【中篇小説】ザッツ・ライフ
あらすじ
平成五年(1993年)、十一月末日。継母のヨシコが吹き抜けで首を吊っていた。発見者は血のつながらない娘のアサミ。父親のミノルに報せるが、とぼけた返事が返ってくる。通夜に集まった継母の実妹のトモエと従兄のノブヤ以外の親族一同は、涙より笑い声がたえない。トモエは怒り、ヨシコの自死は父娘のせいだと責める。アサミは自殺の原因に心当たりがあった。
1 午前七時半
グゥェッとさけんで、アサミは尻もちをついた。継母のヨシコが細長い白い布を床までをたらし、吹き抜けにぶらさがっていた。
とうとう……。
アサミは一旦、立ち上がったが、すぐに二度目の尻もちをついた。壁に囲まれた中廊下を萎えた足と尻でにじり進んだ。情けないが、足腰が立たない。
眼球が反転する。
とんでもない事態の真下にいると思うと、飴色の廊下が地震でも起きたようにグラグラゆれる。
救急車を呼ばんと……。
茶の間まで両手と膝がしらで這った。
受話器をとり、ダブって見えるボタンを震える指で押した。
「し――死んでるみたいです」
「住所と名前を言ってください」
「しょ、しょ、商店街のォ」声が裏返る。「に、に、二本目の筋を右へ――」
「住所と名前と電話番号」
119番は勘がわるかった。
アサミは受話器を叩きつけた。
何か、別の方法があるはずだ。
首だけ廊下に出すと、ヨシコの膝から下が見える。
二階の自分の部屋に行くには、仁王像のような巨体の横をすり抜けなくてはならない。
第一波の衝撃が去ると、こんどは腹がたってきた。
なんの恨みがあって……なんぼなんでも。
クソッタレのデブ女めと口の中でののしり、立ち上がる。こぶしをつくり、目にもの見したると足腰にカツを入れる。
廊下に出る。
風もないのに、ヨシコは揺れているように見える。目を上げると、素麺のような細長い布がヨシコの頭の上に見える。
「ナめんなよ!」と叫び、くの字型の階段を駆け上がった。
体当たりで自分の部屋に飛びこむと、部屋の中が嘘のように片づいていた。
だれの仕業だろう。犯人は母親気取りのヨシコしかいない……。
最期の嫌がらせなのか?
アサミは生理前のイライラもかさなって、今にも爆発しそうな短い前髪を何度もかきむしった。
階段を上り下りするたびに、宙ぶらりんのヨシコに悩まされる。
ナニ、さらすねん!
どうやって、首を吊ったのか。首に紐を巻き、手すりを跨いで飛び降りたのだろう。あの体重でそんな器用なマネができるのか?!
踊り場と自分の部屋を、アサミは数回往復した。ナニをどうすべきか。
こんな死に方だけはすまい、ということだけはわかる。
第二波の衝撃は、白い布と見えた紐が包帯だったことだ。
包帯で首が吊れるのか!
踊り場の手すりにゆわえた結び目は、鉄の鎖のように固かった。
アサミの軟弱な手と指で、どうにかなるしろものではない。
結び目を解くこともだが、紐にぶらさがった八○㎏の重みを引き上げる作業となると怪力といわないまでもかなりのパワーが要る。
アカン、どうにもならん。
思い切って手すりから身を乗り出した。包帯の行方が目に入った。
シースルーのネグリジェを着た小錦(こにしき)が宙にだだよっている。
ちゃうな。フランケンシュタインに似てる。
ヨシコの首は顎ごとそり返り、半開きの両目は白目をむいてアサミを睨んでいる。
足の裏がジンジン鳴る。
アサミは部屋にとってかえすと、化粧用の剃刀を探し出した。
踊り場に出ると、こんどは奥歯が鳴った。
深呼吸をし、結び目の下を、前髪を削ぐように少しずつ切り刻んだ。
ドーンという大音響とともに巨体は落下した。床板が抜け落ちたかと錯覚する振動が、古びた家をゆるがした。
アサミは瞬間、隣家の口やかましい女に気づかれたら面倒なことになると思った。
日頃、付き合いはないが、異変が起きたときにかぎって、しゃしゃり出てくるオバハンなのだ。
アサミは足音を忍ばせて、階段下に降りようとしたが、途中で足を滑らせた。
またもや、大音響。
尻の骨をしたたか打ったアサミは万事休すだと思った。しばらく動かなかった。隣近所からは何も聞こえない。
三方向に伸びている廊下の真ん中に、ヨシコが大の字になって横たわっている。
卒倒しそうになったが、人工呼吸はどうかと頭にひらめいた。ヨシコとの不仲を噂する親戚の手前、手をつくしたという言い訳になるのではないか。
ムリムリ……。
黒い口が名刺判の大きさにパックリ開いていた。どうして黒いかと言うと、差し歯のせいだ。薄目で見ると、畳の縁のように見える。
身震いする。
突然――ヨシコの頼み事を思い出した。
「サッカーのくじ、買(こ)うてきてほしい。当たらへんけど、持ってるだけで生きてられるかもしれへん」
即座に断った。三月からはじまったJリーグになんの興味もない。
「どこで買うかも、しらん」と言うと、ヨシコは、哀しげな目つきになり、「そうか……かんにんな」と言った。
