【エッセィ】蛙鳴雀躁 No.37
長く会っていなかった知人から電話があった。宝塚市内に引っ越したという。
「生まれてはじめて歌劇を観ました」
〝ベルばら〟を観て、ヅカオタの私を思い出したらしい。
なつかしさも手伝い、出だしは悪くなかった。
ところが、彼女が女子大で、フェミニズム論やジェンダー論を教えていると聞いて思わず言ってしまった。
「フェミニズムとか、まだ消えてないのん!」
「消えてませんよぉ!」
ここから先は暗雲がたれこめ、不毛の論争となった。
彼女は以前、文章教室に通ってきていた。その頃から長い時間が経ち、私は老害ともいうべき言いたい放題の年寄りとなり、彼女は、女性の平等のために闘う論客となっていたから始末がわるい。
もっとも仰天した発言は、「歌舞伎は女形のヒトも結婚して、舞台をつづけています。タカラヅカも結婚後もつづけられるように改革すべきです」
将来的にはそうなっていくと彼女は断言した。
「不平等ですから」と。
ギャアと悲鳴をあげそうになる。
「頼むから、そんな運動は、あたしが死んでからにしてな。そんなに待たせへんと思うわ」
妊娠して出産した女性が、イケメン男役に復帰する。夢が壊れる
と思うのは、私のエゴなのか。
つぎの日、ヅカトモにご注進。
彼女はふむふむと私の話をきくと、
「そのヒトたちで、理想の劇団をつくってくださいって言うたらいいねん」
彼女が女子大で教鞭をとっているということは、このような思想をもった女性が次第に主流派となるのかもしれないと思うと、絶望しかない。
「もし、劇団員の中に、同じように考える子らが現われて、裁判ざたになって、なんたら改革法案とかできて、ほんならタカラヅカはタカラヅカでなくなってしまう」
サクラは散るから美しい。散らないサクラはもはやサクラではない。
「考えてみてよ。朝イチのタカラヅカニュースで、『オスカル役の※※さんはこのたび懐妊しましたので、一年間のお産休暇にはいられます。おめでとうございます。羨ましいですねぇ。私たちもあとにつづきます』とか言うねんで」
「そんなことにならへんて。ファンが承知せぇへんて」
と彼女は言うが安心できない。
「いっしょにオペラ、観に行ったことあったやん。外国からやってきたいうから、どんなもんか、はじめて観たけど、椿姫はビア樽やし、相手役は、毛のうすいオッチャンやったやん。椿姫って、結核で死ぬのに、腕を回しても、背中の途中までしかとどかへんねんで。アレで死ねるわけないやん」
「オペラは、歌声を聴くもんやから、アレでええねん」
「アレでええのんやったら、松ぼっくりみたいに肥ったオバサンがオスカルやマリー・アントワネットになって出てきてもええいうことになるやん。歌舞伎は、お爺さんになっても、振袖きて、道場寺とか踊ってるもんなぁ……」
歌舞伎は女形芸を観るのだと彼女は言う。タカラヅカはそうではない。少々、歌がまずくても、ダンスに難があっても、セリフが一本調子でも、名門の出身でなくても「花」のある子は大勢のファンに支えられてトップに立てると。
「退団したら、結婚できるし、子供を産んでも、ミュージカルの舞台に立てる」
「そんなこと、相手もわかってる。わかってて言うてるねん」
花の命は短い。
人気と実力を兼ね備えていても、長い年月をかけて身につけた男役芸を捨てなくてはならない時がくる。
限られた時間に大輪の花を咲かせて去る。つぎのトップにその座を譲るために。
トップの座は、聖域と言ってもいい。
多くの女性のあこがれを一身に受けて立つには、覚悟がなくてはならない。
それはアイドルも同じだと思う。
結婚すると確実に人気は落ちる。
わざわざ人気のなくなることを、平等という名のもとに強要するジェンダー論とはなんぞや。
パリオリンピックの開会式で、マリー・アントワネットの首を抱えて入場するセレモニーを思いつくフランスは、「自由・平等・博愛」が国是だ。
アントワネットをギロチンにかけたことは誇るべきことなのか。
悪趣味だとしか思えない。
こう言っても、ジェンダー論を信奉する人たちには、女性の立場に立たない偏屈なババァのタワ言にしか聞こえないと思う。
オリンピックのボクシング競技で、男性にしか見えない選手が女子選手を打ちのめすことが、公平平等なのか。
某劇団に不幸な出来事があっても、マスコミは騒がない。これを不平等と言わないのか。
自由と平等をふりかざせば、何を言っても、誰を断罪してもいいという考えが世の主流となるなら、生きるに価しない世界になる。
私が憤慨すると、「いっつも、あんたはおおげさやねん。だいじょうぶやって」とヅカトモは慰めてくれるが……。
アメリカのどこぞの州のミスコンで、ロングスカートをはいたぶさいくな男性が優勝していた。本人が女性だと言えば、主催者側は彼を拒めない。女性たちも彼を非難できない。差別主義者と罵られるからだ。
ジェンダー論が跋扈する時代は、すぐそこにきている。
悪夢が現実となる日、タカラヅカは終わる。
なぜ、未婚女性のみで演じられるタカラヅカを愛するのか。
儚いからこそ美しい。いとおしいのだ。