自分との対話日記1~自分の感情がよくわからない~
自分の感情がよくわからない
うつ病になって初めてわかったことは多いのだけれど、そのひとつに「自分の感情と向き合ってこなかった」ことがあった。
喜怒哀楽とか、今何を求めているとか、自分はどんな立場で見るのかとか。
今思うと、それが原因なのか、自分で自分がコントロールできない時が多くて、もう少しどうにかしたくなった。
この対話日記は、そんなわたしが自分の感情に気づくための練習。
悲しきかな、好きなことがない。
小さい時を思い出す。いや、十代の時か。ずっと好きなことがなくて、苦しかった。また同じところに帰ってきたというか、結局変わらなかったんだ自分は、という感じ。自分の体質だと、一つのことを突き詰める職人系のやりかたは向いてないらしく、なんでも手を出してみる浅く広くがいいらしい。とはいえ、そこまで手を出したいこともない。なんとなく会いたい人がいるくらいで、それ以外のこと、つまり人間のこと以外ではそこまで動かない。人間のことというか自分のことか。ここで「ああ私は人間が好きなのね!」と完結するのも気持ちが悪い。
気持ちが悪いっていう言葉がでてきた。これは釣り餌になるワードな気がする。
じゃあ問いを立ててみよう。
「自分の気持ちがいいのは何か。何をしている時なのか。」
「人と話すと気持ちがいい、いやそんなこともないか。気持ちの悪い時もある。」
「それなら気持ちがいい、人と話すことってなに?」
「えーと、そうだな、自分がその相手に興味がある時。自分のことばを手探りで会話している時。相手を知りたいと思う時。これだと思う。」
「それなら、そういう会話をできる相手がいるといいってことだね。」
「そうだな、あまり気にしたことなかったや。」
「あとはどうだろう。他に気持ちがいい時。」
「うーん、本を読んでそれに触発されてひらめいたときとか。これもすっきりする。自分の考えが起こされてくる感覚。」
「もう他にはない?」
「あとは、自分に興味を持ってくれる相手がいると嬉しくなる、そういう人と話すのは気持ちがいい。あとはなんだろうなあ、旅をしている時。旅っていってもなんでもいいわけではなくて、あれはどんな旅の時だろう。熊野、京都、パッと思いつくのはここらへん。つまり、長旅で、歴史があって、よく歩く旅。自然があるとよりよし。そういう旅の時は自分の感性がひらいている感じがするし、そういう時に写真をとったり物を書いたりすると、頭が静かでとてもいい。」
「あとは?」
「あとは…水に入ること。これは昔だったけど。あとは、こうやって書いて自分を知ることかな。あとはよくわからない。好きで続けたいこととかもないし。」
「本当にない?少しもないの?」
「……よくわからないからそういうの。」
「そう、それならまた今度ね。」
「うん、ありがとう。また明日会えるといいな。」
こうして自己とのおしゃべりを終えた。
気を付けたことは2つ。
・思いつくままに書き留めること。
・何度も形を変えて自分に聞くこと。
とりあえずこのまま実験を続けてみよう。