息子のこと
1人息子は、私からみるとかなり個性的です。小学校高学年から事あるごとに担任や学校の先生たちとぶつかってきました。
それは高校を卒業するまで続きます。
ぶつかる理由は、学校でみんながする当たり前の事を息子がしない事、一言で言うとワガママな子というくくりです。日常の小さな事から行事などの大きな事も含まれ、ワガママで素直じゃないと言う理由で指導ばかりされてきました。
学校が職場の私は、息子が先生たちとぶつかるのが辛くて何とかトラブルを回避しようと躍起になっていました。そして、結果的に息子の事を後回しにして辛い自分の思いをいつも優先していたように思います。
スマホの着信画面に学校名が出るたび手が震え、謝る心の準備をしてから電話に出る日々。学校からの連絡は数え切れないほど…。
家では息子と怒鳴りあいのケンカばかり。初めは落ち着いて話を始めるもののお互いの考えがすれ違い最後はいつも大声でのケンカ別れ。
親子で傷つけあい、親なのに息子の気持ちを理解してあげる事ができない
自分の不甲斐なさに泣いてばかりの毎日でした。
息子はどんなに辛かっただろう…。「お母さん誰の味方なの?」とよく息子に言われました。
大人からは、ただのワガママにみえてもそこには、息子なりの考えや理由があってしていた事もあったのです。
学校にはそれが理解できなくても私は汲み取って理解してあげるべきだったのに…情けない事に全くそれができませんでした。
高2の冬、息子に突然「留学したいと思ってる。サッカーで奨学金もらうサッカー留学」と告げられました。
県外には出るだろうと覚悟はしていましたが、まさかの国外。
「よく考えたの?アメリカにサッカー留学?お母さん頭追いつかないよ」と否定的でした。
でも、息子は本気でした。留学に関する資料を大量に集め、考えに考えての決断だったのです。渋々納得した私ですが、息子には「お父さんの許可なしには無理だよ」と伝え、息子には直接主人に留学の件を話すようすすめました。
私には良くも悪くもズバズバ物を言う息子ですが、お父さんに対してはそうもいかず、結局主人に話しをするまで半月近くかかってしまいました。
絞り出すように主人に留学の話をする息子。
目を閉じてじっと話しを聞いていた主人は一言「頑張ってこい」と。
あっさりでした。
「人生一度しかないし、自分のやりたい事しっかり頑張りなさい。もう、これまでのようにお母さんも助けてあげられないよ。自分の行動に責任もって頑張れ」と。
あの時の心の底から嬉しそうな息子の顔が今でも忘れられません。
高校の卒業式に涙一つ出なかった私たち夫婦。不登校気味で出席日数もギリギリ。学校は休むけど外部で通っていたサッカーは1日も休まず頑張った高校生活。何度も呼び出しでくぐった学校の門ですが、卒業のために尽力して下さった先生たちもいらっしゃって…最後は感謝の気持ちしかありませんでした。
何よりも、「普通でいて欲しい」と必死でフタをして押さえつけようとした私や学校に、負けなかった息子が心の底から誇らしく晴天の青空のように晴れ晴れとした高校最後の日でした。
あの卒業式から1年が経とうとしています。
息子はアメリカのニューヨークにあるサッカー強豪校で毎日頑張っているようです。 故障してベンチスタートに言葉の壁、予想していた事から想定外の事までたくさんの問題にぶつかりながらもがいているようです。
日本を発つ前に息子に「どうして海外?」と聞いた時に「日本は住み辛いよ」と言った息子。沖縄にしか住んだ事ないのに?(笑)
息子らしく生きていけるならそこがどこでもいいのだと今なら思えます。
私たち親もこの円安の時代に留学させるには相当な覚悟をしました。
その姿を知ってるからこそ、息子もそれ以上の覚悟を持って旅立ちました。
サッカーの遠征以外ほぼ寮からでない生活を送っていますが、先日美術館に行ってきたと写真が送られてきました。ラッパーな感じのあの子が美術館‼︎
「お母さん、この人の絵好きだよね?」とゴッホの星月夜が。
息子の事を大切に思っているのにそれを上手く伝えられず、いつも寂しい思いをさせていた私。
ケンカのたびに小さなノートに息子に対する素直な思いを綴ってきました。こっそりスーツケースの中にそのノートを入れたのですが、泣かない息子がかすれた声で「ノートありがとう」と連絡をくれ、それからは一緒に暮らしていた時よりもはるかに多くのやり取りをしています。
noteを始めたのも、実は息子の事を記録しておきたいという思いからです。
再会の日までお母さんにできる事頑張るからね‼︎
長いお話にお付き合い下さってありがとうございました。