短編小説:Mission code#HI_2022.07.31
この話は 木漏れ日② の番外編です。
休日の昼下がり東京のとある電車の座席に
若い二人が並んで腰掛けている。
電車の中はそんなに混んでいない。
隣同士に座って、特に何か話すわけでもなくぼんやりと電車の窓の外の飛び去っていく風景を眺めている男女。
電車は川の上に差し掛かった。
すると、男女の対面の席に座っていた何の変哲もないおじさんが不意にむくりと立ち上がりつり革につかまりつつ二人の前に立つ。ぼんやりとしてた二人は突然目の前に立った男をみるとはなしに見た。
「やっぱり!あんた!」
おじさんは不意にそんな声を出すと、男女の女性の方を指差す。指さされた女性はポカンとした。
「なに?知り合い?」
「いや、知らない人」
男が女に聞くと、女性がそう答える。おじさんは今度は隣の男性をじっと見る。じっと……。
「あの、なにか?」
「あんた、よく見てみたらあの夜の生贄!」
「へ?」
生贄という言葉に女の顔色が変わる。
「あ……」
「思い出したか?サーターアンダーギーの開祖」
チーン
むくり、今度は女が座席を立ち上がる。
「春菜?」
彼氏の呼びかけをそのままにそのおっさんの腕をぐいとひき、ちょっと離れた窓際による女性。ヒソヒソと会話を始める。
「何かと思えば、タクシーの」
「こんなとこで会うなんて奇遇だな」
「もう二度と会うことなんてないと思ってたのに」
「まぁ、そういうなって。それよりあんた」
失礼なことにピシピシ肩を叩いてくるおっさん。恐れ多くもサーターアンダーギーの開祖の肩を。
「ほんっとに当たったんだよ」
「なにが」
「万馬券とまでは行かなかったけどさ」
「……」
「いや、もうびっくりしたのなんのって」
「それは……」
「それは?」
「おじさんのもともと持っていた運が良かっただけです」
「へ?」
「それでは、ナームー」
乙女みたいにキャピキャピしているおっさんに仏頂面で両手を合わせて軽くお辞儀をすると、踵を返して彼氏の横に戻ろうとする。しかし、はしっと腕が掴まれた。少し離れたところでじとっと彼氏が見ているのにもおっさん気付かず、キャピキャピしている。
「いやいやいや、あの時だってお嬢ちゃんはっきり言ってたじゃない。手伝えば万馬券ってさ」
「……」
「あの時は半信半疑だったからあまり身を入れてなかったけどさ。だから、結局は万馬券にならなかったけど、今日ならきちんとやるぜ。なんかないか?手伝って欲しいこと」
「……」
お中元をもらいました。なんだろとワクワクしました。開けてみました。がっかりしました。そんな顔でおっさんを見ている女性。しかし、不意に軽く目を瞑るとこほんと咳払いをした。それから、女神のような笑顔をする。やればできるじゃねえか。春菜。そして、おじさんの両手に優しくそっと自分の両手で触れた。
「サーターアンダーギーのご加護は、目に見えないですが、至る所に存在しています。あなたがその見えないものを心から信じ、その存在を感じようとさえすれば」
「感じようとさえすれば?」
「自ずと自らのとらねばならない道が見え、そして、その道を迷わずとり進んでいけば、そこにサーターアンダーギーのご加護を得る出来事がいくらでも現れてくるでしょう」
「つまり、万馬券があたる?」
「当たらなかったからといって怒ってはなりません。怒りは悪なのです。心を平穏に。もし、外れれば、それは心を平穏に保てなかったからだと自分を諭すのです。おのれを厳しく律し、突き進む先には……」
「万馬券が」
「ええ、万馬券が」
かたんかたんと電車は揺れる。川の土手を犬と一緒に走る人がいる。そんなのどかな風景の向こうのほうを春菜は指差す。おっさんも見る。
「なんの話?」
ふっと後ろを振り返ると、説明を求める中川さんがいる。
「あ、その、これはえーと」
「こちらの人、どなた?」
「えーと」
「あの日、ベロベロに酔っ払ってたもんなぁ」
訥々とおっさんが言う。
「え?僕、お会いしてましたっけ?」
「俺、運んでやったんだよ」
「ああっ」
春菜、声をあげて会話を遮る。
「なんだ、今は上司ではないのか?お嬢ちゃん」
「いや、今も上司ですけど」
春菜の代わりに答える中川崇。
「ま、もう、済んだことはいいじゃないですか。ね、おじさんも」
「なんで上司と部下が休みの日に休みの格好で一緒に電車に乗ってんだ?」
「それは見ず知らずのあなたに説明しなければならないことですか?」
男同士で歪み合うのなら、もう少し美青年とやっていただきたい。
おっさんと歪みあっても絵にならんだろ。中川崇。
電車が駅に止まる。
「あ、着きました。着きましたヨー」
プシュー
ドアが開いたところで彼氏の手を引っ張って電車を降りた。
「あっ!じゃあな、この前はありがとなー」
慌てて降りてく春菜と崇くんに声をかけるおっさん。
ドアは閉まり、電車は行ってしまった。
「ね、なんか今、あの人、電車の中から両手合わせてこっちのこと拝んでたけど」
「あー」
「一体、どういう知り合い?」
「うーんと」
「つうか、なんで途中でわざわざ降りたの?」
「それは……」
これは、もしかして、サーターアンダーギーの呪いなんだろうか?ミゲールとはもう縁が切れたはずなんだけどと思う飯塚春菜。
東京都内にある
とある外食系企業のオフィス(24階)
おじさんと20代くらいの若い女の子が働いている
内勤は楽である。ただし、他の部署の人に、例えば外回りの人とかね、お前らは暑い日も寒い日もエアコンの効いた屋内で毎日毎日同じ仕事をしていればいいんだから楽だよな、と蔑まれることもあります。でもね、内勤でも繁忙の時には山のような書類をせっせと片付けなければならない。内勤なめんな。お前から見たら簡単そうに見える仕事をじゃあやってみろ。毎日毎日鍛えた10キーの入力スピードがなければ、お前、わたしの3倍かかるから。いや、5倍?しかも、絶対、数字間違えて入力するから。
「三原ちゃん」
「はい?」
誰に向かっての呪いの文句なのか知らないが、つい心でぶつぶつと唱えていた女子。薄毛の気の弱そうなおじさんに呼ばれる。
「ちょっと手が空いていたら手伝ってほしいことが」
「あ、はいはい」
おじさんは経理の担当で、元銀行員でした。いろいろなことを知っています。三原ちゃんは人事の担当なのですが、小さな会社のこと、おじさんでは手の回らない経理周りのこともよく手伝っています。せっかくだからと最近隙間時間に簿記の勉強も始めました。
頼まれた経費の集計とチェックをしていると、スマホが震える。
覗きました。勤務中ですけどね。
サオリからラインが入った。
開いてみると、なんか新しいグループが立ち上げられている。
グループ名を見る。
Mission code#HI
なんだこりゃ?
グループのメンバーを見る。野田くんと自分とサオリ。
あれ?春菜ちゃんがいない。
なんだこりゃ?
再び思う。
……なに?これ
勤務中ですけどね。書き込んでみた。
……詳しいことは後で。今晩集合
サオリから集合場所が送られてくる。会社の近くの洋食屋さんでした。グラタンが美味しいんだ。ここは。
「え……」
今日は残業がない日、定時で上がって家でのんびりしようとしてました。強引だな。サオリ。
勤務中にスマホを覗くときは、手に持ってはなりません。机の上に置いてパソコンの画面見ているふりしながら覗き込むんです。
……OKはOKだけど、みんなは何時ぐらいになるの?
自分が1番早くなりそうなので入れてみた。
……できるだけ早く行く。大輔も今日は誰にもつかまんな
野田くんからはうんともすんともない。野田くんってそんないっつもスマホ気にしてる人じゃないんだよな。そんなこと考えながら、ついつい画面を覗いていると……
「ただいま戻りましたー」
春菜ちゃんが帰ってきました。おっと。顔をあげスマホをパタリと裏返した。
「おかえり」
そういえばどうして春菜ちゃん抜きなんだろ。
答えの出ないまま、頼まれたデータの集計に取り掛かりました。
夜、とある洋食屋さんで
綺麗な女の子と家庭的なかわいい感じの女の子が
オムライスと煮込みハンバーグを前にしている。
「ちょっと大輔、まだ?」
綺麗な女の子が、フォークをぎゅっと片手に握った状態で、イライラとしながらスマホをもう一方の手に持って電話している。
「え、何じゃないわよ。ライン見てないの?」
三原ちゃんが怒っているサオリをじっと上目遣いに見ながら、アイスミルクティーを飲んでいます。ここのアイスミルクティーは濃いめに出した紅茶で作るのが特徴です。
「とにかく来い。ダッシュだ」
そう言って切った。
「なんか、部活の先輩みたいだね」
「ん?」
ダッシュなんて単語、きっと三原ちゃんは一生使わないでしょう。でも、偉そうにそんなものを使っている自分を思い浮かべてみた。
それは過ぎ去った学生時代。
自分は文化部にばっか所属してたけど、花形の運動部にちょっと憧れていたところもあったんです。
例えばテニス部。ほっそりとした足にあのテニスの短いスカート履いて、ラケット片手に
「ちょっと一年、喉渇いちゃった。ジュース買ってこい」
肩をラケットでトントンと叩きながら偉そうにいう異次元な自分を思い浮かべてみる。その顔は日焼けしている。肩にはタオルをかけていて、汗を拭ったりしているわけだ。
「はーい」
「チンタラするなぁ。ダッシュだ」
ぴゅっと走り出す。脱兎のような一年生。ちょっとかわいいな。
いいな偉そうな自分。ちょっとうっとりしてみた。
そして、他愛もない妄想から現実へ戻る三原ちゃん。
「ね、サオリ、このMission code#HI のHIってなに?」
「ハルナ イイズカ」
「へ?」
まさかの同僚の名前、フルネームでした。
ミッション……
暗殺?
