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美容室の鏡に映るぎこちない作り笑顔

美容室で、髪を切ってもらいながら鏡を見てギョッとした。
美容師さんと話している時の自分の表情が、自分の感情を丸映しにしていたからだ。

自分では、普段からもっと上手に表情をコントロールしているつもりだった。
微笑む場面では微笑み、楽しむ場面では楽しそうな表情をし、悲しい場面では悲しそうな表情を、と場面に応じて適切な表情をしているつもりだった。

ところが、美容師さんに話しかけられて、それに応じる自分の姿を鏡越しにチラッと見ると、ぎこちなく、不自然に笑っている私が映っている。鏡に映る自分は、楽しくも無いのに無理して楽しそうに笑っている。私の本音が映り込んでいる。
バレてる、と思い恐怖を覚えた。
上手く隠せてると思っていたのに。
楽しくなくても楽しそうに笑えてると思っていたのに。

咄嗟に思った。上手く隠さなければ!と。もっと上手にやらないと!と。

でも、鏡に映る自分はとことん不自然な表情をしていて、無理していて、苦しそうで、それを見ていると話なんかますます面白く感じられなくなった。

一体、私は普段どんな顔をして周りの人と接しているのだろう。鏡に映る自分は監視することができるけど、普段の自分は監視ができない。
その美容師さんの技術には信頼を置いているし、人柄だって好きだ。
その人に対する表情が、これだけぎこちないのであれば、普段色々と複雑な感情が渦巻く中、腹の中では大嫌いな人間と表面上にこやかに接しているつもりの時の私は、見るに耐えないほどの不自然な表情をしているのではないか。

だからだろうか。私はあまり人から好かれない。安心されない。そんな気がしている。
なにより、私自信が人と接するのを好まない。人は怖い。だから安心などできない。気を抜かず注意深く発言し表情も気を抜かないようにせねば、と思っている。

そんな人、嫌だよな。私なら近寄らない。言っていることと表情が乖離している人は怖い。安心できない。好かれないのも当然だな。

私は、もう少し自分を解放してもいいのかも知れない。無理に表情をつくろうとしなくてもいいのかも知れない。
無表情のつもりでも、意外と無表情にはなっていないのかもしれない。

人間関係には普段から気を遣っているのだから、表情くらい解放してもいいような気がしてきた。表情くらい自由でもいいじゃないか。無理に笑わなくていいよな。笑いたい時だけ笑えばいい。心と表情が一致してこそ自然体でいられる気がするし、そんな自分を好きになれそうな気がする。

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