「俳句の指導」とは?

個人的結論:俳人ですら真理に辿り着いていないので分からないのでは?

こんばんは。みつかづです。

いきなり俳人達に質問しましょうか?
俳句創作初心者が最初に身に付けるべき要点とは何ですか?」

するとね。いきなり「季重なり、三段切れ、中八、擬人化は避けろ」等、
技法の事を持ち出してくる方が結構いらっしゃるのではないでしょうか。
他には「実景を詠め」、「因果は避けろ」等。

もうね。お前等、何も言うな! と私は叫びたい。
一言、「季語を入れて音楽や風景画の様な感じで、5・7・5の17音に
してください
」と前置きして最初くらい詠みたい様に詠ませてやれ
何事もまずは楽しさに触れるのが先。それが芸事。
そもそも技法名因果なんて言われて作句初心者に分かる訳が無い

私は『プレバト!』観てて思う。「夏井いつき先生の解説は理解し易い
流石は国語教師出身の俳人」と私は絶賛しております
俳句創作初心者が最初に身に付けるべきは、
俳句は季語を主役に据えた17音の詩であると理解する事」と、
17音で表現できる言葉の質量を理解する事」。
これありきじゃないのか? と。

いきなり作句から入って上手くできる訳がない。
何故なら、「17音に入れられる言葉の限界」を
作者が理解していないのだから。

じゃあ、「作句歴2年、句帳に僅か60句のお前が
『俳句添削道場』にデビューして、僅か2か月足らずで何で師匠位を
獲れたの?」って事になりますが、元々私は短歌畑の人でしたので、
音数に限りがある詩には前以て触れていたからです、長らく。
小学生の時から短歌は詠み、鑑賞しておりました。
俳句は音数が短くなり季語を主役に立てるという制約上、
短歌よりも難しいといえば難しく、なので手出ししていなかったのですが、何の経験も無いド素人よりはスタートラインが前の方にあったという訳。

更に、殆ど『プレバト!』しか観ていなかったけど、
鑑賞は2021年からしてましたし、何処にも投句はしなかったものの
作句自体は2022年に始めていた訳でして。

じゃあ、「作句歴が短く作句数も少ないのに、何で他者の作品を
添削できるのか?」との質問が出て当然ですけど、「『プレバト!』で
夏井先生が何をなさっているのか見りゃ分かるでしょ?」
って事なんですよね。

俳句添削道場には作者コメントの欄があるので
そこで自句自解できる訳
俳句は鑑賞物なので普通は自句自解なんてしないししたら嫌われるけど、
ここに限ってはしっかり自句自解するし、しないと他者が添削できない訳。

俳句の添削とは何か。
17音で作者が表現したい内容と句の字面の乖離がないか確認し、結果
言葉が足りていなければ」え、言葉が多過ぎるなら」る。
その際は、原作者に心を」え、改めたいとの我欲は」る。
それが「添削」。乖離を埋めて無くしていくだけ
そうしないと改作になる他者作を勝手に改作するのは失礼
改作なら自分の句でやればいい私もよく自己改作をする
(またはAIに駄句を作らせて、制約付きで改作する)
駄句は捨てろと言われていますが、私は自己改作のネタにしている。

乖離は、作者コメントが詳しく書かれていればいる程、
句の背景が分かるのでやり易いよって事。私の場合、
「作者コメントが短いし、この句はどう読み解いたらいいの?」という
作品は、「添削のしようがありません」と書いて、その理由を書きます。
できる範囲でしかしないって事。指導者レベルじゃないんで。
また、読み解く際には季寄せ以外に必ず国語辞典と古語辞典を用意して
いつでも調べられる態勢にしてから添削する。

以上の理由で、オンライン句会で選句期間が短いと困るんよね。
表面的な読み解きで選びたくない作者の心を読み解きたい
私が選者を任されたらそれ位しないと作者に失礼と考えている
作者は作者なりに努力して投句している以上その努力自体は認めるべきで、その姿勢が無ければ幾ら俳句の先生や有名な選者でも
指導者としての自覚に欠けている
ねって私は評価してる訳。

話を元に戻すと、そもそも初心者は歳時記・季寄せを
持っていなかった期間が長くある。私も今年5月に季寄せを買った位で、
それまでネット歳時記を見ていた。
作句初心者は季語の概念自体がまだ育っていないので、
季重なりを指摘されて理由を説明された所で納得しないんよね。
何故なら、「そもそも自然界が季重なり」だから。
三段切れも同じ。「感動の焦点が分散して読者は分かりにくい」と
説明しても、「感動の焦点は季語じゃないんですか?と質問されて
納得させられる指導者がどれだけ居るの?って事になる。

なので、最初は好きな様に作句させて
17音で表現できる質量を知る事が大切」と私は主張している訳。
そうしていくうちに季語の概念も分かってくるし、
季語の本質を知りたいという好奇心に繋がる日本語そのものも上達する
助詞1つにもこだわっていくからね。
最初からあれこれダメ出しすると
俳句なんて全然面白くないから止める」となっちゃうんですよ。
面白く無いものを誰がするの?って事になる。

もし、季重なりや三段切れについて私が初心者から質問されたなら
その様な構造になっていても名句と言われているものを紹介して
一緒に鑑賞しませんか? と誘うし、
「じゃあ、私も季重なりをテーマに作ってみる」、
「じゃあ、私も三段切れをテーマに作ってみる」、と、自分からやる
そして、作句した感想を述べる
きっと「三段切れ、擬人化、中八は難しいから私はしたくない」と
私は言うんだろうけど。奥の手で使う時は使う。それでも
私は中八はしたくない(笑)。リズム的に嫌だ。

講師による実演は効果的である何故ならこうする方が説得力あるから
「目の前で先生がなさって「難しかったダメだった
全然面白くない句になった」と仰られているのだから、
初心者の自分が成功させるのは、きっと難しいんだろうな」と
普通は思う。そう思わない人は感性が無いのか、逆に天才かのどちらか。

大切なので繰り返します。
初心者にはまず作句の楽しさに触れさせて鑑賞の楽しさにも触れさせて
有季定型」で「音楽や風景画の感じで詠みたい様に詠ませる
前置きしておけば形容詞なんて入れない(感情を直接伝えない)から
最初は季重なりだろうと三段切れだろうと構わない
ただそうなっている事実だけは伝える。「難しい技法だねとだけ
技法への質問があったらその場で講師が実演すればいい
実演して、「ダメだった全然面白くない句になったと言えば済む

ダメ出しなんて誰でもできるそれだけをやる先生に意味は無い
先生と言われているならそれ位やれよって事。褒めてナンボ
(中には褒めようが無い作品もあるだろうけど)

「じゃあ、お前は?」と聞かれそうなので、一応書いておきます
中八以外は一通り作句したやれと言われたから
けど、句として面白くなかったし、とっても苦行だった。
自分が納得できる出来映えにならなかった
何しろ、本能的に避けようとしている事を敢えてやる訳だから
季重なりはそんなに気にしてないけど季違いは時々気にする)。
三段切れで「まぁ、自分ならできても精々この程度かな。
悪くはないけど良くもない」という句で、2句あれば良い方。

何はともあれ、俳句指導者は、作句初心者の楽しみを
奪ってはダメって事です。

今回は以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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