斉藤君の奇跡
トランプ大統領が当選確実になった時に、
「これは歴史的逆転だ!」
だなんて吠えてたけど、自分的には斉藤君の逆転劇の方が驚いた。顎が外れるかと思ったし、腰が抜けた。アメリカは遠い。日本は近い。
斉藤君を悪者だと糾弾された人が正しいのか、あるいは、斉藤君は本当は既得権益に対抗して罠に嵌められた被害者だったのか、なかなか気になるトピックだ。しかし本日はその是非を問いたいのではなくて、テレビ対SNSについて書きたいのである。斉藤君なんて馴れ馴れしく呼んでおいてこっからあまり斉藤君は出てこないわけだ。すまんな、斉藤君。
私はテレビは基本的にドラマとか映画とかアニメとか、そういうフィクション以外はNHKのニュースしか見ず、バラエティと民放の番組はほとんど見ない。ネットニュースはたまにYahooニュースをイライラしたくてみるくらいである。そのNHKのニュースでも、悪者だった。斉藤君は連日悪者として登場していた。だから、まさか再当選するとは思ってなかった。それが再当選した時に、SNSを見て斉藤君に入れた皆様の街頭インタビューが流れたが、彼は既得権益に挑戦して悪者にされた被害者だったなんていうじゃないですか。
それで、一体どっちが本当なのかわからなくなっちゃったわけ。どうした!NHK!と思いました。
ちなみに、私がワイドショーを見ないのには訳がある。わたしゃわりと影響を受けやすいのでまるッと騙され、血圧を上げてしまうからである。ちなみに自分は低血圧な人間なので本当はたまに血圧を上げた方がいいのかもしれないが、とりあえずそういうことだ。
もしも自分がニートで、引きこもりで、一日中テレビを見てていいのなら、家から一歩も出ずにワイドショーを見まくりNOTEを書き、局による見方の違いを分析した上で100円とかで売ってると思う。しかし、働いているのでその時間がない。中途半端にワイドショーを見ると(どうせみるなら徹底的にみるべきだ)それに飲み込まれてしまうから避けている。見なければイライラしないのにイライラすることもあるし。
そして、話を戻すが、どっちを信じればいいのよ!NHK!と思い、瞬間、非常に困惑しました。
からの、
ま、兵庫県民の皆様には申し訳ないが、どうでもいいか、私、日本にすらいないし。と、一気にテンション下がった。
ケ、セラーセーラー、なーるようになるさー
普通のテンションに戻ったところで、それでもしつこくNHKの日曜討論を見る。そこでは若者から中高年までを揃えて、SNSが政治に与える影響などという番組をしていた。難しくてつまらない番組なのだけど、知らないことをいっぱい教えてもらった。曰く(全部は覚えていないが)、現在は若者を中心にテレビを見ない人が増えていて、皆、ニュースはネット記事か動画で見ているのだという。
うんうん、そうだ。
そして、若者世代というのは既存のメディア(テレビ)にある一定の不信感を持っているのだというのですよ。つまりは、嘘ばっか報道している。もうちょっというと、テレビは既得権益の人たちに迎合して作られている、ってことだ。そして、そこに更に政治不信がある。政治は自分たち若者の声を代弁してくれる存在ではなく、こちらも既得権益の人たちが牛耳っている。
それよりもSNSで放映されるものの方が真実を語っていると若者は思う。この斉藤君とは関係ないところですでに若者たちの間に漂っていた二つの不信感が、共通の敵である既得権益に嵌められた(と思われる)斉藤君にスコンとハマり、彼を押し上げる逆風が吹いたのであろう。
しかしだな、それは若者世代の話で、大人世代、つまり中高年の特に高年の方はSNSに対して不信感が強い。SNSは誇張や嘘の情報が多いと思っていて、そんなものを見て票を入れる若者に大いなる懸念を抱いている。
「若者はどれが眉唾な情報で、どれが信用に足る情報なのかを判断できない」
だなんておじさまがいうと、若手の方が噛み付いた。
「むしろ、SNSを使い慣れていない中高年の方が信じるに足りない情報を見誤り騙されるのだ」
おう、これぞ 日曜 とーろんである。とーろんしとる。