いつものヨシコなら、口が避けても謝ったりしない。
「あんたは冷たい」と、唇を尖らせて泣きだす。
あのときはもう、決心していたのか……。ジーンズのポケットに手を入れる。
ヨシコのひらいた手を見る。肉厚で赤い手のひらが色をなくしている。
廊下をジリジリと膝ですすむ。
腕を精一杯のばし、サッカーくじを手のひらにのせる。
膝がしらに急ブレーキがかかる。
ヨシコのふっくらした白い指がわずかに動いた気がしたのだ。
死体を残して後退り、ヒーフ、ヒーフと頭にむかって息をふきかけた。
墨汁を呑んだようなヨシコの口に自分の口を接(つ)けるくらいなら、自分が死体になったほうがマシだ。
息がきれるなァ、と独り言を言い、見た目よりもさらに太いヨシコの喉首に目の焦点を合わせた。
包帯が首輪のように巻きついている。
胃液が口中にあふれる。トイレに駆けこみ便器に頭をつっこんで吐いた。
なんとかしなくてはと思うのだが、なんともできない。
そうや!
アサミはこの時やっと、父のミノルを思い出した。ヨシコはミノルの妻なのだから、夫のミノルに至急知らせるべきなのだ。
アサミはジャングルにひそむ兵士のように腹ばいになって、トイレから這い出ると、廊下に横たわるヨシコの数歩前で立ち上がり、弾みをつけて死体を飛びこえた。
茶の間に駈けもどり、ミノルのいる事務所に電話を入れた。
「もうあかんみたい」
「なにがや」
「ヨシコさん」
「また、いつものアタマ痛か? 医者に診てもらうように言え」
「もう死んでるねんデ」
「死ぬ、死ぬ、言うて、死んだモンはおらん」
とミノルは言った。アサミもそう思い、タカをくくっていた。だから、自殺をほのめかすヨシコを一人にして出掛けた。で、ついつい遊びすぎて朝になってしまった。
帰ってみるとこのありさま、ヨシコはこの世の人ではなくなっていた。
「救急車がけェへんねん!」
アサミは電話口でミノルに訴えた。
ミノルは何を思ったか、
「霊柩車にしとけ」
と言った。
早トチリだし、思い違いも多いミノルだが本音でない冗談を発したことはなかった。身内でさえ、ミノルのこの性癖はなかなか理解しがたかった。
「首くくってる」
とアサミが言うと、
「首て、あのゴツイ首をか」
「うん」
「吊れるような紐はなかったはずなんやがな……」
ミノルのため息が聞こえた。
ヨシコがこの家に住みはじめて五年経つ。実母の顔を知らないアサミのために再婚したとミノルは伏し目がちに言った。アサミは信じていない。遊び半分で付き合い、いい加減な口約束をしているうちに押しかけられたにちがいない。アサミとひとまわりしかちがわない若い女と結婚して家庭が円満にいくと、ミノル自身、信じていなかったはずだ。
その証拠に――、
零細企業主のミノルはボロ車で帰ってきたが、死体の周りを遠巻きに足踏みしながら、
「なんでやねん」
を繰り返した。
土壇場で息を吹き返すかもしれないと思ったのか、表通りを騒がすサイレンが耳元に近づくと、
「水を飲ましたら、どうやッ」
ヤカンに水を入れてきた。
アサミはなんとか押しとどめた。
「もう、飲まれへん」
「死に水とか言うやないか」
ヤカンをぶらさげたミノルが右往左往しているところへ、警察と救急車と同時にやってきた。
警官はミノルとアサミに住所・氏名の確認をとると、後ろを向いて顎をしゃくった。
数人の救急隊員が座敷に踏みこみ、襖を開け放し、ヨシコを取りかこんで円陣をつくった。中の一人がヨシコの胸をはだけ、脇の下にとどくほどたるんだ乳房を押し上げ聴診器をあてがった。別の一人が、パックリ口を開けた顔面に耳を近づけた。白衣の隙間から二つの青白いゴムマリのような乳房が見え隠れした。
ふと、ヨシコが不妊治療を受けたがっていたことを思い出した。
「呼吸停止」
「瞳孔の反応なし」
「推定死亡時刻は、午前七時」
闖入者の入り乱れた声を聞きながら、アサミは不思議に思った。住所を言わなかったのに、どうしてここがわかったのか。逆探知機とかいう機械でわかったのか、などと考えていた。
「一応、近所の病院へ運びます」
いいですねと、警官はミノルに同意を求めた。
ミノルが半開きの口を閉じると、
「紐を切る以外に特に動かしたり、触ったりしたものがありましたか?」
アサミが首を横にふると、
「この場は、ここのままにしておいてください。それから、誰も立ち入らせないように」
ミノルは「はあ」と頷いたものの、ここにじっと立っていなければならないのかどうか、判断がつきかねる顔つきで警官に訊ねた。
「ヤカンが重うて……座ってもかまいませんか?」
「病院に同行されますか?」
「家で待ちます……腰がぬけて動けません」
警官はミノルの戸惑いがわかったのか、
「自分たちは外で待機しています」
と言った。
それは安心せよ、という意味なのか? 監視しているという警告なのか?
