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ドーパミンの魔力
私がピアノを辞められなかったのはドーパミンの虜になっていたからだと思う。
*私は脳内物質の専門家でもなんでもなく、私の体感で脳内物質について語ってるだけなので、どうかご了承ください。
ピアノをやっていて一番ドーパミンが出ていた瞬間は、本番中でもレッスンでもなくて、本番を無事に終えた日の夜、安堵感に浸りながら「さて、次は何の曲を弾こうかな?」って考えている束の間のひとときだ。この時のワクワク感ったら何事にも変えがたい。
本番ではいろんなリスクが伴うからこそ、無事に終わったときの達成感と解放感は半端ない。ハイリスク、ハイリターン。ギャンブルやる人の脳内みたいなもんなのでは?と思う。本番を終えた夜はドーパミンドバドバで眠れなくなる。
でも、またすぐに練習ばかりの平凡な日常が始まるわけだ。毎日の練習では、イライラするし、追い込まれるし、心の中で「今すぐ逃げたい」ってなるんだけど(おそらく「闘争か逃走か」の精神状態)、強迫的に練習に駆られて本番を迎える。本番が終わるとドーパミンがドバドバ溢れ出て、病みつきになって辞められなくなってしまう。
日数にしてみると、一度の本番につき2日間程度の快楽のために、日々の練習の苦痛を我慢してしまえるほどなんだから、ドーパミン恐ろしやって思うわけである。 ドーパミンは期待物質というのも納得。
ピアノが単純に好きだっただけでなく、ピアノを通して得られる脳内物質に取り憑かれてたんだな。
他になんらかの脳内物質が溢れる状況としては、学科試験の終了10分前の追い込みや夏休みの宿題を配られた日(7月中に終わらせたいので)、何かの提出期限直前、ディズニーランドの前夜(眠れない)、良いアイディアがひらめいた時、休みの前夜など。ネガティブに追い込まれてるものもポジティブなものもあるな。 ピアノの本番直後の快楽には及ばないけど。
ちなみに、ADHDの人は生まれつき脳内のドーパミンが足りなくて、やる気が湧きくいらしい。モーツァルトはADHDだったから、自ら作った曲でドーパミンを補ってた説がある。だから人はモーツァルトの曲を聴くとドーパミンが出て、多幸感を得られるんだって。
確かに私もモーツァルトを練習するとハイになって眠れなくなるからドーパミン出てるんだけど、ドーパミン過多になるので疲れる。あと、イヤーワームになってエンドレスに頭からメロディが離れなくなる。私的にはモーツァルトの音楽はジャンキー。
逆にバッハを弾くと、メンタル安定してフラットな精神になるから助かる。バッハは私にとって瞑想のようなもの。
私の父は強くない地元Jリーグの熱狂的なサポーターで、よくもそんなに負けてばかりの試合を(時にイライラしながら)見に行くもんだな、テレビの方が良く見れるのに、とずっと思ってたけど、10年ぐらい前に一緒に試合観戦に行ってみたら、臨場感とともに高揚感があって、こういうことか!とわかった。(選手は米粒サイズでボールもよく見えなかったけど)
私は応援する側よりやる側の方がワクワクする質だけど、そこに集まってるサポーターの人たちはドーパミンの虜になってるんだと思う。
ドーパミンって耐性ができて慣れるらしいので、どんどん強い刺激を求めるようになって、依存症に繋がることがあるそう。ピアノで得られるドーパミンは無害なので、物質的に失ったものは何も無いんだけど、私はピアノのせいでどうやら強い刺激に慣れてしまったようだ。日常のちょっとやそっとのことではドーパミンが出ない脳になってしまった。
だから、なかなかやる気が出ない。身の回りの大抵のことに楽しさを感じない。無気力感につながりやすい。無趣味だし。
社会人になってから、小さな演奏会に出てちょこっと演奏したが、それはそれでなんか違った。自分の演奏に対して信頼できる評価を得られるわけでもないから、張り合いに欠けるというか。 ピアノ一本だった学生時代とは意識も違う。必死でやらないとやっぱりおもしろくない。
仕事を始めてからは仕事が日常で、仕事中にドーパミンが出ることはない。個人としての目に見える成果や節目などの区切りもない。アドレナリンとコルチゾールが出てる時はあると思う。
仕事ではミスしないように、やることを忘れないようにっていう緊張感はあるけど、あまりにもポンコツで低レベルすぎる目標という…
ミスしたらいけないけど、ミスしないのは当たり前のことで当然褒められるようなことじゃない。それはピアノに関しても同じだったけど。
いつも私はマイナスを0にするようなモチベーションでもがきながら生きていて、そこから抜け出せない。周りの景色を楽しむ余裕がない。それを人は不器用というのかもしれない。
どうやってドーパミンを出してモチベーションを維持しようか?と考えている。取りたい資格もあるのに、一人でモチベーションを保てない。
最近の仕事のモチベーションはコンビニで食べたいものを食べること。チープでインスタントな楽しみだけど、たまの大きな刺激よりも小さな楽しみがたくさんあった方が生きる糧になる。
あとは、もっとじっくりとしたアナログな楽しみもしたい。散歩するとか(でもめんどくささが上回る)。
唯一続いてるのが日記を記入すること。その日の出来事なんて一切書いてない。ひらめいたことや面白い考え、忘れたくないこと、見た夢、映画の感想などを、気の向いたときに好きなだけ乱雑に書いていて、かれこれ7年ぐらい続いている(定期的に断捨離している)。
話が逸れてしまった。
職種上、本当は私がドーパミンを刺激してあげる立場なんだろうな。それなのに、私は自分本位で自分のことで精いっぱい。いい大人なのに。
自分視点でしか考えられないし、自分を高めることにしかやりがいを見いだせないから、奉仕の精神もなければ利他的になれない。社会性に欠けてるってことなんだろうな。(それなのになぜか中学2年の通知表の人物評価に、「勤労・奉仕の精神」のところにだけ毎学期丸がついてた。未だ謎。先生に理由を聞いておけばよかった…)
認められたいって気持ちも無くはないし、悔しいと思えば原動力にもなるけど、自分のエゴ(?)のために仕事するのはなんか違う気がする。
日常的にドーパミンに頼って仕事してたら、 脳と精神が蝕まれそうなので、ドーパミン的刺激を求めるよりも、フラットな精神で安定して過ごしたい。
とりあえず、手軽に家でできることとして、瞑想を寝る前10分間でもしようかな。