ヨルシカのアルジャーノンに癒された件
アルジャーノン
作詞:n-buna 作曲:n-buna 発売日:2023/02/06
貴方はどうして僕に心をくれたんでしょう
貴方はどうして僕に目を描いたんだ
空より大きく 雲を流す風を呑み込んで
僕のまなこはまた夢を見ていた
裸足のままで
貴方はゆっくりと変わっていく とても小さく⭐︎1
少しずつ膨らむパンを眺めるように
貴方はゆっくりと走っていく
長い迷路の先も恐れないままで
貴方はどうして僕に名前をくれたんでしょう
貴方はどうして僕に手を作ったんだ⭐︎2
海より大きく 砂を流す波も呑み込んで
小さな両手はまだ遠くを見てた
あくびを一つ
僕らはゆっくりと眠っていく
とても長く 頭の真ん中に育っていく大きな木の
根本をゆっくりと歩いていく
長い迷路の先を恐れないように
いつかとても追いつけない人に出会うのだろうか
いつかとても越えられない壁に竦むのだろうか
いつか貴方もそれを諦めてしまうのだろうか
ゆっくりと変わっていく
ゆっくりと変わっていく
ゆっくりと変わっていく
僕らはゆっくりと忘れていく とても小さく⭐︎3
少しずつ崩れる塔を眺めるように
僕らはゆっくりと眠っていく
ゆっくりと眠っていく
貴方はゆっくりと変わっていく とても小さく
あの木の真ん中に育っていく木陰のように
貴方はゆっくりと走っていく
長い迷路の先も恐れないままで
確かに迷いながら
本日ちょっとモヤモヤとしてまして、そんな中、ここだけの話、今の会社かなり自由な社風なのですね。周囲の中国人スタッフが時折、ハッスルしてノンストッピングトーキングとでもいうか、駄々べりまくる時があり、うるさいので音楽を聴きながらお仕事さしてもらってんです。
モヤモヤっとしてたら、ダダベリまくり、集中できないので音楽を聴いた。ヨルシカのアルジャーノンが流れてまるで霧が晴れてゆくように心が晴れました。非常に感謝しました。だから本日はその感謝の気持ちを文字にしようとせっせと打っております。
最初に、ヨルシカをはじめ、疲れた心を癒す音楽を創造されている皆様、ありがとうございます。次に、私はいつもヨルシカを聴いているコアなファンでは全くありません。本日はファンの皆様を不快にさせないように気をつけて文字を綴ろうと思います。
自分は別に音楽ライターでもないし、絵なら多少は心得もありますが、音楽の心得はないし、さらっと終わらせますかね。
作詞のうちに⭐︎をつけました。⭐︎1 ここに入るコード進行というかこの部分の変化が好きです。これは編曲の良さというか、最初の静かな感じから一気に始まるような感じかなぁ。ドキッとするんですよね。自分も音楽の専門もなんでもないとはいえ、それなりの年数を生きてきているので、それなりに楽曲というものを聴き飽きているんですよ。
突然コーヒーの話をしてすみませんが、ある日突然インスタントコーヒーが耐え難い泥水に変わりました。俺も贅沢になったな!と思いました。大五郎が突然、おっと商品名出しちゃったな、大⚪︎ろ⚪︎が突然飲むに値しない液体だな!と思うようになったのと同じで、そんで、音楽もね、歌詞が耐え難いものと、それと最近になると編曲が微妙なものはインスタントコーヒーと同じで無理しても聴けなくなっちゃいました。
聴くのに耐えられないと思う曲の特徴は、とにかく、単調、これに尽きる。
自分も歳とっちゃったからな。簡単にいえば、それなりの数の曲を聴いてしまった人間が予想を裏切る形で音を組み立ててくれよって話です。それが、複数の音源の組み合わせと心地よいリズムのズレ。
こうくるだろうと思っている脳の予想を気持ちよくずらして刺激してくる音楽ってあるよね。声の良さと歌詞の良さとメロディラインだけじゃなくて、編曲の脳に対する攻撃を待っているわけだ。自分でも書いてて意味不明だがつまりはそういうことだ。