遺体は担架に乗せられ、運び出された。町内の救急病院でヨシコの死亡が確認されるまでの間、ただ待つしかないらしい。
アサミは台所につづく茶の間の椅子に腰掛けた。昔は、和卓だったのに、ヨシコが畳に絨毯を敷き、テーブルと椅子にかえた。
アサミの気に入らないことばかり、ヨシコはした。
ミノルは煙草をくわえると、床に腰をおろし、目の下をこすりながらポケットからライターを取り出した。
「おれな、夕べ、帰ってないんや」
とつぶやいた。そんなことは聞かなくてもわかっていた。だから、こういう異常事態を招いたのだ。
表で待機していた警官が、ミノルを呼びにきた。近所の所轄署まで同行してほしいと言った。ミノルはヤカンをアサミに手渡した。
独りでいると、切り離した包帯が目の前にチラついた。
2 午後七時
急の知らせを聞いて駆けつけた者たちで家の座敷は埋まった。
むかしから、知っている顔ばかりだったが、その中で比較的新しい顔が一人いた。
「姉さん……なんでこんなことに」
玄関に入るなり、上がりかまちに突っ伏して泣いたのはヨシコの実妹のトモエだった。
警察の事情聴取も、K医大での解剖も終わり、ヨシコの遺体は奥の間に安置されていた。
いつもは、奥歯に物がはさがった物言いをする女なのだが、今日はちがった。
十数人いる通夜の客を手当たり次第に押しのけ、転がるようにして遺体の枕もとに駆け寄り、顔をおおう白い布を剥ぎ取り、
「わたしの反対を押し切って一緒になって、これがその答えなん?
なんで、なんでよ。なんも答えてくれへんのよーッ!」
死んでるのに、答えられんやろとアサミは独りごちた。
「ホトケさんにならはったんや。もう責めるようなことは言いなさんな」と、ミノルの五歳年上の姉、アサミの伯母が言った。「好きにしはったんやさかいな」
「好きにできひんかったから、死んだんやないのォ!」
「ほんまになぁ。トモエさんのおつらい気持ち、ようようわかります」
お気の毒なことですと悔やみを言いがてら、今年、五○になる伯母は言った。
「今ごろ、三途の川のトバ口で、はやまったことしたと思てはるやろ。人騒がせなことや。いずれ、みんな逝くのやさかい、いそぐことあらへんのに」
トモエはヨシコの亡骸の上におおいかぶさると、声を放って泣いた。
「言いたいこともよう言わんと、胸に溜めこんでたから、食べて……食べて……それで肥ってしもて……昔は……こんなやなかったのにィ……」
「ヨメにきたときから、肥ってたよな」
誰かがぼそっと言った。
相づちを打つ者がいた。
「ほんま、ほんま。ミノルちゃんは、なんでか肉づきのええのにあたるなぁ。男と逃げた前のヨメハンも――」
何が可笑しいのか、ワッハッハと大笑いする者までいて四方が静まらない。
煙草の煙で蛍光灯の白い光がかすむ。
「姉さーん!」
トモエは負けてはならじ声をかぎりに叫んだが、それでは腹のムシが治まらなかったのか、持病のひきつけを起こした。
背が低く、お尻の大きい女が両手両足をまっすぐに硬直させ、口から泡をふき、ひっくり返ったのだ。
アサミは蛙の解剖実験を思い出した。
ミノルは目にするなり、ひたいに脂汗をうかべ、
「難儀やな」
と言ったきり、いなくなってしまった。
アサミは、一日のうちに二度も、白目の攻撃に遭ったことになる。
伯母は「草履をのしたらええ」とすすめたが、ひと様のアタマに履き物はのせられない。お節介な子供がいて、玄関からスリッパを持ってきた。
笑いの渦が紫煙にまみれる。
「お取り込み中なんなんですが、子供一同のお花はどうなさいます?」
脇から、葬儀屋がアサミにつめよる。
「子供いうても……あたしは義理の仲やし……やっぱり、子供なんかなぁ」
「オタクでよろしいねん。かましません」と葬儀屋は言った。「えーっと、これからの段取りはと――」
ヨシコの遺体がもどった直後にどこで聞きつけたのか、疾風のごとく現われた黒服の一団は、お葬式がセレモニーであることを否応なく知らしめた。
