夏の甲子園の二部制はスポーツ文化終了の序章 中編
夏の高校野球のニュースが報道されると、大抵こんな意見がネットに飛び交う。
「旧態依然の高野連が!」
「高校野球ほど頭の固い古い組織はない!」
「いつまで戦争を想起させる坊主頭をさせているんだ!」
2000年 延長18回制→延長15回制
2003年 甲子園ベンチ入りが18人に
2013年 休養日の導入(準々決勝後1日)
2018年 延長13回以降はタイブレーク(決勝戦を除く)
2019年 休養日の拡大(準決勝後に1日付加)
2020年 投手の球数制限(一週間に500球以内)
2020年 申告敬遠制度導入
2020年 白スパイクが使用可能
2021年 決勝戦もタイブレークを導入
2022年 雨天等で中断になった試合は再試合から継続試合に変更
2023年 延長10回以降はタイブレーク
2023年 甲子園ベンチ入りが20人に
2023年 夏の大会で5回終了時に10分間のクーリングタイム
2024年 春の大会より低反発バット使用(本塁打数:12本→3本)
2024年 夏の甲子園で3日間二部制を導入
丸刈りの高校の割合 2018年 76.8% → 2023年 26.4%
2024年春 丸刈りと規定…10校 自主的に丸刈り…18校 自由…4校
実は高野連はこんな感じで様々な改革を行っている。特に2018年以降は毎年のようにルールが改定されている。そしてここが言いにくい真実であるが「野球そのものの面白さを減衰する変更」が多い。休養日を増やすことや投手の球数制限はまだ良いが、申告敬遠であるとかバットが低反発になるとかは間違いなく野球のゲーム性を低下させている。以前であれば一世代に30人程度の甲子園でホームランを打った選手が生まれ、2000人くらいの球児が夏の大会でホームランを打つ経験を得ることができた。しかしこの春からの低反発バットでは甲子園10人、地方大会300人くらいに留まると思われる。10年程度野球を続けてきた選手が最後の夏にホームランを打てば一生の思い出となろう。それを持つ人間が激減してしまうのだ。
そして野球の面白さを最も削いでしまったのが「タイブレーク制」であろう。高校野球の名試合で必ず上位に顔を出すのが箕島×星稜(延長18回)、松山商×三沢(延長18回再試合)、横浜×PL学園(延長17回)、早稲田実×駒大苫小牧(延長15回再試合)などである。どれも息詰まる延長戦が繰り広げられた。こんな名試合の最後が2019年の星稜×智辯和歌山(延長14回)であったと思う。2021年以降甲子園は7大会が開催されたが、ある程度後世に残る名勝負は下関国際×大阪桐蔭くらいであろうか。確かにタイブレーク制度ならではの面白さや戦術はあるのだが、明らかにあっさりと終わる試合が増えた気がする。2021年や23年の大会のことを熱く語るファンはあまりいない。
ただこれだけでは私の私情にもなってしまうので、具体的な甲子園大会の大会入場者数を挙げてみる。
2015年 春 463,000人 夏 862,000人
2016年 春 529,000人 夏 837,000人
2017年 春 532,000人 夏 827,000人
2018年 春 540,000人 夏 1,015,000人
2019年 春 480,000人 夏 841,000人
2021年 春 140,800人 夏 出場チームの応援団のみ
2022年 春 210,100人 夏 566,500人
2023年 春 374,100人 夏 639,300人
2024年 春 326,900人
こんな感じでコロナ禍以降明らかに減少傾向だ。これはチケットの価格改定や予約方法が変わったことも影響があるだろう。しかし世論が求める改革を行えば行うほど競技自体の魅力は下がり、ファン離れが進んでしまうのである。
この構図は現代様々な所で見ることができる。あるジャンルや企業に”自称アップデートされた一般人”がクレームを付ける。その人たちは特にそのジャンルを愛していたり、その企業の商品を日々使ったりするわけでは無い。しかしクレームに屈してルールや商品を変えてしまう。そうすると以前からのファンは当然離れてゆく。「以前は面白かったのに」といつしか言われるようになる。
例えばマクドナルドで「新商品を販売するとしたら何が良いですか?」というアンケートをした際に「ヘルシーな野菜サラダ」という回答は非常に多く上がるらしい。しかしそれを商品化すると特に売れない。従来からのフライドポテトの方が圧倒的に支持される。そんな例は枚挙にいとまがない。
また改革を始めた団体に「次から次へと要望が押し寄せる」のも現代の特徴だ。高野連は2015年くらいまでのように「私たちは私たちのルールでやります」と殿様商売をしていれば良かったのだ。しかし世の中の風潮に屈して、特に高校野球を愛していない人たちの声を聞いてしまった。一部聞き入れてしまうとこの類の人たちは「更に更に」と果てなく要求してくる。結局は「甲子園大会は無くすべきだ」「夏の大会は廃止、春と秋にやれ」「そもそも野球を学校単位で行うことが時代遅れ」と極論で攻撃し始める。それに陥ってしまったのが正に今だ。
この人たちは7日間で最大6試合行うインターハイのサッカーとか、今の時期に行われている33℃くらいの状況下での3000m、5000mの陸上のインターハイ予選とかそっちには全く声を上げない。メディアの露出が低いからである。より過酷な競技がいくらでも他にされているのに、ただ目についた所だけで批判を繰り広げる。これが別に若者の安全を求めているのが本心ではない証拠だ。ただ”時流に乗った道徳的なことを発信する自分が大好きなだけ”である。そんな人たちの声を聞く必要はない。
しかし高野連や高校野球はそれらの声を受け入れてしまった。それにより別にファンや観客が増えるわけでは無い。反対に感動やゲーム性を低下させてしまった為に新たなファンが増えたり、始めようとする子どもが減るだけに思える。滅びの道に足を踏み入れてしまったと言えるのだ。