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歴史総合・日本史探究共通テスト解説 ~大問1~ 2025年
2025年共通テストが終わりました。
今年から新課程となり、去年までの日本史ABから歴史総合・日本史探究という科目に代わりました。
大問ごとに解説をしていき、最後に個人的な感想を話せればと思います。
東進さんのページで問題を閲覧できるので興味のある人はどうぞ
問1
解答③
18世紀末にイギリスが対中国貿易を行っていた場所を選ぶ。確実にaを選びたい。bとは寧波である(寧波の乱(1523))。覚え方であるが、奄美大島からほぼ真西に位置すると理解しておこう。清朝も明朝に引き続き海禁政策を行っており、広州のみ貿易が認められていた。広州は南に位置する。なぜここかというと、単純に欧州はインド~インドネシアらへん~東シナ海を通り中国に行くからである。ちなみに広州は後でフランスが租借する広州湾がある場所なので場所は知っておこう。下線部aの「主権国家からなる国際秩序」とは17世紀中葉の欧州で生まれたウェストファリア条約(1648))のことである。あの文は「中国を中心とする中華思想」の説明である。
問2
解答②
資料の出典は『大日本外交文書』である。なので、資料の「我が国」とは日本を指す。「一昨年に台湾出兵が発生した」・「昨年~朝鮮との間で事件」の二つは1874年と1875年(江華島事件)を指す。つまり、この資料が書かれた時期は1876年で確定する。①の下関条約は1895年で外せる。②の清仏戦争は日本史範囲であり、これが原因で甲申事変が発生する(1884)。なので②が正解となる。③は「内地雑居が認められた」という点から考える。条約改正担当は、岩倉具視→寺島宗則→井上馨→大隈重信→青木周蔵→陸奥宗光と引き継がれるが、井上と大隈の改正案を思い出してほしい。2人とも「内地雑居」を改正案に含んであり、これが為に国内で大論争が巻き起こされた。井上に対しては三大事件建白運動が、大隈重信は右翼によるテロ事件の被害にあっている。大隈重信遭難がきっかけとなって黒田内閣は総辞職している。黒田内閣で大日本帝国憲法(1889)が発布されているので時期も確定できる。内地雑居の認可は陸奥宗光による日英通商航海条約の締結による(1894)。横山源之助が『内地雑居後之日本』(1899)を刊行しているのも参考になる。④について、事件とは江華島事件のことである。これをきっかけに日本は日朝修好条規を結んだ(1876)。その内容は「日本が優位の不平等条約」である。日清修好条規(1871)は対等条約であるので混同しないように。
問3
解答②
やや難。アにはイギリスが入るが、ヒントは「穀物法を廃止した」しかない。穀物法は歴史総合の中でもマイナーな部類に入る。さらに間違いの選択肢がスペインというのも厄介である。疫病がテーマであるのでスペイン風邪を思い出す人が多かったのではないかと思う。19世紀中葉の話をしているので時期がまったく合わないが、いじわるな問題だと思った。イはイギリスがこの時期、自由貿易を推進していたということが理解できていれば選べる。世界史的な内容だが日本史からもアプローチは可能である。日米修好通商条約では「自由貿易の原則」が規定された。この条約は安政の五か国条約ともいわれ、アメリカ以外にも、オランダ・イギリス・フランス・ロシアとも結んだ。つまり、列強の間では「自由貿易」がスタンダードになりつつあったことが分かる。
問4
解答④
WW1~WWⅡまでの時期、特にWWⅠ~1929年の間は国際協調が大きく発展した時期である。①、は1902年の日英同盟協約によってイギリスは「光栄ある孤立」を放棄している。②は、イスラエルの建国は戦後である(1948)。③は、時期としては合っているが、国際協調というテーマと合わない。④のドイツは、1925年のロカルノ条約によって国際連合加盟が認められている。
問5
解答①
傍線部bの「1858年のコレラ流行は、アメリカ軍艦ミシシッピ号の乗組員がもたらしたもの」という前提をまず押えよう。地図とメモ1を見比べると、関東地方のコレラ流行は7月から始まっている、その1ヶ月前に下田にミシシッピ号が入港している。近畿・中部地方では8月下旬と9月に流行しているので正文と判断できる。メモ2について、京都のコレラ流行の時期は地図のどの地域よりも遅い、なので誤文である。
問6
解答③
①は正文。②の世界恐慌は1929年発生、それ以降49年まで減少しているので正文。③について、ベトナム戦争は1965年のアメリカによる北爆から始まる。その後のアジアからアメリカへの移民の部分を見ると増えているので③は誤文。冷戦終結は1989年である。10年後のグラフは南北アメリカからの移民が500万人程度であるので正文。
問7
解答⑤
難問。メモⅢはカストロによるキューバ革命のことである。これによりキューバが社会主義陣営に組したことでキューバ危機が発生する(1963)。まず、キューバとカストロが繋がっていないとキューバ危機に至らないであろう(日本史において社会主義国の誕生という話が、中華人民共和国・朝鮮民主主義人民共和国・ベトナム社会主義共和国・キューバぐらいであるので、感の良い人はここから想定できなくもないか)。そして、キューバ危機に対応した米大統領はケネディ、ソ書記長はフルシチョフである。フルシチョフはスターリン批判でも登場する(1956)。メモⅠの時期が難しい。プラハの春(1968)である。私はこの時の書記長がプレジネフであり、ソ連書記長は、スターリン→フルシチョフ→プレジネフと変遷するという点で解いた。メモⅡについて、鄧小平は毛沢東による文化大革命のときに失脚させられた人物である。毛沢東が亡くなった(1976)後、復権し、四つの現代化を進める。日本史の人は「毛沢東は意外と後まで生き残っている」と覚えておこう。田中角栄の日中共同声明(1972)の時まで生きているのである。
問8
解答④
Wのドイツ関税同盟はビスマルクよりも前の時代である(1831)。ビスマルクは日本の岩倉使節団と同時期であると覚えてもらいたい(1871)。ベルリンの壁崩壊は1989年であるのでXが当てはまる。いの文は明治初期のお雇い外国人のことである。Yの文はWWⅠ大戦の後のことなので時期が合わない。よってZが良い。