「霊柩車もなんとか、家の前に停まりますし――えーっと」
ご自宅でのご葬儀ということでと言って、名刺にそえてパンフレットを差し出した。
「父に言うてください」
「お父さんがおっしゃったんです。娘の言うとおりにしてほしい」と、葬儀屋は思案顔になり、「えーっと、他にも決めていただきことがありまして――」
自宅での葬儀と決まると、メガネの黒服は、唇の両端をさげて頷きつつ、パンフレットを指さした。
棺、戒名の値段にはじまり、花立て、樒の本数といったこまごましたことを短時間で決めなくてはならない。
どこに行ったかわからないミノルにかわって、アサミは葬儀屋の言いなりに首を縦にふった。
スリッパを頭に載せる寸前で、息を吹き返したトモエの視線がうっとおしい。考えこんで物惜しみすると、死者に祟られる気持ちになるから不可解だ。
メガネの黒服は察したように、生前の姿をビデオで流し(そんなコワイこと)、庭から白い鳩を飛ばし(黒いカラスならともかく)という提案を断ると仏壇のパンフレットを置いて帰る手際のよさだった。
皆が足のしびれを訴えはじめる頃――
「お寺さんが来はったで。紫のお座布はどこやのん。ないのか? なんもない家やな」
伯母までがアサミにせっついた。お茶を用意する合間にも、背中をチョコチョコ小突いては、
「お布施は用意してあんのか」
知ったこっちゃない、と言いたいのをじっと我慢していると、
「かんじんの、ミノルさんはどこやのん?」
読経がはじまっても、ミノルの姿が見当らない。
従姉の一人が心配し、
「思いつめはったんやろか」
とアサミに耳打ちした。
アサミは上へ下へとミノルを探した。どこにもいないとあわてふためいたところが、トイレの前にミノルのスリッパを見つけ、ほっと胸を撫で下ろし、
「お父ちゃん!」
「……」
なんの応答もない。もしや、とアサミは全身粟粒立ってトイレの戸をどんどん叩いた。
「リキんでる最中になんやねん!」
アサミは座敷にもどった。
「こんなときに、どういうつもりしてんのかしら!」
とトモエは目を吊りあげる。
「出物、腫物ところ嫌わず。言いまっしゃないか」
伯母が笑って言うと、またもや笑いの渦。子供たちまでが、焼香のおわらぬうちから祭壇のまえに飛び出して来る。奇声をあげて読経の邪魔をするが、それを叱る大人たちというのが義理にも一段とましな者たちとはいえない。
伯母の娘、アサミの従姉は、般若顔のトモエにむかって、
「オタクは神経症の一族なんやねぇ。うちの親戚にはそんな人、いてないから、びっくりしたわ」
新聞社に勤める彼女の夫は何を思ったのか、
「夕刊には間にあわんやろな」
「出ぇへんわよ。このくらいのことでは。一家心中でもせんことには――」
これやから、新聞社はテレビ局にお給料も負けるねんわ、いつになったら支局長になれんのかしらんと従姉は意味不明のことを言い、数珠を膝におくと、手近にあるお供え物の包み紙でツルを折りはじめた。よほど退屈しているのだろう。
「いまさら、千羽鶴折っても、間にあわんでな。ガハハハ」
と、大口を喉仏まで見せて笑う者などなど――。
ミノルの血縁にはコトあるごとにいちゃもんをつけるヘソ曲がりの者と、何事にも動じない剛の者と、剽軽を通り越し躁病の者とが入り混じり、寄り集まると騒がしいことこのうえない。黙っていることができない一族の血が災いして、誰もが退屈はしないかわりに一旦、揉め事がおきると収拾がつかなくなる。
通夜のこの日も、ミノルの甥にあたるノブヤが酔ったあげくに暴れだし、ひと悶着あった。ミノルのすぐ上の姉の母親は、遠方に住んでいるので明日の葬儀に来るらしい。父親を早くに亡くしているので、隣区の大学に通う彼はミノルを父親のように慕っていた。しかし、今夜は様子が尋常ではなかった。
「女はブタや!」
ノブヤはいきなり叫んで、プロレスごっこに夢中の子供たちをひっつかんで畳に投げつけたのだ。
一瞬、読経の声が途切れ、