「なんで?何も悪いことしてないのに」
「いや、だからだよ」
「ん?」
するとからーんとお店の木製のドアを押す長身の影。お店の中を見回すと二人を見つけてこちらへ歩み寄ってくる。
「お、予想より速かったな」
まるでタイムでも測っていたかのように腕時計を確認するサオリ。
「いや……、ごめん。全然……スマホ、みてなくて……」
野田くん……、息、切らしてるし。
「え、野田くん、本当に走ってきたの?」
「ん?いや、ダッシュって言われたし」
「でも、それで本当に都内をスーツ姿で走ってきたの?」
「……ダメだったかな?」
周りの人(←他の通行人)に迷惑をかけたかもしれないとちょっと青ざめる青年。
「いや、ダメっていうか。もうサオリ、野田くんには変な言い方しちゃダメだよ」
隣の女子の半袖から出ている生腕をペチリと叩く。
「いや、ダッシュはダッシュだ」
「もう」
見た目に反して割と体育会系のサオリ。
「それではメンバーも揃ったことだし」
「ちょっとお水くらい飲ませてあげてよ」
女子力の高い女子、三原千里に話の腰を折られる俺俺女子、サオリ。しかし、ここは素直に大輔がお店のウェイトレスが置いてくれたお冷を飲むのを腕組みをしながら眺めました。
「それではメンバーも揃ったことだし始めます」
「よろしくお願いします」
ちょこんと頭を下げる三原と野田。
「実は昨今わが同僚HIことハルナイイズカにとある疑惑が浮かび上がっております。千里、大輔に話してあげて」
ほっそりとした指でくいっと三原ちゃんを促すサオリ。促された三原ちゃん女の子らしく顔の前で両手を合わせて上目遣いに二人を一旦みるポーズでしばし止まる。
「あのね」
女の子の話は大体があのねから始まるのだ。あのねシリーズ。
「どうも春菜ちゃん、ここだけの話なんだけど」
そして、ここだけの話で井戸端会議の様相を醸し始める。
「どうも」
「どうも?」
おばさんよろしく話に引き込まれている野田大輔。
「不倫してるみたいなの」
「ええっ」
大袈裟に驚く野田大輔。
「いや、まさか、あのづかちゃんが?」
「驚きでしょ?」
「それでだ。どう考えても不倫なんて春菜にとっていいことではない。正しい道へ戻そう。これが、このミッションの目的である」
「え、そうなの?」
「そうだ」
なるほどそうかとサオリの言葉に納得する二人。
「それにしても一体どこの誰と……。証券会社の男だってことはわかってるんだけど」
「はい」
「三原千里」
なぜか学生のように小さく手を挙げる三原千里。そしてそれを先生のように指す鈴木沙織。
「これは野田くんもサオリも知らないと思うんだけど」
また女の子らしく口元に両手を合わせてひそひそ声で身を乗り出す三原ちゃん。釣られて残りの二人もやや前のめりになる。
「春菜ちゃん、最近、どうやら不倫しているだけじゃなくてね、新興宗教にはまってるっぽいのよ」
「ええっ」
大袈裟に驚く野田大輔再び。
「わたしと小松さんが妙なお祈りをするところを見てて、それで心配して中川さんに相談したの」
「うん」
「中川さんが春菜ちゃんに直接聞いたら、別に宗教じゃないって言われたんだって」
「うんうん」
「だけど、それは誤魔かしただけで、本当は今も」
「なんて宗教?」
「うーん、それはわからないんだけどさぁ」
みんな、ちょっと深刻な顔になる。
「ね、その相手の人も同じ宗教に入っている人なんじゃないかな」
「あー」
3人の頭の中で、365日、お気楽ご気楽で過ごしているように見える飯塚春菜の頭上に今、暗雲が垂れ込め始めております。
「春菜にそんなの、似合わないよ」
「うん、似合わないね」
「きっと一時的にその相手の男に騙されてるだけだよ」
「恋は盲目っていうしね」
「だから、正しい道へ戻させよう」
「どうやって?」
「……」
そこで3人固まった。
「とりあえず、食べよう。大輔も何か頼め」
メニューをバシッと渡す。そして、女二人はやや冷めた食事に箸をつける。腹が減っては戦はできぬといいますしね。野田くんは男の子らしくというかなんというか、ミックスグリルを頼んだ。肉が数種類鉄板にのってくるやつだ。ソーセージとチキンと牛肉が焼かれてもちろんフライドポテトがのり、人参とブロッコリーも付け合わせでついてきた。
「千里」
「え、あ、ありがとう」
なぜか、持ち主に断りもせずにその鉄板から熱々のフライドポテトをいくつか三原ちゃんのライスの皿に載せるサオリ。それに続いて自分の皿にも数本のせる。勝手にそんなことをされても微塵も怒らない野田くん。
「ポテト欲しいの?頼もうか」
「いいや、だめだ。絶対に」
「ん?」
「美味しいけど、ポテトはだめだ。だけど目の前にあるとどうしても食べたくなる。だから、もらった」
「ああ、はい」
女の子もなかなか大変だなと思いながら、チキンを切る。この人ももと高級レストランのウェイター、フォークとナイフの扱いは手慣れたものです。チキンの皮の焼き加減はなかなかではないかと思いながらキコキコ。
「男には男だ」
「ん?」
さおり、この人の話はいつも唐突に始まる。凡人にはわかりません。
「飲もう。アルコールが入った方がきっとこういう時はいい。すみませーん」
「ん?」
勝手にピッチャーでビールを頼んでしまった。アサヒスーパードライ*1。
「千里は何か飲みやすいもの頼みなさい」
「わかった」
「え、それ、二人で飲むの?」
今日は平日です。若干眉間に皺のよる野田大輔。ぎろりとにらむサオリ。
「このくらいで何をいう」
「いや、でも……」
「大輔、全然ダメってわけじゃないでしょう?」
「それはそうだけど、でも、飲まなきゃいけない時ってわけじゃ」
「いや、今日だって飲まなきゃいけない日だっ!カンパーイ」
話しながらジョッキに二つビールを注ぐと、野田くんがジョッキに手をかけてもいないのに強引にガチリとジョッキを合わすサオリ。ぐびっと飲む。
「ちょっと!まだわたしのが来てない」
一緒のタイミングで乾杯したかったらしい。三原ちゃんがぷりぷりしている。
「あ、ごめん」
フライング乾杯と名付けよう。飲兵衛が他の人を待てずにたまにやってしまう失態である。
「で、男に男とは」
「簡単だ。新しい男を紹介して古い男と手を切らせる」
「えー」
弱々しくええと言ってみました。野田くん。三原ちゃんものる。
「それなら、思い切りいい男じゃないとね」
「そうだ。調達しろ。大輔」
こういう流れに絶対なると思ってたよね。
「そんな簡単にくっついてるものを引っぺがして、新しいものとくっつけることはできないよっ」
抗議の声を上げてみた。あろうことか、ひゃっひゃっひゃっと女二人笑う。
「上手いこと言うな」
「ほんとだねー」
そこに三原ちゃんの頼んだカシスウーロンが届く。
「あ、きたきた」
「さぁ、のめのめ」
「カンパーイ」
「ぐびっといけ、ぐびっと」
「……」
HI こと ハルナイイズカの進退をめぐって大いに憂慮する会のはずが、なぜか純朴な青年に酒を飲ませる会にすり替わる。
「で、だな。その方法論だが」
「ふむふむ」
「いや、続くんですか?その話」
乗り気でない1名と、前向きな2名、見つめ合う。
「じゃ、何か?大輔は春菜がどんどん不幸になってもいいと思っているのか?」
「いや、そういう訳じゃないけど……。でも、それはづかちゃんとその相手の問題であってさ」
するとサオリ、一生懸命新しい金融商品を顧客に薦める銀行員のように両手を出して大輔に語りかける。
「そんな、別に、好き合ってるのを無理矢理に引き裂くような話ではないんだよ」
そして、とんとジョッキの底をテーブルに軽くぶつけると……、あろうことかビールをジョッキでいっきに飲んだ。
「おお〜」
「いや、ええ?ええ〜?」
美人の一気飲み。希少なものを拝ませていただきました。
「いや、今、令和だし。昭和じゃないし」
「なんのこと?」
「一気飲みなんて、前時代の遺物だから。体に悪いから」
ハラスメントに過剰に反応する人である。野田大輔。しかし、自分から飲んでんだからハラスじゃないけどね。
「だからだな」
あ、目が据わったと、残りの二人が同時に思う。
「ここはじわじわといく。焦ってはいけない」
「はい」
「まずは、出会い。出会いなのだ」
「……」
なんだかサオリってこう言う人だと思わなかったよなと思いつつ、真面目に聞く二人。
「色々考えたんだけどさー」
「考えたんだ……」
「やっぱいきなり泊りがけというのは無理かなと」
「いやいやいやいや」
ねぇねぇねぇだろ、それは。ドン引きしている野田くん。
「でもやっぱり泊りだろと」
世の中の女子は現代社会にたくさんの肉食男子が生き残っていると思っているらしい。しかしだな。恐竜の絶滅と一緒で、肉食男子は現在希少なのです。雑食か草食の男子にとってこの無茶な流れは……。
「なんで?」
「ショートカットだ。できるだけ早く春菜を安全な場所へ導きたい。まどろっこしいことはやってられない」
「いや、でも、なんだか、ちょっと……」
調達しろと言われている以上、口は出す。どっから調達しろというのだ、こんなミッションの受け手を。