で、結局長くなっちゃったけど、⭐︎1の変わり方がこの、色々聴いて飽きっぽい中年の脳にきちんと攻撃仕掛けてきたポイントです。好きですここ。
で、次が文章表現の部分ですが、
貴方はどうして僕に名前をくれたんでしょう
貴方はどうして僕に手を作ったんだ⭐︎2
一行目の丁寧さとその二行目の少しカツンとした怒っているような表現の組み合わせが良い。全部を読んでもこの詩の解釈は難しいですし、私は本日解釈をするつもりはないのですが、この二行の部分には意味があるように思いますね。感謝しているのか、それとも本当は怒っているのか、謎を残す表現が非常に巧みだなと思います。
これはただ詩であるだけでなく歌ですので、楽曲そのものにも解釈のヒントがあると思うんですよね。歌はそういうところがすごいですね。静かな曲なのだけど、穏やかそうでいてそれで激しさが隠れていそうな曲調が良い。
それから、何回も繰り返される似た言葉
ゆっくりと変わっていく
ゆっくりと走っていく
ゆっくりと眠っていく
ゆっくりと歩いていく
ゆっくりと忘れていく
全てが非常によく使われる動詞でできた言葉ですが、例えば 変わる という言葉からはさまざまな連想がされやすい。その連想も人それぞれだと思いますが、
変わる と 走る と 歩く
この主語が全部 貴方 であることと ていく という方向を示す言葉があることで 漠然と 貴方が 僕 から 離れてゆくイメージが沸いていると思うんです。
別れるという言葉を一つも使わずに 変わる が 成長を表し、大きくなって或いは 以前は 一緒にいられるくらい 僕と同じだった貴方が変わって離れてゆく というイメージが 本当にぼんやりとですが浮かぶと思う。
それ以外の部分の言葉からもさまざまな解釈ができるでしょうが、そこまではしなくてもいいかなぁと思い、ほっておきます。貴方があって、それなら僕らはなんなのかという謎もありますが。
そして私は 一回だけ使われている ゆっくりと忘れていく という部分が歌詞としては一番好きなのです。どうしてと言われると理由はない。あえていうなら、忘れるという行為に常に 忘れたくないけど忘れてしまう という悲しいような切ないような感覚を呼び起こされるからでしょう。
忘れる という言葉はいつも なんか痛いんだよなぁ。少し痛い言葉って透明に近い水色のような感触がありますね。冷たくて美しい。自分がM人間だからかしら?そして眠ると言われて連想するのは、病と死です。ゆっくり眠っていくを自分はゆっくり死んでいくと思って聴いている。
結局は全部自分の感覚ですから、聴く人によって見えるイメージは違うと思いますが。
で、ここまでがヨルシカのアルジャーノンについてでした。こっからはつまらない話です。人生は楽しいことや綺麗なことばかりでできているわけでもなく、たまにはつまらないことを書くのも勉強になるのかなと思いつつ書くわけ。読んでいて面白くなかったらもう遠慮なく読むのをやめていただければと思います。
私のつまらない話に付き合う義理はみなさんにありませんからね。ただ、ここに書くことはお許しいただけたらと思います。
自分がプロフィールに夫が中国人ですとか、子供は日中ハーフですと書いていませんし、記事だけ読んでいると私の背景がわからないからだと思うのですが、たまに中国や中国人を嫌いな方からコメントをいただくことがあったんです。
今日ここに書いているのは、私は夫が中国人だから、中国の悪口や中国人の悪口を書いてくるなということではないんですよ。それなら、もっとわかりやすくプロフィールに書いとけばいいことです。自分の正直な感想は、日本人で中国を嫌いな人が結構いることにびっくりしました。その次に思ったのがネットってすごいなと思ったことです。本来なら出会わない人たちがネット上では出会うこともあるのだなということです。