「エヘン、エヘン」
とお寺さんは咳払いをしたが、ノブヤはじっとしている子供まで投げようとした。
「どないしてん」
と、ミノルがノブヤの頭を自分の脇に抱えて押えつけた。中腰になったノブヤは尻を突き出し、だだっ子のように腰をふる。周りの者もノブヤの服をつかんではなさなかった。
その場はなんとかおさまったかに見えたが、焼香の順番がまわってきたところでノブヤは突然、ミノルの背中につかみかかった。
「ミノルに恨みがあるんやったら、お葬式のあとで晴らしなはれ!」
と伯母が一喝した。
「恋の恨みやデ」
と揶揄する者もいたが、酒を浴びるように呑んで興奮したノブヤの耳にはとどかなかった。
涙と鼻水を垂れ流しわけのわからぬ悪口雑言を喚き散らし、だれにも捕り押えられない状態になった。
「女は腐った大根やッ、底無し沼やッ」
ノブヤは、焼香の盆にむかって足をあげようとした。アサミは咄嗟にノブヤの足の下の座布団をエイッと引っ張った。ノブヤはヒッという声とともに仰向けにのけぞった。
お寺さんは合掌して、お布施を押しいただくと、
「お取り込みのようで……」
と早々に切り上げた。すると、隣近所のオバサン連中が我先にと上がりこんできた。隣のオバハンも中にいた。
皆、祭壇のまえで哀しげな顔をして見せはしたが、事のなりゆきに何よりも興味があるように見受けられた。
「なんでねぇ、こんなことにねぇ」
「明るい方でしたのにねぇ」
「そうそ。人好きのするねぇ」
隣のオバハンはいちいち頷きながら、アサミに向き直り、
「第一発見者なんやてねぇ。なんか言うてくれたら、お手伝いしたのに」
と見透かすように言った。
「……」
アサミは返事をしなかった。その間も、ノブヤは細いあごの顔面から鼻水をたらしながらミノルを見据えていた。
アサミは雑巾にする一歩手前のタオルをノブヤの首にかけてやった。
「祭りやないんやし」
と伯母が言った。
「かまへん」
とミノルは間延びした声で、
「ま、一杯いこう」
と言ったのをしおに、ノブヤはタオルで顔を拭い、廊下へ出て行った。
「ええわねぇ。ヨシコさんは」
ツルを折っていた従姉が丸い顔をほころばして言った。
「最後の最後まで、みなに名残りを惜しんでもらいはって」
「こんな死に方する、いうことは、惜しんでもらいとうなかったのやないかしら」
トモエは切り口上に言った。
ミノルはアサミに言ってウィスキーの水割りを用意をさせた。
一息で飲み干し、ヨシコのすくない親族に頭を下げて回った。
両の目に涙をためながら、
「原因がわからんのです。自分にはもったいない女房でした」
と言っている。
原因は夫の浮気です、とアサミは喉まで出かかった言葉を呑みこんだ。
「義理の仲ほどアテにならんもんない、と姉からしょっ中きかされてました。死に水もろくにとってもらわんと――」
トモエは吐きすてた。
アサミはトモエをにらむと、
「言いがかりつける気ィやのん?」
と言い返した。
ミノルはアサミをふりむいて、首を横にふった。ミノルの目の色で言いたいことはわかった。何も言うな、と言っているのだ。
「お父ちゃんは、ヤカンの水を飲まそうとした!」
顔形が瓜二つの父娘のあいだで目立つ差異があったとすれば、この点だった。ミノルはアサミと違い、陰口をきかれながらも時に応じて周囲と折り合うことができた。涙を見せてトクをする場合は惜しみなく頬を濡らした。男泣きに泣き、しらじらしいことこのうえなかったが格好はついた。
アサミは嘘がつけない。
義理とはいえ、母親を尋常ではない死に方で喪ったのだから号泣してもおかしくない。泣きの涙で茫然自失。そのほうが親類へのウケもいい。ヨシコの身内の者も、自分の薄情は棚に上げて、心のどこかでアサミにそれを期待しているはずなのだ。
「あれではなぁ。死んでも死にきれんやろ」
「継母いじめ、されたそうですわ」
そうしたもろもろの声がアサミには聞こえてくるような気がした。
こんなカタキの取り方は許さん!