「ま、聞け」
「はい」
「みんなで食事して連絡先交換なんてチンタラとしたことはやってられない」
「……」
「だからと言ってみんなで泊りがけにどっか行くというのもちょっとやりすぎかなと」
「はぁ」
「だから、ホームパーティーをする」
「……」
本来なら、ホームパーティーと言われると、エプロンかけた(フリル付き)美人な奥さんが次から次と見事な料理をどんどこ持ってくる。家主は美人な奥さんとこ綺麗な我が家と奥さんの料理を自慢しながら、
「このワインは年代物でね」
なんてたいして分かりもしないくせにワインを語り、
「まず香りを嗅いでいただきたい。チョコレートのような香りがうっすらとしませんか?」
的な蘊蓄を語るのである。
しかしだな、目の据わったサオリがこの流れでホームパーティーと言った時、全然違う光景が、むしろ隠微な……。半透明なピンクの膜がかかったような18禁のやばい光景だ。それが漠然と野田大輔の頭に浮かぶ……。
「泊りがけの?」
無邪気に問いかける三原ちゃん。
「うん」
「どこで?」
「うちで」
「そんなみんなで押しかけて大丈夫なの?」
「うちは広いよ」
「え、そうなの?」
「今、住んでんの、親の持ち物だから。ファミリータイプなの」
「あ、そうなんだ」
淡々と普通の会話が進む中、野田くんだけが、地獄のピンクなホームパーティーを思い浮かべている。
野田くん、でもね、いくらサオリがちょっとぶっ飛んでる俺俺女子だからと言って、所詮は女子。
やっぱり男の子と脳の回路は違うんです。そんなアダルトビデオみたいなこと、考えてないって。残念ながら。
「ご飯作るの?」
「そこはややこしいからテークアウトしよう」
「ふうん」
「で、部屋を暗くして」
来た!やっぱり!と野田くんだけが緊張する。
そっから、やっぱり、あれか?あれなのか?
「ホラー映画を見るんだ」
チーン
野田くん、だから言ったでしょ?女の子の脳の回路は男の子とは違うんだって。
「えー、なんでー?」
「吊り橋効果だ」
「吊り橋?」
「男女で怖いことやってると、一緒にいる男子が頼り甲斐があるように見えたりするものらしい」
「ふうん」
そして、その後、ちょっと目をキラキラさせる三原ちゃん。
「なんか学生時代に戻ったみたい。お泊まりだー」
嬉しそうにしている。
「ね、パジャマパーティーだね」
「パジャマパーティー?」
「サオリ子供の頃やらなかった?お泊まりといえばさ、みんなパジャマでさ」
そこで野田大輔追加注文をするわけでもないが、ばっとメニューを立てて二人から顔を隠した。
それは……、反射的に三原ちゃんのパジャマ姿を想像してニヤリとしてしまったからである。
こういうのは抑えられないものですからね。
「野田くんもパジャマね」
「え、あ、はい」
「男の子はこんなのやらないか」
やりませんね。多分。メニューから目だけ出して答える。野田くん。
「ね、お菓子買ってっていい?」
「遠足じゃないぞ。それより酒だ」
「なんで?」
「ミッションの目的を忘れるな」
「え、じゃ、お菓子はダメなの?」
「別にそれは構わない」
他愛もない話で夜が更けていく。
とある土曜日、とある男性のマンションで
「これ、乾いたらちゃんと取り込んでね」
「え……」
彼女がベランダで洗濯物を干しながらそういうと、ソファーにボケっと座って一週間のニュースをまとめた番組を見ていた男性がテレビから彼女に視線をずらす。
「なんで?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
テキパキと洗濯物の皺を伸ばし慣れた手つきで干しながら彼女がいう。
「今晩はサオリんちに行くんだよ」
「なんで?」
「いや、なんか?みんなで集まって泊りがけで飲むんだって」
「宅飲み?」
「宅飲みだね」
宅飲みという単語とサオリや春菜ちゃんがあんまりしっくりこないよなと思う中川さん。
「サオリってそんな酒飲みだったっけ?」
「飲める人だね」
「だからって、春菜と一緒に飲むの?」
「いや、だからみんなで」
「みんなって?」
春菜ちゃんは手を止めて中川さんの方に向き直ると指を折り折り言う。
「サオリ、三原ちゃん、野田くん」
「野田くん?」
「うん」
野田くんの名前を聞いて、崇くん、姿勢を正す。
「それと」
「それと?」
指を折り折り面子を教えていた春菜ちゃん、崇くんの声の調子におやと彼の顔を見る。それから続ける。
「瀬川くん」
「瀬川くん?」
「……」
やっぱりちょっと声がきんとしているような……。
ちなみに瀬川くんもフォンテーヌの社員です。
「それで全部?」
「ああ、なんかもう一人、サオリの知り合いの男の子が来るって言ってたな」
「3対3ってこと?」
「ああ、そうだね」
「それ、宅飲みじゃなくて宅飲み合コンじゃん」
「……」
たくのみごうこん
そんな単語が日本語の中にあったのだなとのんびり思う春菜ちゃん。彼氏から興味を失い、靴下を左右の手で引っ張って皺を伸ばす。今日も天気が良いのです。洗濯物が気持ち良く乾きそうだ。
「外でご飯食べるのみならず家で飲んでしかも泊まるだなんて」
「だからそんなんじゃないって。なんか中高生のノリなんだって」
「でも、中高生はお酒は飲みません」
「飲む人は飲むよ」
(お酒は20歳をすぎてから飲みましょうね。by汪海妹)
「で、ホラー映画見ようって」
「……」
中川くん、無表情になりました。この人がこういう顔している時は不服な時なのだとだんだん学んできた春菜ちゃん。もう一度干しかけた洗濯物を置いて崇くんの方を見ます。
「ね、ほら、6人中の5人は知ってる人でしょ?ええっと、何パーセントだ?」
「83%」
「じゃあ、いいじゃん。ね」
「春菜に彼氏がいるってみんな知ってんでしょ?なんでそんな合コンめいたものに呼ぶの?」
「だから、合コンじゃ……」
「でも、職場の同期で仲良くなろうってのでもなんか不自然」
「一緒に行く?」
「……」
春菜、もちろん来ないと踏んで声をかけてみる。崇くん、会社では常識人。同世代の集まりに上の世代でしかも上司が参加するわけねだろ。Tシャツをバサバサとする。それから皺を伸ばしてハンガーにかけながら、ちょっと機嫌を取ろうと言葉を続ける。
「はっきりと聞かされてはないけどさ。これには裏があるんだよ」
やっと全部干し終わった。空っぽの洗濯物の籠を持ってリビングに戻るとカラカラと引き戸を閉めてからスタスタ、崇くんの横にストンと座った。
「裏?」
「絶対誰にも言わない?」
「言わない」
「絶対だよ」
「うん」
部屋には他に誰もいないから聞かれる心配なんてないのに崇くんの腕捕まえてピッタリくっつくとひそひそ声で話し始める春菜ちゃん。
「野田くんって三原ちゃんのこと好きなの」
「え……」
「見てて気づかなかった?」
「いや、全然」
ほんとこの人、こういうの疎いなと思う春菜。ま、でも、春菜ちゃんも見てて気づいたわけじゃありませんけどね。
「だから、その二人のための集まりなわけ」
「そうなの?」
「そうそう」
それだけいうと、脱衣所に籠を置くために立ち上がる。戻ってきつつもう一度いう。
「夕方には乾いた洗濯物取り込んでね」
「はいはい」
「シャツにはアイロンかけてね」
「はいはい」
聞いてんのか聞いてないのか生返事。春菜ちゃんちょっとキレた。
「もう、全部自分の服でしょ」
「わかってるって、やりますやります」
「前までどうやって生活してたの?」
「だから必要最小限の家事はしてたんだって」
「今、全然してないよね?」
「いや、してる」
「してない」
春菜ちゃん、いくら好きな人だからってついついなんでもやってあげちゃうとね、自分が損しちゃうのよ。
たくさんの奥様方がおっしゃってます。
男とは、育てるものだ。
君にこの言葉を送ろう。それと、最初が肝心。
「自分にできることは自分でやって。わたし、今、自分の部屋と中川さんの部屋と二倍掃除してるんだよ」
怒ってはいるんですけど、惚れた弱み、怒りきれない春菜ちゃん。春菜、それだと流されるぞ。
「ごめんごめん」
「もう、むっちゃ忙しくなった」
最近残業してないのは、平日に自分の部屋を片付けて、週末に彼氏の部屋を片付けているせいなんです。
「そんなに大変ならさ」
「なに?」
「一緒に暮らす?」
「……」
この時、飯塚春菜の心拍は医学的見地からいっても速くなりました。しかし、病的な原因によるものではない。
「な、な、なんでそんなことを簡単にいうかな」
「でも、いろいろ便利じゃん。家賃も払わないでいいし」
「いや、でも、無理でしょ?」
「無理か」
「無理だよ。さすがに一緒に暮らしてたらみんなにバレる」
の、のどが乾いたと、吃りつつギクシャクと立ち上がり、台所へ向かう春菜ちゃん。
飯塚家はですね。割と古風な家系です。男の人と同棲なんてしているのがバレたら、その日のうちにお母さんと下手したらお父さんまで一緒に新幹線に乗って東京に来るような家庭なんです。そりゃ、世の中はバブルも弾けた21世紀ですが、日本の田舎にはね、まだまだ古風な家庭が残っているんですよ。
