて、ダメなやつかもしれない。
いやいや、「自分はダメなやつ」アピール?って、誰得?
自分も、第二者、第三者にとっても、損なんじゃ?
百歩譲って、例えば「かわいそう」と同情されたとしたら、嬉しい?
まあ、もう、何はともあれ、一旦、おつかれさまでした。
おつかれさまでした、私。
本当におつかれさまでした。頑張ってきたね。
ここまで、よく頑張ってきた。
ありがとう。
ありがとうね。
自分のことを労わることが、認めることが出来たひと時だった。
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