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#シロクマ文芸部 愛猫と [春遠からじ]
「愛猫とはこの時期でしたかね、八重子さん」
夫、朔太郎は病床から躰をおこし外を眺めた。
立春を過ぎたと言うのにみぞれ混じりの雪が舞っている。
庭に植えられた梅はまだ堅い蕾のままだ。
妻、八重子は台所から顔をのぞかせ
「えぇ、二階の物干し場に最近居るんですよ」
八重子は朔太郎に綿入れの丹前を掛けてやりながら
「鳴き声が耳に障りますか、それなら、猫寄らずでも撒きましょうか」
朔太郎は首を振り
「いや、いいんだ、猫の恋もいいもんだよ、生まれたての赤ちゃんのような声で鳴く」
八重子はふっとよぎるものがあった。
二人の初めての子供をたった三ヶ月で亡くした。雪の降りしきる寒い日、子は二夜、高熱を出し看病のかいもなく明け方には息を引き取った。子の顔はまるで乳を飲んで微笑んでいるような安らかな顔であった。
火鉢に炭を赤々とおこし、薬罐のお湯を一晩中滾らせた。ぐぜる子の泣き声がまるで発情期の猫の鳴き声と似ていた。
亡くなって半世紀もなるのに、ふとした事で脳裏をかすめる。
おそらく朔太郎も同じ気持ちなのであろうと八重子は思った。
八重子が珍しく二階の階段を音を立てて降りてきた。
「朔太郎さん、愛猫を見ましたよ、雄は三毛、雌は白、若い猫同士の恋ですわ」
八重子は眼を輝かせて
「あと二ヶ月もすれば生まれますでしょ、生まれたら一匹、貸家賃としておいていかないかしら」
朔太郎は笑いながら
「そんな殊勝な猫がおりますかね、でも三毛は珍しい、抱いてみたいもんですね」
八重子はすかさず
「二階に産み床をこさえましょう」
朔太郎は庭を眺めながら
「僕は、あの梅が咲く頃まで生きられるでしょうか」
八重子は母親のような言い方で
「しっかり養生なさいませ、かならず梅も桜も見られますとも」
朔太郎は更に続けた
「こうして死を待つだけの私の頭上では新たな命が宿る、生と死はいつも同時進行だな、当たり前の事だけど明日があることが眩しいよ」
「朔太郎さん、生きてください 力のかぎり、生きて」
「あぁ、生きたいね」
「そうですとも」
二階の物干し場では三毛が白猫を追い回しているのか、ばたばたと足音がした。
「三毛は元気のいいね」
八重子も顔をほころばせながら
「きっと、子猫の三毛、抱かして差し上げますね」
二人は顔を見合わせて頷きながら微笑んだ。
外は名残の雪が止み、雲の切れ間から日が差し始めた。
終わり
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を真似て