「ミノルさんにはわかってはるわね。わたしの言いたいこと」とトモエは声高に言った。「恐がって近寄りもせんとからに!」
ミノルは深々と頭をさげた。抗弁のしようがなかったのだ。アサミと二人して、死体にただの一度も手を触れなかった。
立入禁止の黄色いテープを用意した警官に指示されたからではない。アサミは不倶戴天の敵とはいわないまでも、不仲だった継母に対して、とってつけたような情愛を示せなかった。
ミノルも同じだったのか、解剖のおわったヨシコが大学病院から家に移送されたあともなかなか座敷に入ろうとしなかった。
ミノルとアサミは、互いに顔を見合わすばかりだった。手をつかねている父娘に呆れたのか、死に化粧も死に装束もミノルの伯母が先んじてやった。
紫斑を隠すために首に包帯が巻かれている。四角い白い布はどこにも見当らない。パカッと開いた口は葬儀屋が閉じたようだ。前歯が少し見えているので、微笑んでいるように見える。
ヨシコの安らいだ表情をはじめて見た。
トモエは遺体のそばから離れず、
「寝てた布団まで、気味わるがってベランダにほうり出すやなんて……」
布団にはなぜか、失禁のあとがあった。アサミはどうしても、たたんで押し入れに戻すことができなかった。
「お布団も含めて、姉のものは一切合財、わたしが形見分けにもらいます。うちの親が生きてたらきっとそう言うたと思いますから」
トモエの嫌味は果てしなくつづいた。アサミは、彼女の口尻にあるタテ皺がちぢんだり、のびたりするのをじっと見ていた。
ミノルは「何杯飲んでも酔わん」と涙声でいうと、座敷から廊下に出てアサミに手招きした。
「ちょっと出てくるわ」
と小声で言う。通夜の客でごった返していたので、かえって人に聞かれる心配はなかった。
「アホなこと言わんといてよ」
アサミが目を三角にすると、
「陰気臭いこと、たまらんねん」
ミノルはそう言って、頭をボリボリかいた。
「二階にあがってたらは?」
アサミが言うと、
「階段をようのぼらん」
「情けないこと言わんといてよ」
「そないいうけど、あっこにぶらさがってたと思うだけで足がすくまへんか?」
「心臓がでんぐり返ったわ」
「忘れてまえ」
とささやくミノルに、
「帰るデ」
と伯母が声をかけた。ほな、またあしたと誰かれなしに帰り支度をはじめたのは十時頃だった。ミノルはあいさつを返しながら、アサミに夕べの行動を問いただした。
アサミは生返事を返した。ほんとうのことをいえば、ミノルは卒倒するだろう。進学に失敗して以来、アサミは荒れていた。毎日、なんの目的もなしに日を送っていた。予備校に通う気もなく、働く気もなかった。空っぽの頭と心で遊び暮らすしかなかった。
線香の火を絶やさないようにと、伯母にくれぐれも言われたアサミは祭壇の前にすわると、モーニングカップで苦手なインスタントコーヒーを飲んだ。ひと口飲んで、灰皿に吐いた。ミノルは腹具合がわるいと言ってトイレに何度も行った。ヨシコの死で大腸に異変が生じたらしい。
もともとノミの心臓なのだ。
なぜか、帰ったはずのトモエが夜食を作るからと、台所で洗い物をはじめた。
アサミは舌打ちをした。あの女の顔も声も神経を逆撫でした。蹴り飛ばしてやりたい。
3 午前零時
さっきまでの、蜂の巣をつついたような騒がしさが嘘のようだった。
蝋燭の燃える音まで聞こえる。
アサミは寒気を感じた。ふと、猫が居なくなっていることに気づいた。廊下を通って、茶の間の向こうの小部屋をのぞいた。いつもは使っていない部屋なのだが、猫は人が大勢くるとここに逃げこむ。
ニャアと声がした。
猫の名を呼びながら、板戸を開けると、帰ったとものと思っていたノブヤがゴロ寝していた。
部屋中にアルコールの臭いが充満している。アサミはノブヤの目を覚まさないよう猫を抱きかかえた。猫にまで臭いがついているような気がした。
ノブヤが呻いた。肩ごしにふりむくと、「吐きそうや」と言う。アサミは、「勝手にどうぞ」と言った。
「洗面器たのむワ」
「トイレがあるやないの」
「冷たいなぁ」
ノブヤはそう言うとアサミの立っている場所に這ってきた。
「ぼくな、ほんまはな……」
ノブヤは何かいいたげに、アサミの足首にしがみついた。アサミは踏みつぶしてやろうかと思ったが、「邪魔になる」と言って、猫をノブヤの上に落とした。
ノブヤはワッと言って、身をちぢめた。
「怒ってるンか」
「なにを?」
「怒ってるンやろ、なッ」
「アホか、あんたは」
アサミは座敷に戻ると、コーヒーの中にウィスキーをそそいだ。不思議なことに、飲み易くなった。
ミノルはやつれた顔で入ってきた。
「飲まんとやってられん」
「お腹のクスリのんだらは?」
ミノルは一升ビンを手元に引き寄せた。
「義兄さん、電話」
トモエは冷ややかに言った。まだ、居残っていたのだ。ミノルは冷や酒の入った湯呑みを手に持ったまま立ちかけたが、
「これはいらんな」
アサミに照れ笑いを見せて、
「いまじぶん、だれやろな」
