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【エッセイ】蛙鳴雀躁 No.45

 家賃のいらない三ノ宮の教室をはじめて間もない頃だった。
 黒縁の眼鏡に黒いコートにブーツ。コートを脱いでも黒一色。教室にやってきた彼女の第一印象は、暗いというか、地味。ファッションに無知な私は、ブランド物のバッグを所持していてもわからない。見る人が見れば、彼女のセンスのよさに気づいたと思う。いまにして思うと、当時流行していたコムデギャルソンだったのかもしれない。

「書きたい」と言うだけで、押し黙っている。で、突然、涙をこぼす。ええっ! とこっちはド肝を抜かれる。ワケがワカラン。彼女は涙をぬぐいながら苦しい胸のうちを明かす。
 夫との関係がうまくいかない。でも、そのことは書きたくない。習うときは、グループはいやなので一人がいいと無理難題。彼女一人のために、教室に来るのは面倒なので、私と同世代のオバサングループが終わった時間に来てもらうことにした。

 次にやってきたとき、帰りがけのオバサンの一人とすれ違った。

 その日、彼女が何を書いたのか、記憶にない。どうでもいいことしか書いてこなかったのだと思う。原稿用紙に書かれた文字は乱れがなく、達筆だった。几帳面な性格だとすぐに気づいた。

 その晩、オバサンから電話がかかった。
「あのひと、**さんやない?」
「そんな名前やったかな」
「テレビに出てたやないの」
「いつ?」
「何年か前になるけど、ニュース番組」
「なんか、悪いことしたん?」
「ちゃうよ。アナウンサー」

 もう大昔の話なので、ここに書いても問題ないと勝手に思っています。

 彼女に訊いた。アナウンサーだったのかと。幼稚園の先生だったと答える。――で、さらに尋ねると、「母が、勝手に、ミスユニバースに応募したんです」。

 その頃はまだ、ミスユニバースのコンテストがおおっぴらに催されていた。テレビ中継とかもあった。ぐちゃぐちゃ言う人が少なかったからなのか……。

 話が突然、それるが、宝塚音楽学校の募集要項から容姿端麗の受験資格が消える。
 なんでやねん。
 いままでも生徒さんは容姿端麗の方ばかりではなかった。個性的な顔立ちの女性が何人もいた。どちらかと言えば、そちらのほうが多数をしめていた。舞台は、カワイイとキレイだけでは成り立たないからだ。こんなささいなことにまで、目くじらをたてるヒトがいるのかと思うと、少数派の天然美人サンが気の毒になる。

 自分がブサイクだから、美しい人が許せないのか!?

 話をもとにもどすと、彼女は準ミスユニバースに選ばれたのち、アナウンサーの学校へ行き、オーディションに受かり、テレビでの仕事を三年間つとめ、疲れきってやめたと言う。退職記念に、ストップウォッチをもらい、「好きでも嫌いでもなかった」番組を担当しているディレクターと結婚したそうな。

 度の入っていない眼鏡を外すと、たしかに美人であった。長身であることは言うにおよばず、切れ長の目元、通った鼻筋、形のいい口元、胸もしっかり前に出ている。愛敬のある顔立ちではないが、頬のラインがシャープで美しい。むろん、スベスベつるりんのお肌である。
 独学でイタリヤ語を学び、短期留学し、イタリヤ人と話せる。版画を習い、バレエは子供の頃から習っていて、いまも体型をたもつために続けているという。まさに才色兼備。ありあまる才能の使い道に困っているように見えた。

 ワンコを五匹飼っても、虚しさが埋まらないと言う。もらった年賀状はワンコの写真。

 のちにご主人にも会ったが、長身のイケメンであった。

 何が気にいらんねんと、大方のヒトは思う。実家も裕福なので、彼女個人の通帳に二千万あると言う。この時はおどろかなかった。

 最初に登場した絶世の美女は、「へそくりがたった三千万しかない」と真顔で嘆いた。
 そもそもへそくりなるものがない私は、このとき、口から心臓が飛び出すのではないかと思うほど仰天した。

 たったの三千万!!

 百万円の札束が三十個。持ち運ぶだけでもひと苦労する。彼女の実家も屈指の資産家であった。結婚するときにお父さまから頂いたのだそうだ。そういうヒトたちにとって、一千万単位の金額は、資産とは呼べないらしい。

 別の惑星に住んでいるような二人だったけれど、当時は、満ち足りていない気配が色濃く感じられた。
 誰もが、羨む環境にあっても、幸せを感じるとは限らない。

 美貌や才能や金銭が、幸福観とかならずしも共存しないのだと、この頃、はじめて知った。

 世間は広い。

 おそらく二人とも、自由に生きたいと願っていたのではないか。結婚という枠組みに縛られない生き方をしたかったのだ。夫婦別姓問題もその流れなのだろう。
 誰かの妻であるよりも、個人で生きる方法を心の中で模索していたのではないか。しかし、その決心がつかない。で、文章教室をのぞいてみる。自分の心の声が聞きたかったにちがいない。

 ところが、教えているオバハンは、文章論をふりかざし、句読点の位置や、段落の取り方やらに固執し、彼女たちの相談相手にはならん。いつもアホな無駄話ばかりする。
 要するに、彼女たちの悩みに関心がない。

 別れたいのに、別れられない。

 くっつきたいのに、くっつけないのと同じくらいむずかしいらしい。その後、舞台に立ったり、ラジオ番組を担当したり、大学で教えたりと、いろいろ活動していた。そのつど連絡がきた。舞台を見に行き、版画の個展に行き、イタリヤ料理のレストランで食事をし、長話をしたりした。
 美貌は衰えなかった。

 二年くらい前に、モデル業の傍ら、シャンソン歌手となった彼女の出演する店をのぞいた。身体にぴったり添い、肩の露出した赤いロングドレスで、「ろくでなし」を歌った。東京まで通い、鳳蘭さんに習ったという。しっとりした歌より、歯切れのいい歌が声質に合っていた。
 ちなみに八頭身美人の彼女も元ヅカオタでした。誘われて、往年のスター、汀夏子さんのコンサートにも一緒に出かけた。イケメン男性は習いに来なかったが、美女は、なぜか、やってきた。

 時は取り戻せないが、思い出は去らない。

 阪急電車の吊り広告で、どこかで見た美人だと思ったら、彼女だったこともあった。


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