やれやれ
がちゃんと冷蔵庫を開けて、麦茶を取り出して、手近なコップに汲んで飲む。人心地着きました。
中川さんの家は、男の子しかいないからさ。だから、女の子が同棲なんて言ったら親がどう騒ぐかとかわからんのだろうな。
で、結局、さっきまで彼氏の怠惰を正そうと、いわば躾を施そうとしていたのですが、まんまと忘れてしまった。
「そういえばなんかパジャマパーティーだぁって三原ちゃんがはしゃいでた」
麦茶を歩き飲みしながら戻ってくる春菜ちゃん。中川さんがもう一度無表情になる。
「パジャマ……」
「女の子はやるんだよ。女の子は。ね、だから、中高生のノリなんだって」
「でも、そこには男子もいますよね?」
「ん?」
「いますよね?」
「だから、今回は男子もパジャマ持ってくんだって」
「……」
いや、そういう問題ではないんです。一瞬くらっときた中川さん。でも、自分は年上なんだから大人の余裕がなくてはならないと、どこぞのアドバイザーの言葉が蘇る。
「どういうパジャマを持ってくの?」
「へ?」
「どういう?」
「いや、そんなたいしたもの用意してないよ。だって、主役は三原ちゃんだしさ」
「たいしたものじゃないってどういうの?」
「だから、昨日の夜着てたのそのまま」
それはパジャマではなくTシャツとショートパンツでした。
「あんなんダメだよ」
「いや、だから、そんな、パジャマで気合い入れてもさ」
「いや、そういうダメじゃなくてさ」
「ん?」
「俺の貸してやる」
「は?」
ポカンとする春菜ちゃん。
「いや、サイズ合わないし、ていうか、わざわざ男物のパジャマ着るなんて……。どんなアピールすか?」
「いや、昨日のはだめ」
「なんで?」
「脚が見える」
「あんなん大したことないじゃん。別に」
「いや、大したことある」
「えー」
春菜には男目線がわからない。スカートから覗いていようが、ショートパンツから覗いていようが、若い女の子の生足は生足なんだよっ。
「じゃ、わかった」
「なにが?」
「出かける時に買ってやる。今夜のパジャマ」
「え……」
「それ持ってけ」
「いや、大袈裟な」
そして、色気も素っ気もないジャージのような服をその後買って持たされた。
春菜は、夏合宿に参加する運動部員かなんかか?と思ったが、ま、別に、主役は三原ちゃんだしいいかと思ってそのタグのついたままの服を受け取ってサオリ宅へ向かった。
とある土曜日、先ほどから半日ほど経った夜半
とある女性のマンションで
飯塚春菜は大人しく彼氏の言うことを聞いてパジャマパーティーなる華麗な集まりにジャージ的なものを持ってきたことを大いに後悔することになる。
「春菜?」
第一印象からは見て取れなかったが随分サバサバした人だなと、この人の女らしさというかなんというか、つい、馬鹿にしていた。しかし、この日のサオリは、違った。黒地のサテンにボタニカル柄。着る人が着ればどこのお女郎かとお下品になりそうなパジャマなのに、サオリが着るとギリギリで怪しく美しい。昼間はどっちかというと知的で清楚なのに夜は違う。この人が美人だということをうっかりちゃっかり忘れてました。
ジャージ着てる春菜と月とすっぽんである。
「あ、ジャージ、わたしも好き。着るよー」
いや、三原ちゃん、それは嘘でしょ?
そう言っている三原ちゃんは淡いピンクのコットンのネグリジェで、小花柄です。女の子らしい三原ちゃんにピッタリの……。いや、でもね、春菜ちゃんだって普段はまだ可愛い格好してるんですよ。だって女の子だし。
でも、今日は……、ジャージ。
最近彼氏ができたばかりとはお世辞にも見えない、どこぞの干物娘*2だ。
「なんかどっちかっていうと、俺ら側だな」
ぼそっと瀬川くんに言われてしまった。ちなみに瀬川くんと野田くんはフツーの格好してた。Tシャツにハーフパンツ。
「いやっ、これには深い訳がっ」
女子としての名誉回復に乗り出す春菜。
「ごくせん*3が好きだとかか?」
淡々と突っ込む瀬川くん。
「ちがーう」
「じゃ、なんなんだよ」
「彼氏にこれ着てけって言われたんだよ」
「え……」
サオリはあからさまに眉を顰め、瀬川くんもちょっとひき、そんな二人の間でみんなの顔を見回しながら困ってる野田くんと三原ちゃん。
「着るもんいちいち指定すんの?独占欲、つよっ」
「……」
「あ、いや、それだけ愛されてるってことじゃん。ね?ね?」
歯にきぬ着せない瀬川に慌てて場を取りつくろうとする三原。その中でサオリはしばし眉を顰めていたが、少しそのきつい顔を引っ込めると、そっと春菜の両肩に手をのせ優しく言った。
「春菜」
「はい」
「春菜はそれでよかったの?」
「えっと……」
自分は脇役だからどうでもよかった。まさかみんなが可愛い格好してくると思ってませんでした。
「本当はジャージじゃなくて別のものを着たかったんじゃないの?」
「えっと……」
今となってはせめていっつも着てるぐらいの格好はしてたかったな。あれなら、さすがにここまでけちょんけちょんに言われることはなかったろうに。
「そんなっ、自分のやりたいこととか言いたいこと我慢して相手の言うこと聞くなんて春菜らしくないっ」
突然エキサイトし出すサオリ。なんだなんだなんだ?びびる春菜。
「ま、ま、落ち着いてさおり」
やばいと思った野田くんがサオリを春菜から引っ剥がそうとする、その時。
ピンポーン
「あ……」
一堂止まる。
「え、だれ?」
「忘れてた」
スリッパをペタペタと玄関へ向かうサオリ。
そしてみんなも思い出した。もう一人男の子が来るはず。サオリの知り合いだと言ってましたよ。
「ちょっ、STOP、STOOOP!」
そして、玄関の方でガタンという音と騒いでいるサオリの声が。
え?何?押し込み強盗か何かか!
反射神経の違いでそれぞれ遅れは出たが、(瀬川→春菜→野田→三原)皆バタバタと玄関へゆく。
するとそこに、金髪で青い目の押し込み強盗が、サオリを床に押し倒しておりました。
ん?
しばし見つめ合う強盗と4人。床に可愛い花束が転がってました。
金髪に青い目のなかなかのイケメン。もちろん、日本人ではない。同い年ぐらいの子です。
別に目出し帽とか被ってないし、ジーンズにTシャツの普通の外国人の若い子だよ。
これは……、強盗ではないのかもしれない。
「Steve」
サオリが自分の上に覆いかぶさってる男の子を睨んだ。
「Oh、sorry,sorry」
突然パッとサオリから飛び退くと、傍の床の上に這いつくばって縮こまる。亀のようだ。それからひたすら謝り続ける。
「Unbelievable……」
サオリが倒されていた上半身を起こし、こめかみを抑えて目をつむりイライラとつぶやいた。どういう状況なのかわからない4人だったが、しかし、なんとなく、この亀の男の子に同情した。
「大丈夫。大丈夫だから」
そっと近寄って亀の子を起こす野田大輔。ちなみに咄嗟に英語は出てこない。
「こっちおいで。ええっと、come」
そして、手負いの捕虜を囲み、みんなで元いたリビングに移動する。瀬川くんが転がってた花束を拾った。
サオリが、親方のように、ま、この家の家主でもありますし、ソファにどかっと座り、その脇に三原ちゃんがちょこんと座る。ちょっと離れた床のラグの上に捕虜を座らせる。親方の斜め脇、そこそこに距離をとり、その傍らには労わるように野田くんがつく。そして、残りの二人、つまりは瀬川と春菜だが、どっちかといえばサオリ寄りのラグの上に春菜が座り、どっちかといえば野田くんよりのラグの上に瀬川くんが座りました。
「この人は……」
「Steve」
「サオリの友達か」
「高校の時の同級生」
「ほぉ」
皆でSteveを見る。
「なんで日本に?」
「日本勤務になったのよ。今年から」
ちなみに実はSteve、サオリのいる日本に来るために会社を選び、日本駐在希望をせっせと社内で掲げていたらしい。ここだけの話。
「元カレかなんか?」
聞きにくいことをズバッと聞いたのはもちろんこの人、春菜ちゃん。
「んなわけないでしょっ!」
鋭く否定された。皆、同時にSteveを気にする。この子、日本語わからないよね?わからなくあってくれと、その時その場の人たちが思ったのはいうまでもない。
「もうっ、信じらんない、まったく」
まだ、怒ってるサオリ。ビクビクしているSteveを心なしかイライラしているサオリの目線から背中に庇いつつ、野田大輔が事情聴取を始める。
「普段からちょくちょく会ってるの?二人は」
「いいや」
「じゃあ、今日会ったのは……」
「大学の時に何回か日本に遊びに来てたからその時は会ったけど。でも、社会人なってからは初めて」
「で、なんて言って呼び出したの?」
「来い」
「みんなでパーティーするからって?」
「いや、何時にうちに来いって」
チーン
なんとなく事情を察する四人。
つまりは、見るからになんだかサオリにぞっこんなこの男の子はですな。
長い間会えていなかった想い人に突然自宅にそれも夜に呼び出された。
お花買って飛んできたわけだ。そして、玄関を開けたら、この格好だよ!おい!
