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物語の作り方 No.3

3)記憶の掘り起こし

 私たちの思考は観察ののちに、推察し、洞察する経緯をたどると言われています。自分史にしろ、小説にしろ、独りよがりの主観をさけ、第三者的に記憶を「観察」することからはじめましょう。

 体験をもとにして書く場合、自分自身を題材とするのであれば、観察など必要ないと思いがちです。しかし、過去のあなたは、現在のあなたと、まず容姿が異なります。置かれている境遇も変化しています。接する人たちも違っているはずです。

 現在の自分と過去の自分とは、別の存在であると仮定すべきではないでしょうか?

 いま一度、過去の出来事を、他者の目で見直さなくてはなりません。この場合、観察の対象は、書き手の思考のうちにあるということができます。
 この「内在する思考」すなわち過去から現在に連なる「記憶」ですが、ここに物語の題材が眠っています。

 記憶を掘り起こすには、どうすればいいのか。

 記憶は曖昧です。小説や映画のように順序よく繋がっているわけではありません。ほとんどの人の記憶は、夢と似ていて断片的ではないでしょうか。
 記憶の断片を繋げるためには、「推察」が必要になります。自らが体験した出来事の記憶と記憶の隙間に何があったのかを想像してみます。手始めに、当時の自分を取り巻く人たちの行動を思い起こします。彼らはなぜ、そのような行動をとったのかを推理します。名探偵の気分になって思い返してください。

 記憶と記憶を繋ぐ一本の線を推理すること。

 そうすることで、欠けていた記憶の穴が補完されて、これまで見えていなかったことが次第に見えてきます。
 出来事のありのまま(事実)ではなく、出来事の本質(真実)に思考が至ることを「洞察」と言います。
 個人の記憶に捉われていて、出来事の原因が何に起因していたのか、見誤ることが時にあります。これを避けるためにも、心の奥深くに眠る自らが封じこめた意識下の「自己」を呼び覚ます必要があります。

課題①これまでの人生で、もっとも印象に残る出来事(出会い)を800~1000字で書いてください。くわしく書く必要ありません。自分だけが理解できる、覚え書きのような文章でかまいません。

4)記憶とイメージ

 課題①で「忘れられない出来事、あるいは出会い」を書いてもらいましたが、つぎに、その作文をもとにもっともつよく心に響く言葉を一つ選びます。この言葉をキーワードとし、その言葉から連想できる言葉を10~15個ほど連続して書き出します。
 たとえば、子供の頃、いじめに遇い、物の考え方が変化したとします。そのとき、自分の体験した事柄から一つの言葉をイメージします。
 どんな言葉が思い浮かびますか?
 それが「裏切り」であったと仮定します。これがキーワードです。

課題②キーワードをもとにイメージ訓練をします。

 モチーフのメモに使用したノートを両開きの状態にし、左側のページの左端の一番に上にキーワードと銘記し、その下に該当する言葉「裏切り」を書きます。つぎに、「裏切り」から連想する言葉「暗黒」を少し間隔をあけて、真下に書き出します。そして、こんどは、「暗黒」からイメージする言葉を書きます。これを繰り返します。
 
 このときの注意事項は、最初に思いついたキーワードに捉われないことです。言葉を次から次へと思い浮かべるようにしてください。ただし、色、音、手触り、味覚、嗅覚などの五感を働かせることは忘れないように。

例)
 キーワード
 裏切り
 ↓   三段ないし、五段くらいの間隔をとる。
 孤立
 ↓   右に広い余白をとってください。
 暗黒
 ↓
 くすんだ壁
 ↓
 泥の臭い
 ↓
 静寂
 ↓
 冷ややか

 この方法は心理学を応用したものです。自我が阻んでいる深層意識とアクセスする方法として自己流に考えたものです。効果があるかないかは、実践したみたあとで判断していただけるとよいかと思います。

 次回は、キーワードと関連づけて短い文章を余白に書いていきます。

 またまた余談になりますが、コメントの返信にも書きましたが、友人からプロフィールの写真のことで電話がありました。「化粧した顔をはじめて見た」と言われ仰天しました。人様と会うとき、タカラヅカを観に行くとき、自分では化粧をしているつもりだったからです。
 アイメイクをし、写真を撮ってくれた長女に報告すると、「ママのは化粧とはいわん」と言われて気落ちしたところに、「ママはターザンやから」とたたみかけられました。娘いわく、おしゃれもせず素顔でどこでも行く私は野生児だそうです。野生児ではなく、野性ババァがただしい観察かと思います。
 このトシになるまで、人様から素顔だと思われていたと知りませんでした。ましてや、娘が母親の私をターザンだと思っているとは!
 女ですらないわけです。なぜ、娘が私をターザンだと感じるようになったのか、これがわからない。

 自らの考える自己と、他者の考える自己とは、このように大きな隔たりがあります。観察・推察・洞察の必要性を痛感した次第です。


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