と言った。
「女の人からよ」
とトモエは言った。祭壇を見張るついでに、トモエはミノルの一挙手一投足に目を光らせている。
ミノルはそそくさと姿を消した。
「こんどのことで、少しはコタえて、まじめになるかしら」
トモエは声を落とし、
「アサミちゃんもそう思うから、義兄さんに新しい女のいてることをヨシコ姉さんに黙ってたの?」
アサミはトモエの、地肌が透けて見える薄い生え際をまじまじと見た。そうなのか、と納得した。この、でしゃばり女が言ってはならないことをヨシコにほのめかしたのだ。
アサミは黙って、座敷に散らばった湯呑みを片付けはじめた。
予感はあった。
食欲の旺盛な頃が嘘のような最近の芳江の暮らしぶりだった。人と話すこともだが、ヨシコは身を飾ることにも興味を失い、昼間から寝巻姿で家の中をうろつくようになった。
風呂にも入らず、髪は伸び放題。
アサミはそんなヨシコと顔を合わせることが苦痛だった。それを気取られまいとして無駄口はきかないようにしていた。
ミノルの怒鳴り声が聞こえた。
何事かと、アサミは立って行った。おにぎりを積み重ねたお盆を両手にかかえたトモエがミノルと向き合っていた。彼女は、アサミに言ったことと同じことをミノルにも口走ったようだ。
警察の取り調べて、ヨシコのベッドの下から多量の睡眠薬が見つかった。遺体解剖の結果、睡眠薬を服用したあと発作的に首をくくったということだった。失禁はそのせいだったらしい。
「四、六時中、監視せえいうのかッ」
「夫婦やないの」
「そこまで知るか」
「アサミちゃんのことやったら、ほっといたかしら」
ミノルはトモエをおいて、台所を出て行った。
「ちょっと、待ちなさいよ」
トモエはミノルの後を追った。
「もうええやろ。言いたいこというたんやから」
「姉さんは不妊治療をしたがってた」
「そんな金、どこにあるねん」
「お義兄さんは、子供が欲しなかったんや!」
ミノルは無言だった。
「お線香とお蝋燭はアサミちゃんと二人で、なんとかしてちょうだい!」
トモエの剣幕に辟易したアサミは、二階へ退散することにした。
茶の間にいたノブヤがついてきた。
物言いたげにしていたが、酔いの冷めた青白い顔で階段を見上げると口を閉ざした。
アサミはそ知らぬ顔で階段をのぼった。階段と踊り場に抵抗がないといえば嘘になる。
4 午前三時
剃刀を取り出したときに開けた机の抽斗を何げにのぞく。
メモ書きが入っていた。ヨシコの字だった。『人生なんてそんなものだ。心を震わせるようなものが何もなかったら、自分をくるくる巻き上げ、大きなボールにして、そのまま死んでやるのさ』
なんでやねん……。
アサミは毎夜のように、「That’s Life」をラジカセで聴く。深夜にミュージックビデオばかり流れるテレビ番組がある。毎週、録画する。気に入った曲をカセットテープに何回もダビングする。面倒だけれど、同じ曲を繰り返し聴く方法はそれしかなかった。
誰が歌っているのか、歌詞の意味も知らなかったが、タイトルの「That’s Life」の意味だけは、なんとなくわかった。
ヨシコは知っていたのだ、アサミが死にたいと思っていたことを。
ベッドに入ると、熱くなった頭の温度がすこしさがった。
うとうとまどろんだ。
喉がかわいて、目が覚めた。
そっと階段をおりた。
家中から物音が消えていた。夜明け前という時刻だった。
ミノルは柱にもたれ、トモエは座卓にうつ伏して、眠っていた。山盛りのおにぎりは、手つかずだった。
ノブヤ一人、祭壇の前で涙をぬぐっていた。
アサミに気づくと、
「ぼくがわるかってん」
と言う。ずっとむかし、まだ、一○歳かそこらの頃、三つ上の従兄のノブヤを好きだと思ったことがあった。そのことをアサミは思い出していた。
「ぼく、ぼく、ぼく……」
ノブヤは三度、ぼくといった。
アサミはシッと言った。指で、彼の口元を押さえた。
ノブヤの告白は聞かなくてもわかっていた。
今年の春先。
ノブヤが、家に泊まったことがあった。ミノルはいつものように留守にしていた。ヨシコはノブヤを相手に深夜まではしゃいでいた。
ノブヤが遊びにくると、ヨシコは機嫌がよかった。大学の近くに下宿しているノブヤに栄養をつけてやろうと、テーブルにならびきれないほどの料理をつくった。
ノブヤもまた胃袋が破れるのじゃないかと思うほど、よく食べた。
アサミはいつも食事の途中で自室に引き上げた。ヨシコがノブヤに話しかける鼻にかかった声が耳障りでならなかった。
赤川次郎の「迷子の花嫁」を読み終えたアサミはベランダに出た。取り入れるのを忘れていた洗濯物に手をのばした。
庭に張り出したベランダからガラス戸ごしの縁側が見えた。板と板の継目に白いものがゆらゆら揺れていた。
シーツがうねっているように見えた。
暗がりに目をこらすと、押し合い、つかみ合い、言い争っているようにも見えた。
二人が一体になったとき、頭の中に渦が巻いた。ノブヤの、半泣きの顔が浮かんで消えた。