奥にギャラリーがいることも知らない、呼び出された理由も聞かされてない、それでおそらくSteveの気持ちは昔っから、それこそ高校生の頃からバレバレだったのではないか?
そりゃ、あんた……
「俺、心が痛い……」
同じ男としていたく感じいってしまった瀬川くん。成り行きで拾ってしまった花束に顔を埋めた。みんなもビミョーにビミョーな雰囲気に。そんな時にジャージ姿の干物娘が立ち上がる。
「さ、メンツが揃ったよ。のものも」
それからSteveの脇にしゃがみ込みきいた。
「Do you drink what?」
春菜ちゃん、英語はそうではない。そうではないはずだ。案の定、Steveきょとんとして通じない。
「Drink ええっと アルコール、ビール、ワイン、焼酎?」
いや、途中から日本語だけど。しかし、ジェスチャーを交えて少し通じた感がある。
「Drink?」
「そーそー、おいで」
しょぼんと座ってたのを腕引っ張って立たせて台所へてくてくとゆく。冷蔵庫を開けるとそこにはみんなで買って冷やしておいたビールがあるのである。そんな二人をちょっと離れたところで見ていたサオリ、
「ちょっといい感じじゃん」
みんな、心の中でえーっと思ったよね。三原ちゃんが弱々しくいう。
「いや、サオリ、あれは……」
どっからどう見ても、幼稚園で年下の男の子が怪我をしてしまって、養護室へ連れて行くお姉さんである。三原ちゃん、苦笑いする。つうか、あなた、どっからどう見てもあなたしか見えていないようなしかも外人、春菜ちゃんに紹介しようとしてたんかい!
「俺、心が痛い……」
「なんだ、なんだ、どうしたぁ」
サオリの鬼っぷりにもう一度ゲンナリした瀬川くん。やる気のない男子に喝を入れる俺俺女子、サオリ。
「ほらほら盛り上がってこ。お酒、持ってきたよ」
後ろに召使のように金髪碧眼の男の子従えて干物娘戻る。お盆にグラスと氷の入ったピッチャーとビールの缶やお酒の瓶が載っております。それから、デリバリーで届いたピザやらなんやらをつまみに宴会が始まった。
「おいしい?」
「?」
「えっと、ブオノ?いたっ」
「それはイタリア語だっつの」
果敢に攻める春菜、瀬川くんに叩かれた。瀬川くん、春菜ちゃんを叩くと中川さんに怒られますよ。ま、知らないか。
「ボン?」
「フランス語だっつうの」
「しょうがないじゃん。フレンチかイタリアンのレストランで働いているんだからさっ」
そんな二人を見ていたSteve、笑ってからこう言った。
「ヤミー」
「なぬ、闇?」
「美味しいって意味だよ」
「え、デリシャスじゃないの?」
「スラングだ」
「おお、闇ー」
いや、なんか違うぞ。春菜。しかし、ま、皆喜んでいるようだし、よしとするか。
そして、皆ソファーからおりて鈴木家の広めのリビングのラグの上に思い思いに座り、ローテーブルを囲んで丸くなる。しばらく飲み食いしたところで、それではとサオリがテレビをつける。でかいテレビだよ。
サオリが準備していたホラーは日本のものでした。
「これ、Steveわかるの?」
「別にSteveはメインじゃないし」
「いや、かわいそう。英語のないの?」
「ああ、待て待て、これ、英語字幕がある」
春菜ちゃん、すっかりお姉さんの気分なのかあれやこれやとSteveを気にかける。
そして、ホラー開幕。吊り橋効果やいかに?
「ギャヤアア、NOOOOOOO、オー」
吊り橋を揺らしたのは……、
Steveだった……。
「大丈夫だって、ほら、これ、偽物、偽物。フェイク、フェイク」
春菜にしがみつき最後には背中に顔をくっつけて画面を見ようとしなくなった。自分より体のおっきい弟できたな、春菜。
(実際、春菜ちゃんには弟がいるんですけどね)
それを見てみんな、この人、顔はかっこいいのになんだか残念なイケメンだなと言葉には出さないがもちろん思った。
「ね、サオリ、Steveも怖がってるし、もっとアクション系とかなんか楽しく見られるのにしたら?」
「いや、見てる途中でかえたくない。これは最後まで見る」
お女郎改め、花魁?っぽい今日のサオリ、じわじわとくる日本のホラーに全く動じない。やれやれ。
「ね、じゃ、Steve、この映画が終わるまでお散歩行こう」
「What?」
「You and me walking」
Walking という単語に合わせて指四本でトコトコとした。通じたようだ。
「春菜、その格好でいくの?」
「いや、別に全然、こういう時のためのジャージだし」
とうとう開き直る春菜。そうだ!ジャージをなめんな。便利だぞ。
そして、仲良くおてて繋いででてった、二人。どこをどう散歩するんだろうな。
その二人の背中を見ながら、腕を組み、しみじみと声を上げるサオリ。
「いや、当初の予定と別の方向に行ったけど、とりあえず吊り橋効果があったんじゃ……。ねぇ」
三原ちゃんと野田くんがガックリと肩を落とす。
「いや、サオリ、さっきから言ってるけど、あれは違う、あれは」
「え、でも、手、繋いでたよ」
「でも、違う」
二人で同時に弱々しく首を振る。
例えば道端で通り過ぎる事情を知らない通行人の人が二人を見たら、あら、外国人の男の子と若い女の子のカップルだなと思うかもしれません。しれませんけどね、それは、今日結ばれた姉と弟の絆だから。
横で、黙ってビール飲みながらみんなの会話を聞いていた瀬川くん。もはやぎゃーとかいやぁとか叫んでるテレビを無視しつつみんなでお喋りしている。
「ナニナニ?なんでSteveとづかちゃんをくっつける的な話になってるわけ?だって、づかちゃん、彼氏いるんでしょ?」
そこで、3人じっと瀬川くんを見る。
「こいつがまだいた」
「は?」
サオリに指さされて、なんだかちょっと嫌な予感がする瀬川くん。
「大輔、話してなかったのか」
「いや、そんな話したら誰も来ないでしょ?こんな会」
「いいか、潤(瀬川くんの下の名前です)!お前、一時的でいいから春菜と付き合え」
「は?」
サオリを真ん中にして、右に三原ちゃん、左に野田くん、少しサオリから後ろの方に立ち、見えないように二人で……、両手を合わせて頭を下げる。日本人がこれをするときは、ごめんなさいの意味です。わかりますよね。
「いや、いやいやいやいや」
意外とこの人、トラブルに強い人だった。以前上司に一晩だけ芸能人の相手を俺の代わりにしろと言われた時もサラッと逃げたしな。
「まず、男と女で似たような年齢だからってなんでも糊つけたら引っ付くようなもんじゃないから、人間は!」
「だから、ずっととは言ってない。一時的でいいんだ。一時的で。その後は自由だ」
「なんで?」
「ん?」
「事情があるんでしょ。なんで?」
「……」
ちょっと言いにくいですよね。3人3様に困ったなの顔をして、チラチラとお互いに目線を交わす。
「なに、そんな言いにくい話?」
「ああ〜、いいか?ここだけの話だ。春菜の名誉に関わるから」
「うん」
サオリが、髪の毛の間に手を突っ込み少し掻きむしった後に意を決して言葉を続ける。
「春菜の彼氏は妻子持ちだ」
「え……」
お気楽ご気楽能天気な干物娘が意外や意外、不倫……。今、瀬川くんの中で今までの飯塚春菜が瓦解し、新しい飯塚春菜が再構成されてゆく。
「ね、サオリ、子供はいるかいないかわからないんじゃ……」
ボタニカルパジャマの袖の後をくいくいと引き、野田くんがボソボソと突っ込む。
「常に最悪のシチュエーションを想定して動くのがプロというものだ」
「はい」
「いや、嘘っしょ。あのづかちゃんが?」
瀬川くん、飯塚春菜再構成中にエラーが出た。
「わたしたちも信じたくはないんだけど」
苦い顔で三原ちゃんが応じる。
「でもね、春菜ちゃん、わたしたちが彼氏の写真見せてとか、詳しい話聞こうとすると嫌がって」
「うん」
「で、今は会わせられないけど、未来にはって言うのよ」
「ああ……」
状況証拠から、また、春菜不倫疑惑濃厚に。お気楽ご気楽で培ってきた信頼(?)を呑み込み、瀬川くんの中でまた新しい飯塚春菜再構成開始。
