叱れない教員&探究型学習の学校は成立するのか
Xで相互の男性がいる。隣街で町工場を経営されている。実際に顔を合わせたことは無い。どういういきさつか忘れてしまったが、学校か進路の情報のことでコメントのやり取りをしたのがきっかけだったような気がする。3人の子どもさんのことや、若い頃の思い出や、アニメやドラマの感想を連日発信されている。発言に表裏が無くてサクッと入ってくる。裏が無さすぎて少し前に凍結していたのには驚いてしまったw
そんなHさんがいつもの調子で娘さんの授業参観の様子をポストされていた。実際に行かれたのは奥様だそうで、その感想を聞いてポストしたとのこと。その中身が衝撃だったのでこちらで紹介する。
「うわぁ深刻だなあ」という驚きと「まあこうなるわな」という納得の気持ちが交錯した。深刻と感じる点は自浄作用が働かない所だ。何だかんだ13,14歳の集団であれば「きちんとしていない状態」が嫌いな子が多数派である。特に今の子たちはそうである。だから5年ほどまでは一部の生徒が前触れの無い爆笑をしたような場合に、それを「不快」と示す同級生が多かったはずだ。しかし今はその「不快」の態度を出すことでさえ面倒くさがる。更には爆笑にそもそも気付かないような子さえ増えている。
反対に納得した理由は、現在の授業が「会話」をベースにするものだからである。2020年度から小学校、21年度から中学校、さらには22年度から高等学校で「探求型授業」が導入された。探求型の授業では班を作ってのグループ学習が根幹をなす。Hさんがポストしていた社会の授業が典型的である。「アクティブラーニング」ということで国のお偉方が導入を決めたのだろうが、このような学習は普通の小中生には荷が重い。鎖国や開国について碌々知識も与えられないままでの話し合いになるからだ。そうなるとグループで最もできる子が通り一遍を話すだけになる。場合によってはその子の知識が偏っていたり誤っていたりすることもある。また「できる子」がいない場合はただの雑談になる。しかし今の子は雑談力にも乏しいので、ポスト内にあったようなただ沈黙の時間が流れることになるのだ。
次に親が授業を妨害してしまっていることも注目するべきだろう。探求型授業は参観する親ともコミュニケーションをとる事例が多い。私も子ども二人の授業参観に何度も足を運んでいるが、2021年度以降の参観はほとんど子どもと相談したり一緒に考えたり、何ならグループの一員になって意見を交換したりするような経験をしている。授業と休み時間の垣根が無いと言えばよいのだろうか。そんな中で親も授業とは関係ない話をしてしまうグループが続出する。
親の倫理観を問題視する声も大きいだろうが、そこに関してはこの10年くらいあまり変わっていないのではないか。寧ろ多くの親がLINEで繋がったのが大きな変化ではなかろうか。Rという生徒がいた場合に、従来はこの子を最も知っているのが実親、次に担任であった。しかし今は仲の良い親同士は日々LINEの交換をする。そこには子どもに関することも含まれるだろう。したがってRのことをよく知るクラスメイトの親が何人かいるような形になる。生徒にとっては小学生の頃から数年来よく知った関係の友人の親に対して、担任はたった2カ月ほどの付き合いしかないような場合もあり得る。こうなるとRに与える影響力は担任よりもよほど友人の親たちの方が大きくなる。
最後に今の教員は「叱る・怒る」ことはご法度である。法を犯した場合のみそれが可能かもしれないが、あくまでも粛々と処理するだけで感情を出すと「ダメ教師」扱いされる。簡単に言えば「人間扱いされていない」のである。だから家庭科教師のような発言が出てくるし、保護者が大声で授業をしてもただ黙認なのである。指導力を発揮する仕事でありながら、その指導自体が「○○ハラ」と捉えられるので、どうしようもない。
こんな授業が繰り広げられても表立っては苦情にならない。「マズい」と思った親は「塾に行かせよう」となるからだ。内申制度のことなどを考えると他の生徒のレベルが低いことは寧ろ我が子にはプラスになる。
この話をそのまま友人にしたらこう言っていた。
「こうなるのは当たり前だよな。俺が今の子だったらその授業参観の中学生みたいに振舞うもん」
この真意については近日のnoteで書くこととする。
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