ちなみに、ここで私はこう思った。ニュースもSNSも参考になるけれど、真実というのは誰の立場になってみるかで幾通りもある。テレビのニュースは嘘はついてないけれど、この世の全ての出来事を映しているわけじゃなくて、テレビが映さないことというのがあって、その取捨選択によって緩やかにであるが我々の思想を操っている。そんな我々は現代において、テレビが映してくれない真実を求めればネットに飛び込んでみたいものを見ればいい。ただしその情報は偏っている。自分が信じたいものだけを選んで、大量に見て、人間はこれでは尖ってゆく。
私にしてみれば、テレビもSNSも50歩100歩である。この現代は便利ではあるが、情報過多である。栄養も摂り過ぎれば成人病になるし、情報も取り過ぎれば病気になるだろう。心の病気だ。
ここでさらに、一見御しやすそうに見えて、めっちゃ捻くれ者の人間として発言して終わろうか。(嘘じゃない。私は害のない羊のように見えるのだ)
人間が、情報によりその行動や意思決定をある程度操作されて生きているという状態は、SNSが誕生したから発生しているわけでも、AIがフェイク画像を作成するようになったから発生しているわけでもない。
織田信長が現代に生きていたら、SNSをみて、これは便利な武器だなといち早く研究し前線で利用しまくっているだろうという話だ。大衆を騙すというのは立派な戦術なのである。どの時代の権力者もやってきた。三国志の赤壁の戦いだったか?夜にたくさんの松明を地面に刺して敵に向かって雄叫びをあげ、それを見た敵は松明の数の多さに恐れ慄き戦わずして後退したが、本当は松明の数が多かっただけで、兵士の数は大したことなかったのである。
フェイク画像なんて、こんなようなものだ。もちろん騙されない方がいい。斉藤君を悪者と言った人が大衆を騙したのか、或いは斉藤君が大衆を騙したのかどっちかは知らない。大衆はそんなもんに騙されない方がいい。しかし、長い歴史の中で何度も何度も大衆は騙されながら、騙されたことに気づき怒り、騙したやつをぶちのめしながら行きつ戻りつしつつ今までやってきてるのだ。
今は民主主義の時代だから、権力者に対して無力な民衆が一方的に騙されるなんてことは、過去の時代と比べてまだ少ないのだろうと思う。
思う、思う、思うんだけど、それと同時に私は心の一部に懐疑的な疑問をずっと持ってる。
昔と比べて、例えば江戸時代と比べて、本当に現代の方がマシな世の中なのか?過労死したり、電車に飛び込んでしまう人がいるのに?
情報の話から逸れてしまったので少し戻す。
自分はもう長年中国に住んでるが、この国でなんかいいことがあっても日本では報道されず、何か悪いことがあった時にはやたらめったらニュースになる。その悪いニュースは嘘のニュースではないのだけど、悪いニュースばっか何度もやるので、日本にいて中国を知らない人たちの中では中国は実際以上に悪く見えているようだ。
テレビのニュースにも新聞にも、こういう傾向はあるのである。ニュースは参考にはなるが、ニュースにならないところにも、まぁ、ニュースはあるのだ。全体を公平に見ないと判断は歪むか偏る。これは、普通に起こっていることだ。日本だけではなくて、他の国だって同じようなものだろう。
私たちの思考や判断の根拠とする情報なんて、大抵の人はまだまだ狭いのである。皮肉な話だ。これだけ情報が手に入る時代なのに、その一方、情報はまだ足りていないということだ。それは、自分たちは見たくないものは見ないし、読みたくないものは読まない。本能が手に入れようとする情報を取捨選択し、そしてまた、皆が見たくないものは供給されないから起こる現象である。
つまりは言いたいことはこういうことだ。ニュースや新聞やSNSやネット動画の外に、本当の世界は広がっているということだ。そこ(他人によってもたらされた情報)に真実を求めすぎるからいけない。
真実は玄関でスニーカーを履いて、ドアを開けたその外に広がっている。自分の目で見て耳で聞いて、実際に経験し感じたものにはニュースも新聞もSNSも動画も勝てないのである。これがきっと現代という超情報化社会の落とし穴なのだろう。
2024.11.26
汪海妹
追記:斉藤君、ごめんな。友達でもないのに君付けで呼んで。有名な人を勝手に君付けで呼ぶのが、最近マイブームなんだよ。許しておくれ。