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0を含む割り算にまつわる物語 前編

Xが今日も燃えている。算数のことで燃えている。365日24時間燃えている。コンビニが24時間営業を諦めても、Xの算数の話題は常に燃え続ける。
昨日からある小学校の答案だとする画像が話題になっている。
投稿主によると8歳の子のプリントだそうで以下のように回答されていた。
⑤ 0÷8=0
⑥ 18÷0=こたえなし
⑤には赤丸がされており、⑥には小さな誤答を示すチェックがあった。

この8歳の子の回答は正解である。先生は「0」が正答だと話しているそうだ。そうだとしたら教師が間違っている。しかし割り算を習って既に3つくらい後の単元を進む時期に出てきたこと、0で割る割り算は小3では習わないこと、丸やチェックの付け方が教員が一般的にする形ではないことなどから、私は話の信ぴょう性に疑いを持っている。

しかし実は私も最初は÷0=0と学校で習った。小2の頃だった。九九のかけ算を習った後に0を含むかけ算に進んだ。H先生は0を含むかけ算はどんな場合も0になるとおっしゃった。その時に誰かが質問をした。「それはわり算でも一緒ですか?」と。その時にH先生は「わり算は3年生で習うんですけどね。まあそういう考えを持つことは良いことですよね。わり算でも0になります!」と返答された。これは間違っていたわけだ。H先生が算数が苦手な方だったのかどうかは分からない。咄嗟の質問だったので授業準備ができていない箇所で不意を突かれたのかもしれない。結果としては間違ったことを教わった。

それからしばらくして、下校の時にMが話し始めた。「0のわり算の答えは0じゃない時もあるらしいぞ」と。しかしそれ以上の要領は得なかった。家に帰った後で母に聞いた。
「0が入る割り算って0になるの?」
「なるに決まっているでしょ。0個のものを分けたら0だわ」
やっぱり0なんだと再確認した。母がこういうのなら間違いないだろうと。

3年が経ち5年生になった。新しい先生になってまだ1か月しなかった頃だと思う。「お前は何か勘違いしているな。0で割る計算は答えは0にならんぞ!」とY先生が誰かに返していた。「何だ何だお前ら0÷0=0とか3÷0=0と思っとるんか?そう思っとる奴は手を挙げろ!」とクラス全員に聞いた。半分強が手を挙げたと思う。私の隣のT君は手を挙げなったので先生に質問された。
「Tは0じゃないことを知っとるのか?」
「いやいや、皆が話していることが全く分かりません」
「全く困ったもんだ…きちんと日本語くらいできるようになれ!」
そしてY先生は黒板に書き始めた。
”0÷5=0 0÷0=不定 5÷0=不能”
教室がざわめいた。「えっ計算の答えが漢字!ウソでしょ!」と。

「はーん。何か全員キョトンとしとるな、わり算のたしかめを思い出せ。『わられる数=わる数×答え』だっただろ。そこに当てはめてみろ」
ピーンと来た。確かに0÷0は何を入れても成り立つ。そして5÷0はどんな数を入れても5を作ることができない。本当に不定だ!そして不能だ!計算の答えは1つに決まるものだとずっと思っていた。そして母が間違って認識していることが気になった。
Y先生はこうも話していた。
「まあ、誰かが間違って教えたんだろうなあ。それはすまない。でも低学年に不能だ不定だって言っても混乱すると判断したかもしれんし、まあ大人も完ぺきではない。5年生の他の先生たちにも確認しておくわ!」

その日、家に帰るとすぐに母に聞いた。
やはり母は「0個のものを分けたって0じゃない!」と言う。私が「0人で分けたらどうなるんだ?」と聞いた。そうすると「あり得ない話になるわね。結局あり得ないから0なのよ」と返してくる。それで私は割り算の確かめを使って母に説明した。母は驚いた顔をしていた。「こうやって習ったのであればそうなるってことね。ちょっと悔しいけど嬉しいわ。学校に通って家で教えられる以上のことを身に付けてくるっていう証明だから。私ももしかしたら習ったのかもしれない。でも学校の勉強よりも宿題よりも農作業だった。家の手伝いだった。戦争でけがをした人の面倒を見ていた。だからきちんと学べていないのかもね」嬉しそうな悲しそうな母の顔だった。

GWになった。家族で鈴鹿に行った。鈴鹿は父の母の妹夫婦が住んでいた。祖父母は両方とも鹿児島に住んでいたため年に1度会うか会わないか。だから日帰りで行ける鈴鹿が実質の祖父母代わりだった。父の従兄弟夫婦も二組揃い、大叔父が「お前は勉強は頑張っとるか?」と聞いてきた。母が「この間の話をしてみたら?」と促した。紙と鉛筆を用意してもらった。


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