「だから、お前が、そのいい加減な男から春菜を奪って、そして、手がきちんと切れたら後はどうなってもいいから。続けようが続けまいが」
「……」
そんな野となれ山となれ的な趣向で女の子と付き合ったことなんてありませんがと瀬川くん、思う。
「そんな周りくどいことする必要ないと思う」
「なに?」
「わざわざこんな会を開くほどづかちゃんのこと心配しているなら、もっと直接不倫なんかしてちゃダメだって本人に話せば」
すると、あろうことか女二人に腹を抱えて笑われた。
「わかってないなぁ」
ひとしきり笑った後に、チッチッチと女二人指を振る。そんな話せばわかる的なノリは少年漫画のノリでございます。昼メロはそうではない。
「ダメだと言われると盛り上がるんだよ、こういうのは」
「はぁ?」
「だから、そこを君の男の魅力でかっさらってくれ」
「な……」
盛り上がっている女子二人の後ろで今度は野田大輔がきっちりと両手を合わせて頭を下げている。日本人の必殺ごめんの図。旅人が旅をしていてふと道端にお地蔵さんを見かけて真摯に祈る。そんな真摯さの滲む本気の合掌だ。
「野田くんじゃダメなの?」
「ダメだなぁ。もう、友達としてできあがっちゃってるしぃ」
「そんな俺だって似たようなもんでしょ?」
「だから、一瞬でいいんだって。一瞬で。どうにかならないか?」
「いやっ」
ホラー映画は終盤、生き残った二人が化物屋敷からとうとう抜け出して青空を拝んでいるところに差し掛かっておりました。誰も見てないし。
その時、春菜は……
「あ、Steve、そこ、はやく食べないと溶ける」
「?」
「melt」
「Oh」
ジャージ姿で、コンビニの隅っこのイートインスペースで、アイスを食べておりました。相手が金髪碧眼の美青年だったので、やたら目立ってた。しかし、マイペースな人、全く別に気にしない。なぜあのイケメンが、こんな干物娘とと見られていたのですが、気にしない。
「おいしいね。闇ー」
「yummy」
「ね、Steveって、サオリのこと好きなの?」
「……」
一度日本語で話してから英語に変換する。
「You like うんと、違うか、you love Saori?」
ニコニコしながら答えないSteve。
「ね、教えてよ」
アイス食べ終わった両手を腕にかけてまだ食べている人を揺さぶる。ゆらゆら
「Oh、no. It’s my privacy」
「いいじゃん。秘密にしたげるから。ええっと、 you and me secret」
「Secret?」
「そうだ。Secret」
そんなやりとりを一生懸命しているお二人の横で失礼ですが、でもね、全然秘密じゃないですが。
聞くまでもないという言葉を知ってるか?春菜。
そして、Secretという言葉にふと思い出した。
「ね、Steve ここだけの話」
「What?」
ここだけの話という以前に、Steveには日本語が通じませんが、春菜。
「Another secret」
「Oh another secret」
「Daisuke」
「Uh-huh」
「love」
「love?」
「Chisato」
「Really?」
春菜ちゃん、ちょっと酔っ払ってた。うっかりちゃっかりバラしちゃった。
「Tooop seeecreeet!」
「Wow」
するとSteve、ニコニコしながら春菜に聞いた。
「Haruna、who do you love?」
「え?」
そして、酔いが覚める。
「いやいや、それは、ね、それは……」
「Come on. You know my secret, I don’t know yours」
「……」
しばし躊躇した。躊躇したけど、そおっとスマホをポッケから出す。
「Toooop,toooop secret. You and me. OK?」
「OKOK」
「まぢだよ、まぢ」
「まぢ、OK」
Steve、日本語話したではないか。意味わかってないと思うけどな。
それから、春菜ちゃん、スマホの画面開いて写真を見せた。中川さんと二人で撮った写真。
「Oh、cool、nice guy」
「へへへへへへ」
しばし惚気る春菜。それから、更にしばらくそこでうだうだした後に、これが気になると激辛スナックを誰にも頼まれていないのに買って帰路に着く。
「ただいまぁ。終わったよねぇ、もう」
どたどたと家に上がると、何やら四人が難しい顔していた。
「え、なに?まさかあれからさらに怖くなってビビっちゃったとか?」
そんなすごいホラーだったとか?
「春菜」
「はい」
「そこに座りなさい」
「はい」
勢いに押されてつい、ソファーに閻魔様のように座ったサオリの前に正座して座る。激辛スナックは……、とりあえず脇に置いた。
「単刀直入に聞きます」
「はい」
その後しばし沈黙。
「いやっ、わたしにはやっぱりできないっ」
「えっ、えー」
周りの3人がガクッとなる。
「なんか、サオリ、前から思ってたんだけど春菜に弱くない?」
「どう言われてもいい。わたしには無理」
選手交代、三原千里
「いや、サオリに無理ならわたしにも無理無理」
秒で辞退、瀬川潤
「いや、俺、どっちかっていうと部外者」
秒で拒否、最後、この人、野田大輔
「ええっと……」
どうしてややこしい話はいつも最後には僕のところへ来るんだろうと思いながら、ずしっとソファーに座る。一体、みんな、何をさっきからやってるのだろう。できればはやくこの、新発売の激辛スナックの味を確かめたいのだがと思う春菜。
「その、実は今日の集まりは」
「うん」
「みんながづかちゃんのことを心配して開いた集まりなんだ」
「へ?」
瓢箪から駒!
「心配?」
「うん」
わたし、心配されるようなことなんかあったっけ?仕事もあるし、借金ないし、彼氏もいるし、殴られたりしてないし……。
そして、思い出した。
あ……
「わ、わたし、不倫とかしてないからっ!」
「へ?」
「あ……」
春菜ちゃんはですね、割と反射神経いいんですよ。でも、つい反射で後先考えずに発言してしまったよね。
ボタニカルサオリついっと前に出てガシッと春菜の両腕を掴む。
「痛い痛い痛い、サオリ、痛い」
「ほんと?」
「え、いや、ほんとほんと」
「じゃ、なんで早くそう言わないのよ。わたしたちが誤解してるって気づいてたんでしょ?」
「……」
チーン
詰んだ。詰みました。こんなに早く……。
絶体絶命です。中川さーん、どーしよー。
「ね、なんで?」
「え、えーと……」
春菜、頭の中が今、大嵐の中で船が上へ下へともみくちゃになるような大混乱。そんなサオリと春菜の様子を横で眺めながら瀬川くんが淡々と語る。
「写真を見せられない」
「……」
「会わせられない、その事情を話せない」
「……」
「俺らの知ってる人でしょ?」
「……」
簡単な推理でした……。
「え、うそ、なに?社内?だれだれだれだれ」
「飯塚春菜は今からオフになります」
強制的にシャットダウンしました。そんな春菜をガクガク揺らす、サオリ。サオリ、あなたが力一杯振ってるのは人間ですよ。一応言っておきますが。
「だれだれだれだれ」
「被告には黙秘権がー、今から発言する内容は裁判で不利な証拠とー」
春菜、完全に壊れました。野田大輔、仲裁に入る。
「サオリ、落ち着いて」
「えー、うそー、だれー」
サオリから春菜を引き剥がした。春菜ヨタヨタと数歩歩くと、ぴたりととある地点で立ち止まり、今夜二個目の亀が現れた。
「皆様、お世話になりました」
「へ?」
床に丸く縮こまり土下座しておりますがな。
「本日はここまでで帰らせていただきます」
「ちょちょちょちょちょ」
そっからが速い、スタッと立ち上がる。
捕まえようとする同僚の手を掻い潜り、自らの荷物がどこにあるか目で探る。自分はジャージである。今、ジャージである。でも、こうなったらジャージのまま電車乗ってやるっ!右、左、あそこダァ!
カバンに飛びつき、目についたドアから脱出!