一瞬、両眼がつぶれる気がした。
ベランダからベッドに、どうやってもどったか、記憶がない。
翌くる朝、アサミの起きる前に彼はいなくなっていた。それ以来、ノブヤは家へこなくなった。
ミノルは訝しんだが、アサミは何も言わなかった。
その頃から、ヨシコの「死にたい病」はひどくなった。ため息のついでに「首をくくる」といって脅す彼女に閉口したミノルとアサミは家中の紐という紐を処分した。
話せば、わかりあえたのか……。止められたのか……。
「長い一日やった」
ミノルがつぶやいた。
トモエとノブヤはたったいま、目覚めたように顔を上げた。
5 午前十時
神戸の秋空にはめずらしく、灰色のかすんだ空模様だった。
六甲おろしが身にしみて、肌寒く感じる。
アサミは喪服を着なかった。白衿のワンピースを着た。
「あんな格好をして」と陰口をきかれることはわかっていたが、気にとめなかった。
「はじまるぞ」
ミノルが奥から声をかけた。アサミは会葬者の間を縫い、前列に加わった。
「本日はご多忙にもかかわりませず、田島家のご葬儀にご参列くださり誠にありがとうございます」
葬儀屋の慇懃な声音がひびく。
「ご門主様のご入場でございます」
金銀綾錦の衣に身をつつんだ二人組のお坊さんがすり足で入ってきた。
抑揚のない読経が約十分。紫の座布団まで用意させたわりには短いお経で肩すかしをくった。
「あのヒト、誰?」
トモエはアサミにきいた。髪をひとまとめに結い上げた、スーツ姿の女が人待ち顔に受付のそばにたたずんでいた。
「いったい、誰やのん?」
トモエは言いつのる。女とミノルが、近所の寿司屋から出てくる場に偶然出くわしたことのあるアサミは女を見知っていたが、口をつぐんでいた。
「あんたら親子の、気がしれへんわ」
トモエは言い、女をジロジロ見た。不躾ともいえる視線に女は気づいたようだったが、女は表情を崩さなかった。
親族の席に座ると、枯れた声のひそひそ話が耳に流れこむ。
「若い頃からミノルはんは、ちいとも変わりまへんな」
親戚中の生き字引ともいうべき老婆が、家の子浪等ひきつれた老人と座敷の隅で話しはじめた。
「いっとうはじめの嫁さんに逃げられてすぐに、うちへ遊びにきて、わたいにアサミちゃんを抱かしといて、こんどは自分が逃げてしもたことがありましたやろ」
「ほやったかなァ。性根のないええかげんな男やさかいな」
「そうですがな、ほんでから――」
折れ釘のように腰を曲げた老人は耳に皺だらけの手をあてた。
「うちで養女にもらうことになって、わたいがアサミちゃんを連れて、若い女と暮らしてる家に尋(た)ンねていったら、ちいちゃいじぶんから、ろくにかもうてたわけでもないのに、ミノルさんいうたら、迷惑がる女をほっといて、アサミちゃんを抱いて離さしませんねん。自分で育てる言うてなぁ。いざとなったら、血ィいうたらキタないもんですな」
「その若い女が、首くくったヒトかいな」
「ちゃいますやん。そのあともとっかえひっかえ――けど、なんで
後添えなんぞもろたんやろなぁ。子供をつくる気もないのに」
ミノルは老婆の声が聞こえたのか、いないのか、「今朝また、ふっと気ィついたんやけどな。アサミ、おまえ、おとといの晩、どこへ行ってたんや」
「どこでもええやん」
「そういうわけにはいかん」
「あんたの子やねんで、あたしは」
ヨシコの棺に花が入れられると、女は開け放した玄関に立った。それに気づいたミノルは、女から見えない場所に後ずさった。女は庭に回ると、濡れ縁に膝をついて中をのぞいた。
アサミは笑ってしまった。
「アサミちゃん! おかあさんに、お別れしなさい」
トモエが例の恐い顔で言ったが、アサミは出棺のときになっても、ヨシコに近寄らなかった。近寄れなかったのだ。あの巨体が消え失せるなんて信じられなかった。アサミを圧しつづけたあの重しが――。
アサミは先頭の車にミノルと並んで乗りこんだ。
女がミノルに手を振った。ミノルは煙草を吸うふりをして、女に合図を送った。
今度は痩せ形の女を選んだらしい。
山間の火葬場には午後一時ごろ着いた。
ヨシコはパン焼き器に似た炉の中に消えた。いつか、自分もあの中で煎られる。煎られて、一生が終わる。そのとき、人生なんてそんなものだと思うのか……。
一旦、家にもどり、仕切りの襖を外し、親族一同で仕出し屋の料理を食べる。
アサミは吸い物の椀のふたを取りながら、
「ケーサツで何を訊かれたん?」
「生命保険を掛けてたかどうか、訊かれた」
とミノルは言った。
「どういうことなん」
アサミが問うと、
「サミしいな」
とミノルは言いつつ、涙をひと筋流し、
「けど、アサミに逝かれたこと思たらな……なんちゅうことないワ……何があっても、死んだらあかん」
あいつ、あー見えて、アサミのこと、心配してたデとミノルは言った。
「なんの話か、わからん」
目の下のマグロの刺身が、涙で滲んで形のないタタキに変わる。
第三波の衝撃だった。
了