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二階建て人生をスタンダードにするべきではないだろうか?

少子化、人手不足、大学の乱立、出産年齢の上昇、婚姻率の低下…
世の中の仕組みと人口動態が合わなくなってきているのは明白だ。これを解決しなければ21世紀の後半は未曽有の悲惨な世界が待ち受けているのは否定のしようがない。
塾講師の私が言うのもおかしいが、今の世の中は「教育期間が長すぎる」と感じている。18歳が成人であるが実際は35歳くらいがそれにあたる年齢になってしまっている。出産に最も適した年齢は18歳~30歳(狭義では18歳~25歳くらいか)であろうから、大学を出てから数年働いて、相手を見つけてから結婚出産のプロセスを踏むともうその年齢をはみ出してしまう。これは「生物として最もエグい人権侵害」とも感じられるが、なぜか現代人はその感覚を持ち合わせていない。そして体力が下り坂になった時期に子育てをすることになる。だから「子育てがしんどい」という悲鳴が増えるのである。本来の子育ては「2日くらいなら徹夜なんて楽々です」という20代中盤で行われるべきなのである。

私は5年前ほどから大学で講師として授業を受け持たせてもらっている。そこで感じるのは「今の大学に若者が来る必要があるのだろうか?」という問いである。一応最近の学生は真面目なので、それなりにきちんと勉強はこなしていく。しかし彼らがそれ以上に大切にしているのは「ガクチカ」であったり、人間関係が煩わしくないスキマバイトであったり、ネトフリなどで好きな動画を延々と見ることであったりする。私が大学時代に学外で何をしていたかというと、アルバイトは当然だが、その他はとにかく友人と遠出をしていた。アルバイトもお金の為ではなく、そこにいる大学とは違った人間関係の構築の方が主であった気がする。だから大学4年間で経験した飲み会の回数は今の学生の平均の4,5倍になるだろう。それでももっと遊んでいる友人は山のようにいた。加えて私の頃には大勢いた海外にぷらっと行く学生もほぼいなくなった。要は何が言いたいのかと言うと今の大学生は別に学生である必要がないように見える。その生活をするなら「社会人」をやればいいではないか!と感じてしまうのだ。そしてそんな抑制的な大学生活は寧ろ40代くらいの中年に合っている気がする。

人生80年以上あるのだから、思い切って世の中のスタンダードを変えるべきなのではないだろうか?と考えることが多くなった。具体的には以下のようなモデルを想像する。
15歳 中学卒業→勉強が嫌いな人はブルーワーカーへ
18歳 高校卒業→特殊な技能(アスリート等)が無い人はブルーワーカーへ
※中学高校では恋愛をもっと寛容にして交際を促進する。
20歳 結婚出産→子どもの人数に合わせて補助金を拡充
40~45歳 末子が中学卒業時に希望者は大学へ
→学費は子どもの人数に比例して補助
45~50歳 第二の職業としてホワイトワーカーへ
70歳 定年

要は社会人が前期と後期で2回あるモデルをスタンダードにするのだ。若く体力があり、生物学的にも適した時期に肉体労働と子育てを行い、中年で最新の学問に触れて社会人の後期に知的労働に勤しむ。これくらいドラスティックに世の中の仕組みを変えなければ、先進国は滅びの道を突き進むだけだと思う。また世の中の分断も一定で止まるのではないだろうか。肉体労働者への想像もできるようになるし知的労働者として生きていく道を中年からでも模索できる。寿命が80年90年になったということはそんな生き方が中心になるようにデザインが成されるべきなのであろう。

イメージとしては野球やサッカーのアスリートである。彼らの多くは10代で社会人となる。給与が高いこともあるが一般的には結婚が早く子どもの数も多いイメージがある。そして40歳になるころには子どもの何人かが中高生になっている。選手を引退すると大学へ通ったりコーチ業の勉強をする人が多い。そして60代半ばくらいまで指導にあたる。これに近い形を多くの人に踏襲するのだ。

一見、暴論に見えるかもしれないが、そもそも初産の平均年齢が30歳を優に超えていたり、未婚率が30~40%に達したり、生まれてくる新生児の数が70万人を切ったり、私の暴論よりもアナーキーなことが起こっているのが現実社会である。確かに今に比べて不自由なことも増えるかもしれないが、同時に子育ての悩みなどからは多くが解放されるだろう。まずは学歴云々では無くて一定のブルーワークができる体力や気力を身に付けさせれば良いのだから。

少子高齢社会で世界の先頭を走っている日本。後の国も一気にそれを追いかけてきて中韓などは追い抜いていく。その前にこうやって脱却するモデルを見せることが必要ではないだろうか。もう残された時間はそれほどない。今こそ日本社会は二階建て人生をスタンダードにするべきなのだ。

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