「春菜ちゃん、もう、電車ないよ」
「へ?」
「タクシーで帰るの?」
「へ?」
「ね、そこまで嫌がってるのに無茶に聞き出すことなんてしないから」
ネゴシエーターはこの人、野田大輔
春菜、ジャージで、自分のバッグ抱えてリビングのドアを背に背中の毛を逆立てた野良猫のような様子でしゃがみ込んでいる。
「サオリ、約束できるよね?」
「えー、でもー」
「誤解されても黙ってたのは、それだけ秘密にしたいからだよね?」
こくりと頷く春菜。
「ね、よかったじゃん。みんなが心配してたようなことがなくてさ」
「まぁ……」
そこで、好奇心の塊のようになってたサオリが少し落ち着いた。
「そういえば、そうね」
「そうだね。別に心配することもともとなかったんだ」
「まぁ、春菜が不倫なんてなぁ、似合わないって思ってたし」
「でも、するときは、どんな子でもするけどね」
ちょっと意味深な発言をする三原ちゃん。
「ね、じゃあ、仕切り直して飲み直そう」
みんなの肩の力が抜けてもともと飲み食いしていたラグの方にもう一度座り直す。春菜ちゃん、そろそろと警戒を解いてその輪の最後に加わった。
「あの……」
テーブルの上のコップを集めてどれが誰のかわからないとか、氷が全部溶けちゃったとかやってるみんなに春菜ちゃんが声をかける。
「なに?」
「ごめんなさい」
「え?」
「みんなに心配かけて……」
あー、はっはっはと笑い出した。サオリがいう。
「ほんっと、全然違う方向に突っ走ってたんだね。でも、まさか社内とは」
「……」
「未来には発表されるんでしょ?」
「うん、多分」
「でも、その前にバレるだろうな」
「……」
「隠し通せるもんじゃないよねぇ」
とりあえずこの場はと大人しくなったサオリの目がきらりと光る。春菜、捕食者にターゲットオンされた獲物の気持ちが今、わかりました。
「ま、いいじゃん。その話は今日はさ」
野田くんがそんなことを言ってたらガチャリとドアが開いた。みんなそっちを見る。黙ってみんなに見られて、Steve、キョトンとした。
「Did something happen?」
この人の存在を忘れてました……。トイレにでも行ってたらしい。
そして、春菜、ラグの上に転がってるコンビニの袋を見た。
あ……
もう一個忘れてた。新発売の激辛スナック……
その翌日の夜
中川さんの家の近くのとあるご飯やさんで
「急いで話があるっていうからなんだと思ったら……」
「でもさ」
「その時はその時でしょ?」
「うーん」
下手したら怒られるかなと思いつつ話したけど、のんびりとそんなこと言われた。
「でも、やりにくくなる」
「なるね。特に春菜がね」
「わたしが?」
「皺寄せはいつも弱い方にいくからな」
「どんなふうに?」
笑われた。
「俺もこういうの初めてだし、そうなってみないとさ」
「そっか」
「まぁ、でも、別に積極的に嫌がらせしようって人もいないでしょ、そんな」
「うーん」
人ってわからないからなぁ、その時なってみないと。頬杖をつきながらしばらく春菜ちゃんの様子眺めていた中川さん、それからこう言った。
「何か起こったら俺にできることは全部やるから」
「……」
くよくよ悩んでも時間の無駄かと思う春菜ちゃん。気分を切り替えて、スマホを持ち出した。
「ね、みてみて」
「なに?」
「昨日の写真」
「え、それ、俺みていいの?」
「硬いなぁ」
そして、崇くん、見た。ボタニカルと小花柄とジャージ。
「ははははは、すげー、格差」
そして、しばし、大爆笑した。
「そこまで笑う?」
自分で見せといてなんですが、ちょっとイラッとした春菜。誰のせいでこうなったとおもてんねん。
「いや、でも、ウケる」
「みんな思ったより気合い入れてて、すっごい浮いたよ」
「そうだったんだね」
「づかちゃんの彼氏、独占欲強いって言われたよ」
「それ、言ったの、誰?」
不意に真顔になる中川崇。
「聞いてどうすんの?」
「彼氏に着てけって言われたってバラしたのかよ」
「でも、実際そうじゃん」
「はいはい」
「独占欲強いって言われたら、やだ?」
つまらなさそうにお水飲んでる彼に聞いてみた。
「別にギャラリーが何言おうと関係ないし」
「ふうん」
あっさり一蹴されました。
「ね、パジャマってこんなふうに可愛い方がいいのかな?」
「ん?」
「わたしもこんなん買おうかな」
「それでパジャマパーティーまた開くの?」
「いや、普段から着るんだよ。ね、どれがいい?サオリのと三原ちゃんのと」
「そりゃ、三原ちゃんのだろ」
「そっか」
「んー、でも」
「でも?」
春菜ちゃんのスマホの画面の写真を眺めながら崇くん呟く。
「いっつも着てる方が春菜らしくていいけど」
「え?」
「春菜はこういうのより、ショートパンツ履いてた方がらしくていい」
「そうなの?」
「うん」
春菜ちゃんにとっては別に普段からしてる普通のカッコ。
でも、中川さんにとっては、お持ち帰りされた次の日、未遂の朝に見たそれなりに思い入れのある姿というか……。
だから他の男の人にも見せたくなかったわけで。
それから、その日の夜の写真をスクロールさせながら見てた崇くん、とあることに気づいた。
「あのさ」
「なに?」
「この、外人の男の子、なに?」
「ああ、Steve」
「なんか近くない?」
「は?」
言われて崇くんの見てる写真を覗き込む春菜ちゃん、前へ後ろへスクロールして確認する。
「いっつも春菜の横にいる」
「そう?」
「で、なんか近い」
「外人だからでしょ」
「いや、他の人と並んでる時より春菜の横にいる時、近い」
何を言ってるんだこの人と顔を上げる春菜。
ふと、やべ、言いすぎたと思う崇。
「ま、別にいいけど……」
大人の体裁、大人の体裁……。無表情になる。
「友達になったんだよ。友達」
「ふうん」
「サオリのこと好きなんだよ。この子」
「へー」
「すっごい怖がりでね、男の子なのに、この子」
「ほー」
まだ機嫌が直らない。
「あのお客さま、ご注文は?」
ウェイターに言われて思い出した。メニューすら開いてませんでした。
「すみません」
二人で謝ってメニューを開く。
「定食的なもの二つ頼んで終わらそう」
「えー、つまみ的なものいくつか頼んで飲みたい」
「昨日飲んだんでしょ?」
「昨日は昨日、今日は今日」
「休肝日を作りなよ」
「えー、つまんない」
「じゃ、飲んでもいいけどつまみの数は減らしなさい」
「でもさ、これも食べたいし、これもこれも」
「そのカマンベールチーズの天ぷらはこの前口の中火傷してたでしょ?」
「今日は火傷しないように注意して食べるよ」
こと食べることになると全然いうこと聞かない春菜ちゃん。
「今からもう30への長い長い助走は始まってるんだよ」
「また、その話かー」
「ちょっとずつ食べるものとか量とか気にしろよ」
「でも、別に体重増えてないし」
「あー」
いっつも同じ話をして、でも、全然理解してもらえない。片手で頬杖つきながら軽く目を瞑って唸る崇くん。目を開くとぶつぶつと呟く。
「なんか春菜ってさ」
「ん?」
「妊娠中とかむっちゃ食べそう」
「へ?」
「それで、お母さんになったら別人とかやだなぁ」
「……」
春菜ちゃんふと真顔になって黙り込んだ。そして、崇くん、はっと我にかえる。ついまた失言してしまったなと。
「あ、ごめん。今のは言いすぎた。忘れて」
「……」
「じゃ、頼も、頼も、カマンベールチーズの天ぷら」
「いらない」
「え……」
「今日は定食にする」
そして、ペラペラとメニューを丼ものや麺ものの頁にめくる。
「いや、でも、つまみで飲みたかったんでしょ」
「今日はいい」
「……怒ってる?」
「怒ってないよ」
それから、アルコール1杯でご飯を食べた。別に確かに春菜ちゃん怒ってはいなかった。ただ、ちょっと静かだったような気がする。
「じゃあね」
お店の前で右と左に分かれて駅へ向かおうとする。
「よってかないの?」
繋いだ手を離さずに中川さんが聞いた。自分の方にくいと引っ張る。
「まだそんな遅くないじゃん」
「でも、よったら帰りたくなくなるし」
明日は月曜日です。
「じゃあ、朝早く起きて帰ったら」
そう言ったら笑った。いつもはサバサバしている彼女がたまにしか見せない女の人らしい優しい笑顔。
「ダメダメ」
顔は優しいんだけど、言葉はつれない。ふっと軽いため息が中川さんの口から漏れる。
「ほんのちょっとだけ顔見せて帰るなんて」
「ん?」
「そんなずるい手使うようになったんだ」
「なんの話?」
そして、まだ離さない手を優しくそっと離してバイバイと言って春菜ちゃん背中を向けた。
一瞬、駅まで送るかどうか迷って、それから回れ右して自分の家の方へと崇くんは歩き出した。
優しい笑顔の残像は目に、そして、温かい温もりはさっきまで繋いでた手に残る。でも、それを抱きしめることは叶わず一人で冷たい寝床に寝るのか。離れるのが名残惜しい、その名残惜しさを抱えて歩く。
すると前を向いて歩く崇くんをパタパタと追いかけてくる足音がする。ぎゅっと腕が掴まれた。傍にさっき分かれたばかりの春菜ちゃんがいる。
「どうしたの?気が変わった?」
ちょっと上から彼女の顔を覗いた。
「忘れてた」
「何を?」
「アイロン、かけた?」
