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日々のこと:それは、自然なこと。

以下、自分自身への語りかけです。

復職をして、上司の方に、仕事の進捗等を話している(”理詰めされている”と、私にとって少し不快に感じる時間)。
考えが至らなかった点を指摘される。
その指摘に対する答えを、私は今、持ち合わせていない。
一言、「もう一度、その点を検討してから、ご相談させていただくことは可能でしょうか。」と相談してみたらどうだろう。
ああ、でも声が出てこない。
涙が、頬をつたう
それを見た上司が言う。「あおまるさん。体調が良くなるまで、しっかり休むように、決して無理しないようにと、休みに入る前に、私、伝えましたよね?復帰は、もう少し先にした方が良かったんじゃないですか?」
小さく、涙声で「はい。すみません。」と答えるしかない。
ああ、やっぱり、私は”出来ない”んだ。ダメなんだ。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
涙が、何度も何度も、流れてくる。



復帰をした後に、有り得そうなシチュエーションを(過去の経験をもとに)想像してみる。
まだ、最後は「あおまるが涙を流す」という展開ばかりが想像される。

不安や恐怖を感じること、それは、ごく自然なことで、誰しもが感じることがあることだと思う。

例えば、もしかすると、上司の方も、あおまるは復帰をして、仕事をしていけるのか、仕事をどの程度任せることが出来るのか等々、不安を抱かれているかもしれない。

不安や恐怖を感じること、私だけではない。


今、私は、ロールプレイゲームの中にいる(とする)。
「あおまるが涙を流さずに、上司の方に、物事を報告・相談等を実施する」ことが、ステージクリアの条件であれば、次のステージに進むために、挑戦する。
その挑戦が失敗したら、そのシーンの一歩手前に戻り、再挑戦の機会が与えられる(実世界では、再挑戦の機会が与えられないこともあるかもしれないが)。
私は、次のステージに進みたいという意欲がある。
そこで、選択肢を変えたり、あの手この手と新たな策を考えたりして、再挑戦する。

挑戦して、それが失敗して、また再挑戦する人は、私だけではないはず。
再挑戦して、それが失敗して、また再々挑戦する人は、私だけではないはず。


もう一度、想像してみよう。






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