【エッセイ】蛙鳴雀躁 No.21
朝の三時に目が覚めて、ご老公が投稿してくれた小説をスマホで読み返すと、誤字脱字だらけ。
書き上がったときに三度も読み返したのに、なんでやねん。
もっともショックを受けたまちがいは、「美青年」と書くべきところが、「美声年」となっていたことです。ワープロで打つと、「美青年」は、「美声年」と変換されると、このトシまで知らなんだとは。
つらつら思い返してみるに、美少年は書いても、成人の年齢に達したイケメンを、これまで書いてこなかったことが、誤りの原因だったと気づきました。
けっして成人の美形がキライなワケではありません。
ただ、美青年とか美形とか書くと、想像の幅が狭められると考えていたのです。
そもそもBL漫画や、その種の小説や映画が大好きだった私は、この世に美少年ほど尊いものはないと思って生きてきました。
ダーク・ボガード主演の「ベニスに死す」に登場する美少年は、この世の生き物とは思えませんでした。このモノクロ映画は当時、欧米では受けなかったのですが、美少年をストーカーする老いた音楽家を演じたダーク・ボガードのもとに極東の地、日本の少女たちからファンレターやプレゼントがどっさり届いたそうです。「オジサンの気持ち、ワカリマス」というメッセージではなかったか。
大勢いたんですねぇ、同好の士が。
タイトルを忘れてしまったのですが、北欧の映画に登場する黒髪の美少年は吸血鬼です。少年は、彼の美しさに惹かれる少年を誘惑し、その少年が老いるまで殺人を犯させ、血を集めさせたあげくに使い捨てる残酷な習性があります。
こわーいけど、ロマンがあってたまりません。
同じ高層住宅の隣室に住む少年は、オジサンと暮らす美少年と親しくなり、自分もオジサンと同じ運命をたどると知りつつ、家族を捨て美少年と旅立ちます。
この映画のストーリーと、「ベニスに死す」のストーリーは同じテーマで描かれています。美少年には魔力があり、魅入られたものはおのれを捧げるしかないと。
これと真逆なのが、マルグリット・ユルスナール作・多田知満子訳の『ハドリアヌス帝の回想』です。皇帝の独白形式で、その一生が描かれいるのですが、愛人となる異国の純朴な美少年に対する皇帝の愛は以下のように描写されています。
「寝台の上に足をかがめているこの青年は、サンダルの紐をといているこのヘルメスと同一人であったし、この葡萄の房を摘み、あるいはわたしのためにこの一杯の赤葡萄酒を毒味しているバッコスでもあった。弓の弦でかたくなったこの指はエロスの指であった」
この文章を読んだとき、「エロスの指」にヒェーッとなりました。
なりますよね?
ただし、このとき、すでに皇帝の気持ちは醒めていたのです。ローマ皇帝ともなれば、美少年の調達はたやすく、とっかえひっかえできるわけです。皇帝というより、ユルスナール自身の独白と思えるのは、「どんな相手にせよ、他を排して一人だけに従属することはするまいという猛烈な欲求にふたたびとらわれていた」。
ええっと美少年好きの私としては、虚をつかれます。
皇帝の独白として、十九歳のアンティノウスの美貌の変化は次のような一文で明白になります。
「その美しい唇には、彫刻家たちに気づかれたあの苦々しいひとすじの皺がすでに刻まれていた」
たった一本の皺かい!
美少年から美青年となった彼は二十歳を迎えたとき、死によって不滅の愛を得られると考えたのでしょうか、命を絶つのです。
この事態に四十過ぎの皇帝の心理描写を本文から抜粋すると、「わたしの愛がおとろえたのではない、むしろ前以上に愛していた。しかし愛の重みは、胸にやさしくのせた腕の重みのように、少しずつ、担うに重いものとなっていったのである」
勝手すぎるやろと思いつつも、権力のある者にとって、美少年は鑑賞物でしかないという悲しい事実です。
賢帝として名高いハドリアヌス帝ご本人は、どう思っていたのか、さだかではありませんが、アンティノウスの自死は事実のようです。
オトコマエの石膏像がこの本に載っています。
あきらかに美少年ではなく、美青年です。
ワタシ的には、金持ちのオジサンがなんもしらん美少年を好き勝手に弄んだ末に、十九歳になったらもういらん素振りをするということ自体が許せんわけです
美しく生まれた少年は老いることに恐怖を感じているはずです。通常のオジサンになれない。そうなったときは、鏡を見るたびに、嘆きの涙を流さずにはいられないはず。
この世に存在しないかのような美少年を目にするとき、「ああ、おいたわしい」と最初に思います。
一年すぎるごとに原型が損なわれるのですから、本人もまわりもつらい。
ドラキュラはこうした思考のヒトたちによって、考えだされたのではないか。美女の生き血を吸って若さを保つドラキュラ伯爵は美少年のなれの果てではないかと、愚考するのです……。
我が家のご老公が、老いても、私にショックを与えないのは、良きことなのです。
以前、私が入院したとき、私の息子に間違われることが三度ありましたが、若い頃は、母の夫、つまり私の父親にしばしば間違われました。お金がなくて、実家の二階で暮らしていた私たちは夫婦と見られなかったのです。ごく近所にあったカーテン屋さんに買物に行くと、「お兄さんに相談して決めなさい」と言われたりもしました。こうして無事にご老公と悪代官になれたのも、美形に生まれなかったおかげだと、昨今はつくづくと思っております。
蛇足になりますが、翻訳をされている多田知満子先生と、あるパーティでお会いしたことがあるのです。どんなにうしれかったか!!
『ハドリアヌス帝の回想』を読みましたと申し上げると、「翻訳にはとても苦労したのよ」とおっしゃいました。多田先生が神戸にお住まいだと、このときまで知りませんでした。他に何をお話させていただいたのか、喜びすぎて記憶にありません。細面の顔にメガネをかけ、とても知的な印象で声も穏やかな方でした。
老いる前に亡くなられましたが、先生の翻訳された『ハドリアヌス帝の回想』はいつまでも輝きつづけると思っています。エエトシしたおっさんが美少年を好き勝手にすることは断固、反対ですが。
蛇足の蛇足になりますが、十六日の午後九時頃と十七日の午前二時頃に、雷がとどろき、ゴルフホールくらいの雹が豪雨をともなって、神戸の南部中心に振りました。
竜巻が発生したそうです。
気圧の変化が影響するらしく、双子の長女は前日に耳が聞こえにくくなり、次女は雹の振る数時間前に、同じ症状が起きたそうです。
安倍清明の生きてた平安時代やったら、ウチの子らは、逆五芒星(魔法陣)を指で描いて印を結ぶ、女陰陽師になれたやもしれんのにと思うと残念でなりません。
敏感すぎる耳のせいで、乗り物酔いがひどいと言います。牛車やったらイケたかもしれんと思うとなおさらです。
ちなみに、イスラエル王国の王であったソロモンは、魔法陣で巨万の富を築いたという伝説があります。いっぺん、双子に同時に印を結ばせたら、どうなるのか、これもやってみたいことの一つです。
巨万の富や美少年はムリでも、オスの美猫くらいは出せるやもしれません。