「は?」
一瞬、頭が真っ白に。そして、ああ、アイロン、と思い出す。
「かけました」
「嘘?」
「なんなら、うち寄ってって自分の目で確認したら?」
「え?」
実を言うと忘れてた。明日着るシャツがないな。帰ってから一枚はかけないと。めんどくさ。
「ダメダメ」
「あー、二回も振られた」
「え?」
「別にいいよ。一人で寂しく寝るから。バイバイ」
「かけたんだよね?」
笑えた。
「ね、なんで、そんな人のシャツが気になるの?」
「なんでだろ?」
「そんなに気になるなら自分の目で見ればいいじゃん」
「ええ?」
黙って迷ってる春菜ちゃんを見ながら中川さん考える。
家について、かけてないのがバレたら怒られるかなと。
洗濯物は昨日外から取り入れてソファーの上にどさっと置きっぱなしだった。
翌日、月曜日の午前中、会社で
飯塚春菜の姿はすでにない。外回りに出たらしい。
そして、野田くんと三原ちゃんとサオリがミーティングブースで何やら話してる。
「このマーカーつけたのが独身男子」
「うん」
「で、この数字が年齢」
「うんうん」
「ね、こんなことしなくたってさ」
「じゃ、大輔は気にならないっての?」
女の子二人が社員名簿を覗き込んでヒソヒソやってるのを少し離れて咎めている男子。
「別にわたしたちは相手が誰であろうと春菜を幸せにできる男なら異論はないし」
「うんうん」
「何か社内でめんどくさいことになりそうになったら味方になるし」
「うんうん」
「当面はでも、づかちゃんもお相手の人も秘密にしておきたいと思ってるんだよね?」
「でもねー」
両手を握り拳にして、目を閉じながら軽く下を向くサオリ。食べたい食べ物を前に堪えている人のようだ。
「気になって気になって仕方ないんだよ」
「なるねー」
同調する三原ちゃん。結局は好奇心である。二人また、検討に戻る。
「年下はありかな?」
「どうだろう?」
「こう、彼氏のいる店舗だけ妙に多めに行ってるとか、そういう行動履歴から割り出せないかな」
「いや、別に店舗で会わなくてもプライベートで会えるでしょ?」
「やっぱ、それぞれの店舗に行った時に店舗の人にそれっぽい感じなかったかとか聞いてみるか」
「ね、ね、そんなことしたら、全店舗で噂になるって」
「え〜!!」
女の子の好奇心は留まるところを知らないな。頭を抱える野田大輔。
「さっきからみんなでそれは仕事をしているの?」
「あ……」
野田くんの後ろから声をかけた人がいる。振り向くとブースを囲ってる低い棚に寄りかかって腕組みしながら見てる男性。
「あ、わたし、更新しなきゃいけないデータがあるんだった」
三原ちゃんがガタンと椅子を立つ。
「あ、わたしも訪問先に持ってく資料を印刷しなきゃ」
サオリもガタンと椅子を立つ。パッと机の上の社員名簿を持って自分のデスクへ散っていった。中川さんはみんなが散ったのを確認した後に、奥へ進むとコーヒーを淹れ始める。その横に野田くんがそっと並んだ。
「中川さん」
「なに?」
「最近、彼女とどうですか?」
中川さんマシンから視線を外して野田くんの方を見た。
「まぁ、なんとかやってます。おかげさまで」
「それはよかった」
「その節はおせわになりました」
カップを所定の位置に置いて、ボタンを押す。野田くんはまだ傍にいる。
「あの」
「うん」
「最近、彼女にジャージ買ってあげました?」
「……」
ジーとコーヒーを淹れている音をしばし男二人で聞く。
「なんの話?ジャージ?」
「あ、いや、わからないならいいんです」
中川さんが野田くんの方を見ると、野田くんはいつもみたいな人のいい笑顔で笑いながらあっちへ行ってしまった。コーヒーが出来上がる。でも、しばらく野田くんの行った方を見たまま固まっていた崇くん。
自分にできる精一杯で冷静に対応したと思うけど、でも……
もともと野田くんは、知りすぎてたな。
ようやく動いてコーヒーを取る。
ま、でも、野田くんは知ったとしても、ベラベラ言いふらすような人じゃないだろ。春菜にはとりあえず、言わないでおこう。
野田大輔の推理
一日戻って日曜日
はじめは別に点と点はつながってはいなかった。そもそも、たまたま成り行きで上司の中川さんの彼女との話を耳にしていたけど、その相手がどこのどんな人かということを気にしてなかったんです。なぜか確認もせず社内の人ではないだろうと無意識に思ってた。
づかちゃんが相手が誰かを隠そうと、必死に終電もないのに逃げようとしている姿を見ていた時も、まだピンとは来てませんでした。
翌日、ダラダラと起きて、なんとなくボケっと過ごした後にみんなで遅いブランチを食べた後に解散。(Steveはみんなが帰ってもまだサオリの横にいた。正確にはいようとしてた)買いたいものがあったから真っ直ぐ家に帰らずハンズに行った。買い物を済ましている時に、商品棚と商品棚の間を歩きながら、なんとなく考えたんです。
ずっと決まった人のいなかった中川さんに珍しく彼女ができた。僕と同年代。
づかちゃんが絶対に相手が誰かバラしたくない人と社内恋愛している。
どちらも最近できた彼氏、彼女。
あれ?
商品棚と商品棚の間で立ち止まった。
それから、もう一つ、最近微かに心に引っかかってたことがあった。
あまりに微かだったので、無意識の沼の中に沈んでた違和感。
づかちゃんって前はもっと中川さんに絡んでた。だから、日常的に社内でづかちゃんが絡んで、中川さんがいなしている姿を見てたんです。別にづかちゃんが絡むのは中川さんだけじゃなくて、社長にも絡むし、他の社員にも絡む。そういう子だから。それが最近、ないんです。
中川さんに対してだけ、妙によそよそしくなった。そういえば。
みんなの前で喧嘩してるとかそういう派手なことではないから、意識することがなかった。だけど、確かにおかしい。
それは仲が悪いからじゃなくてその逆で、特別に仲が良くなったからそれを隠そうしているからじゃないか。
それからさらに思う。相手が中川さんだったら、そりゃ、づかちゃん、隠したいよなと。それこそ、社内中のみんな度肝を抜かれるわ。
いや、それにしても、そっか、づかちゃんって中川さんのこと好きだったんだ。
二人の姿はよく知ってる。そりゃ、何年も毎日一緒に働いてきた人たちですから。その様子をづかちゃんが中川さんのことを好きだったという事実を加えてもう一度眺めてみました。
それは不思議としっくりときた。
ああ、確かにそう言われてみるとづかちゃんって中川さんのこと好きだったよなと。そんな雰囲気ありました。
しばし、いろいろな二人の姿を思い浮かべた。
結構、お似合いかもな。かなりびっくりしたけど。
落ち着いた男の人と、いつも周りを笑わせる賑やかな女の子。
づかちゃんといると中川さん、笑顔が増えそうだ。
それから、止めていた足を動かし、買い物を再開した。野田くん。
そうか、あの、怒らせちゃったって言って中川さんが顔を真っ青にしていた相手の女の子は、づかちゃんだったのか。上司のあの時の慌てっぷりを思い出して、ちょっと笑った。そうかそうか。ま、でも、よかったなと。
そして再び月曜日、春菜ちゃんは
とある店舗に向かう途中、春菜ちゃんは昨日の夜のことを思い浮かべてました。
中川さんが、お母さんになった春菜ちゃんが別人のようになっちゃったらやだなと言った時のことを。
あの時、怒ったんじゃないんです。びっくりして何も言えなかった。
崇くんの頭の中で、未来の二人が当たり前のように結婚してたので。
多分、自分で言っていることの意味に本人気づいてなかったよなと。この前も一緒に暮らすとか簡単に言ってたしな。
なんだかな……、こんなものなのかな?さっぱりわからない。
もちろん嫌ではない。好きな人ですから。ただね、そんな簡単なものなの?と思うんです。だって、付き合うのと結婚は全然違うはず。普通はもっと……、もっとなんだろ?でも、もっと……。もっと?
そして、飯塚春菜は降りる駅を間違えた。一つ手前でぼやっと降りてしまった。
次の電車をホームで待ちながら思う。
自分はまだ若いし結婚なんて意識したことないけど、年上の人はな、それなりに意識するものなのかなと。
それで、彼の頭の中ではわたしがお母さんになってるんだ。いつの間にか。
なんだかなぁ、もう……
結局は、照れ屋の春菜ちゃん、昨日の夜からずっと照れていただけである。
そして、ぼうっとしている間に、次来た各駅停車に乗り損ねてホームで電車を見送った。
了
2022年8月20日
*1 アサヒスーパードライ
アサヒビールが製造、販売しているビール。1987年3月より販売が開始される。スタイルはドライビール。アサヒスーパードライの登場で、日本のビール市場にドライビールというジャンルが定着した。(Wikipedia参照)
(飲み口スッキリ。夏にはいいかもね。汪海妹)
*2 干物娘
正しくは干物女。恋愛を放棄している。さまざまなことを面倒くさがり適当に済ませてしまう女性のこと。ひうらさとるの漫画『ホタルノヒカリ』の主人公・雨宮蛍の生活ぶりを指した作中の用語として発生した。(Wikipedia参照)
*3 ごくせん
森本梢子の漫画をドラマ化した仲間由紀恵主演のテレビドラマ。