無理やりオックスフォード大学の学生になった話その13: パリ 2015年11月13日
学問にも、高等教育にも縁がなく日本で育った私がイギリスに渡り、オックスフォード大学の学生になるまでと、なってからの逸話自伝エッセイ。
経済的、精神的な苦労もなく甘やかされてワガママに生きてきた日本女性の半世記。
子供たちも小学生になり日々のルーティーンも落ち着いてきた頃、パリの芸術祭で、私の好きな作家が大々的な回顧展を開くことを知り、これに行ってみたいんだけどとピーターに話すと快く行ってきなよ、と言ってくれた。ユーロスターのチケットも安く買え、パリ9区のAirbnbの宿泊先も決まって3泊4日の長い週末に行くことにした。
2015年11月13日に出発し、その日は夜8時近くまで空いているインディペンデントブティックなどをウィンドウショッピングして、ちょっとおしゃれなビストロで食事をしてAirbnbの宿泊先に帰った。
翌朝iPadでフェイスブックを開いてみると、「みんなにあなたの無事を伝えましょう」というメッセージが表示されていた。パリ同時多発テロが起こっていたのだった。英国にすぐ帰るべきなのだろうか?ユーロスターも混乱しているようだったし様子を見ることにした。通りに人もちらほら歩いているし、お腹も空いてきたので通りに出てみることにした。営業していたカフェのTVではもちろんテロのニュースばかりが流れていた。
クリスチャンでもないが何故か祈りたい気がして通りがかった教会の扉が開いていたので入ってみると中は満員で熱気がムンムンしていた。みなどこかへ行って祈りたがっていたようである。多分普段は滅多に教会に行かないようなフランス人も結構いたんじゃないかと思う。でも私にとっては場違いなためすぐに出てきてしまった。
通りにはカモフラージュをきてライフルを持ったアーミーの警官たちがところどころにいた。あるビルの前に長い行列ができていた。それは献血センターだった。フランス人は夕べのような事件があると、献血するという習慣があるようだった。ほとんどの美術館や娯楽施設は緊急閉館になり、予定されていたイベントやフェスティバルもキャンセルとなり、行くつもりだった回顧展をやっている美術館も状況が安全になるまで閉館とのことだった。
そんな中、以下のようなステートメントを掲げ、開館することにしたという美術館を見つけた。ちょうどレオナルド・ダ・ヴィンチの企画展を開催していたパリ・ピナコテークである。
”人は生きるということで死に対峙しなければならない。我らは知性をもって愚かさに対峙しなければならない。レオナルド・ダ・ヴィンチの人間至上主義と非凡な才能こそ間違いなく悲惨な事態に対する最も美しい反応である。
レオナルドもまた頻繁に反啓蒙主義に苦しんだからこそ、パリ・ピナコテークは明日11月15日日曜日に開館すると決め、恐怖にNOと普遍的な価値観にYESと表明する。”
その日パリ唯一開いている芸術施設だったにも関わらず、開館していることを知る人もあまり多くなかったからかも知れないが、館内はすいていてゆっくりと鑑賞することができた。
レオナルド・ダ・ヴィンチの企画展とともにカールラガーフェルドの写真展もやっていて見応えがあった。
さらにコレクションの常設展もあった。ルネッサンス絵画の隣に、南米の彫刻があり、中世の宗教画の隣に現代作家の抽象画が展示してあった。
ベンチに座りしばし赤い円形の大胆なブラッシュストロークを見つめていると、静謐で神聖な空間は教会の中にいるようで、前日に起きた事件での犠牲者への祈りや自分の無事や家族への感謝の気持ちが溢れてきた。
瞑想にも近い時間であった。
アートこそが私の信じるものだと確信できた。
そこはまさに私の教会であった。
いつになったらオックスフォードの学生になった話になるんだと思っている方、それはこの時点から7年後のことです。
続く
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