コロナ禍とは何だったのか? ~ダブスタ・加速化・綺麗事の欠如~ その1
中国の武漢で新型コロナ感染症の最初の患者が発症した日は2019年の12月1日である。ちょうど丸5年ということになる。総括するには良いタイミングである。したがって「コロナ禍とは何だったのか?」を纏めてみようと思う。
率直に言えば、私は第一報を聞いた時からほとんど意見は変わっていない。日本国内でも感染が確認された時もダイヤモンド・プリンセス号で感染が広がり混乱をきたしていた時も、学校の臨時休校が決まった時もずっと「なぜ皆がこんなに大騒ぎするのか?」が分からなかった。
当時どのようなことを考えてどのように行動していたのかが分かるブログの記事を並べてみた。全て2020年の2月~5月の記事である。やはり今と考えていることは似ている。周囲がどんどん「感染対策一辺倒」になっていったのに戸惑いを抱き続けた。
その後の経過を今日は書いていく。当初は一切の制限が必要ないと考えていた私だったが「医療崩壊」というフレーズとその中身を聞いて、ある程度の対策は必要なのだとする意見に至った。あくまでも一般の健康な人が普通に生活するのを妨げない範囲での対策である。そのタイミングでお年を召していたり基礎疾患を抱えていたりする方は確かに気の毒である。しかしそんな構造は古今東西いつだってある話で、例えば私たち氷河期が正社員の座席が少なくてあぶれていた時に、国家や他の世代が総動員で救済してくれた訳ではない。それと同様に一定の「自己責任」が働くと想定していた。しかしまるで大政翼賛会のようにほぼ全ての会派が「感染対策」や「経済活動・社会活動の制限」に邁進した。これには本当に驚き次第に怒りが湧きさらに醒めた気持ちに変わっていった。
ワクチンの話に移る。私の父母は2021年の6月と7月にそれぞれ2回ずつ接種した。父の2回目の副反応が酷かった。1日半くらい高熱が出てずっと横になっていたと聞いている。妻も2021年の8月と9月に接種した。2回ともそれなりの副反応で翌日は寝込んでいた。また数日間、肩が上がりにくい症状が続いた。私は7月末に商工会経由で「個人事業主向けのワクチンの案内」という封書が届いた。正確な期日は忘れてしまったが8月の土曜日の13時~17時に商工会議所で受付を行うと書いてあった。当日は授業を終えて16時前くらいに会議所に着いた。ちょうど3人ほどが並んでいた。列に並ぶと係の人の表情が曇った。私の所に近づいてきて「ちょうどあなたの前の方までの券しかありません。申し訳ありませんが次回の受付の時に来てください」と言われた。「それは仕方がないですね」と返答して帰った。次の期日はまだ未定とのことで「正直面倒くせえな」という気持ちになってしまった。
父と妻がそれなりに寝込むのも見ていた。夏期講習中ということもありなかなか良い日程を見つけることができずにいた。「コロナ対策でも逆張りだったしワクチンも無しで構わんか。まあ周囲の様子を見てからでも悪くないな」と考えた。結局それ以来周囲の様子を見て「接種した方がいいな」と感じる場面が無く今に至る。近しい人たちには「今度申し込みに行きます」と話していたので、1回うって副反応が酷かったことにしていた。ちょうど21年の盆に3日くらい体調を崩して発疹がでたのも重なった事情もあった。だから私は結局1度もコロナワクチンをうっていない。このnoteで初めて明らかにする事実である。
その後、2022年の2月に妻と子ども2人が発熱し「コロナ」の診断を受けた。ちょうどその前日は私が実家で過ごして泊まった日だった。母の認知症が進行し父も軽い脳梗塞でやや歩行が困難になっていた。だから月に一回ほど実家で過ごしていたのだが、正にその日だったのである。妻が医者から渡された紙を見ると私は「濃厚接触者」の条件に当てはまらなかった。そして発熱も無かったので通常通りに生活した。基本家族が1階にいて私は2階で過ごした。加えて職場で過ごす時間を長くした。子どもたちは2日ほどで良くなりその後は持て余した。妻は4日ほどで回復しリモートで仕事をしていた。隔離期間の後半は私と子どもたちは一緒にゲームしたり何なら少し体を動かしたりした。2020年当初から自宅でマスクをする習慣が無かったので、この時もそれを続けた。全快後に妻が「私が一番重いなんて嫌になっちゃう。それにワクチンをうった時の方がしんどかったのも嫌になる。子どもたちが今回くらいの症状で済むならうたせない方を選ぶ」と話してきた。医療従事者の親類にも聞いての判断らしい。私は何でも構わないので「それでええんじゃないか」と返答した。
更に長男は2023年の7月と24年の3月に3回罹患している。次男も23年は同時に罹った。妻と私はどちらも発熱を含め何も症状が出なかった。つまりうちの家族のコロナ発症は長男3回、次男2回、妻1回、私0回と不思議な数字になっている。子どもたちの症状は毎回初日だけで2日目以降は「元気すぎて困る」という状態を繰り返している。
父と母も2022年の8月に罹患した。高齢な上に父は基礎疾患があるのでさすがに心配になった。父はビビりなので「もうダメだ」と弱音を吐いていた。しかし二人とも3日ほどで普通に回復した。妻と同様に父は「ワクチンをうった後の方がしんどいとはどういうことや!こんな大したことが無い病気をワシらは怖がっていたのか。もう好きに生きる。マスクも止めるし二度とワクチンもうたん。お前がコロナ当初から対策らしい対策をしないもんだから何を考えているかと思っとった。でもお前の言うとおりだ。勿体ない3年間を過ごした」とのことだったw
結局こんな感じで私の家族は全員が罹患経験がある。そして20年もしくは21年以来ずっと在籍している塾生は15名ほどいるが、この中でコロナの罹患経験が無いのは2名である。症状が最も長い生徒は3週間ほどのどの痛みが続いたが、その後は回復してレベルの高い高校の部活動を頑張っている。私のnoteでは最近の子どもたちの学力低下について書くことが時々あるが、その際に「後遺症ではないでしょうか?ブレインフォグでは?」という問いもある。しかしコロナ罹患前後で成績が急降下した生徒はいない。またワクチン接種の有無で罹患する可能性や重症度には差が無いように感じる。そして当初から話していたことだが「ほぼ全員がコロナを経験した」ことで収束した。「二度と罹りたくない」と言った生徒は1人だけで、多くは「こんなので俺らの青春が潰されたのかよ!」とか「行事や部活の大会を返してくれ」というものだった。そして私に「早く1回罹ってほしいな」と冗談を言ってくるのがここ1年半くらいの状況である。更に正確に書けばもう皆が気にしていない。親御さんを含め、あれほど盛んだったワクチン云々の話題も23年以降は全く無くなった。
このコロナ禍で学んだことは(私はコロナ対策禍だと捉えている)3つある。1つ目に「人はダブルスタンダードを相当露骨に開陳する」のだということを思い知った。次に2つ目には「コロナは時間を早送りした」という点を指摘したい。20年後に到来するはずだった社会問題を10年程度に近づける災禍だった。最後の3つ目は「綺麗事を言ってられなくなった」ということだ。私は子ども相手の仕事をしているので、それなりに綺麗事を伝えるように心掛けてきた。しかしそれでは彼らにとって何の利にもならない言葉を投げかけるだけだと考えるようになった。その2、その3でこれらの中身について詳しく書いていくことにする。
以下の書籍を参考にした。