私とリアルで知り合う人は、当然、私が中国人と結婚していることを知ってますから、私に面と向かって中国の悪口は言わないんですよ。また、今知ってる日本人の人たちは中国にいる日本人ですから、中国大嫌いという人はいたとしても数が少ないんですね。だから、自分は中国大嫌いという人ともう長い間出会わずにのほほんと暮らしてました。
それが、プロフィールをちゃんと書かなかったせいで、あろうことか中国人と結婚している人だと知らなかったんでしょうが、真正面から中国の悪口を言われてしまい、しまい、
正直、困りました。
なんでかというと、自分は実際の生活の中で、何人もの非常に優秀な中国人の方と出会っています。最近はね、日本語も中国語も使いこなして日系企業の幹部社員として活躍されているような方も多いし、語学に堪能でなくとも政府の中で働く人やスタートアップを動かすような人で、非常に優秀な方に出会うことがあるんです。
中国人と見れば十ぱ一絡げでバカにするような人に同調してしまえば、流石にそのような人たちに申し訳ないなと思うわけです。
ただね、日本人だけにまぁ、一部そういう人たちがいるわけではなく、中国人にだって日本人大嫌いな人はいるし、酷い事件だって起こったしね、そういうことをめっちゃ批判したいわけでもありません。
私はもともと中国が好きで中国に来たわけでもない。まさか自分が中国人と結婚するとも思ってませんでしたし、主人だってそうです。それで、中国を好きでも嫌いでもありません。
ただね、中国をはじめ世界中の国の人たちは、簡単に言えばそこにいる権利があると思うんです。だから、まぁ、なんか理由があって嫌いになってもしょうがないとは思うけど、崖から落とすようなことはできないってことなんですよ。言い換えれば悪口は言ってもいいけど、程度があるってことです。言っていいことと悪いことがある。
自分も長くここに住んでいるきやすさから中国に対して軽口を叩くことはありますが、本気で中国の人を怒らせるようなことは書いているつもりはないし、今後も書かないように気をつけようと思います。どこまでなら書いてよくてどこから書いてはいけないのかの判断も難しいとは思うんですが。
それで、私が言いたいのは中国のことだけでもないんですよね。理想はやはり、どこの国の人に対しても公平であるということではないでしょうか。あくまで理想で現実がなかなかに難しいことはわかってますが。
外国を好きになることではないと思う。むしろ、好きでも嫌いでもないの方が好きより良いと思ってます。もうちょっというと、私は日本が一番好きなんです。
好きって気持ちって面白いですよね。何かを好きになったために、人間は別の何かを嫌いになってしまうのではないかしら。それでも、自分の国を好きになってしまうのは自然なことですから、人間はその代わりにどこか他の国を嫌いになってしまうのだと思う。だから、好きにならないでいいから、好きでも嫌いでもないがそれだけでもう上等じゃないかしら。
人間には不満の吐口が必要で、それがどこに向かうかは色々で、たまにそれが中国や中国人になっちゃうこともあるのかな。そして、もうちょっというと、実は私はそれの逆バージョンも経験しているのです。中国人にも反日を不満の吐口にする人がいますからね。
自分が奮闘してそういうことが解決するなんてぬるい考えは全く持ち合わせておりません。自分はそれなりに危険な目に遭っていることがある。思想というのは時になかなかに危険なものです。
ただ、だからと言って自分の安全のために、同調して中国の悪口を言うようなことは自分にはできないです。一番愛しているのは日本ですが、私はここでもう何人もの中国人の人のお世話になってますから。流石にそれはいただけません。
そんなモヤモヤがあったから、だから、綺麗なものだけでできているようなヨルシカの音楽に癒されたというわけです。
現実というのは綺麗なものだけでできているわけじゃないですね。ただね、だからこそ、綺麗なものだけで成立している小説とか音楽とかいうものがこの世に必要なのかもしれませんね。
汪海妹
2024.12.11