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【詩】美しいと感じること「一月の声に歓びを刻め」に寄せて(2)

汚れることは
罰ではなく
ましてや
罪でもなく

付けるものでもなく
付けられるものでもなく

一部でもなく
全体でもない

それは
わたしが取り込んだもの
取り込んでしまったもの

細胞が
生まれ変わっても
剥がれることのない
原初のような記憶

それでも
まだ

美しいものを
美しいと
感じられるのなら

わたしは
この世界で
生きていける



(作者から)
先の(1)に続き、三島有紀子監督「一月の声に歓びを刻め」に寄せる詩です。

この詩は、実は、映画を見る前につくったものです。

自分自身が、
自分自身を汚すよう、
汚すように生きていると感じていて、
でも、そのなかで自分が生きる杖の一つに、
美しいものに出会いたい
美しいものを美しいと感じたい
という願いがあって
そのまま詩にしたものです。

映画を見て、
どうしても、映画の中で語られる“汚れ”の意識が強く残ってしまい、
“汚れてしまったまま”生きることを肯定したい、
その生きにくさを、大丈夫だよ、生きて欲しい、と願って、
この詩をこの映画に贈りたいと思いました。

でも、パンフレットを読み返す中で、
“汚れたままでいること”を肯定することは、
とても酷なのではないだろうか、
自ら汚れるように向かってしまっている
自分とは違うし、
汚れていない、美しいというメッセージが
この映画にあるのなら
映画を送り出した人びとの思いに
泥をかけてしまうことになるのではないかと
恐れました。

そこで、前田敦子さんが演じるれいこに寄せて、
最後の連を同じにした詩をつくったのが、
先に掲載した
「美しいと知っている「一月の声に歓びを刻め」れいこに寄せて(1)」です。

でも、もう1回パンフレットを読み返すと、
頁をとばして読んでいたことに気づきました。
三島さんの体験を読んで、
わたしが感じていることと
映画の世界をシンクロさせていただいても
ひとつの感じ方として
送り出せるように思えたので、
この詩も、いっしよに
「一月の声に歓びを刻め」に贈ります。

画像は、わたしの好きな花、沈丁花にしました。

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