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ケガレについて~現代につながるケガレ~(小話)

以下の記事の続きとなっているので、先に読むことをお勧めします。



平安期以降のケガレ

平安貴族はケガレを感染するものとみなし、過度に恐れた。
平安京の周囲には死体が平気で転がっている。
これを野良犬が食べ、骨を咥えて京内を歩き回る。その犬が宮中に入り込み骨を落とす。

この骨が見つかると宮中はてんやわんやの大騒ぎとなる。宮中に「死体」があり、ケガレてしまう
この状態を「五体不具穢」と呼ぶ。こうなると国家を挙げて汚れをはらう祭祀を行うのである。

中世になるとどうであろう。中世は「戦の時代」である。殺し合いがあちこちで行われ、ケガレという観念は、貴族空間でさえも薄れていったであろう。そもそも、生死が日常茶飯事の世界に生きている武士が日本を動かしていたのであるので当然であろう

江戸時代のケガレ

そんな風潮も江戸時代に入ると変わってくる、1615年の大坂の陣で戦国の世は終わりを告げる(元和偃武)
3代将軍徳川家光の時代までは戦国の名残が残っており、諸大名に対して徳川幕府への服属を表現するための参勤交代の制や、大名証人制(大名の家臣の妻子を人質として江戸に住まわせる)もあった

特に、応仁の乱の原因が将軍家や管領家の家督争いであったように、家督をめぐって、お家騒動が発生する場合もある。
対立する両者は、自分が有利になるよう、様々な人物・陣営を味方に引き入れようとする。ただの家督争いが一国の争乱となる可能性もある。ともすれば幕府の威信にかかわる結果を招きかねない。

なので、幕府は大名に対して、生前に家督を定め、幕府に報告する義務が大名に対して課された。とはいっても、織田信長愛好の幸若舞にあるとおり、「人間五十年」と言われる世の中で、なおかつ平和になった世の中で、例えば三十歳の大名が自分の死後を考えて跡継ぎを決めるだろうか

まさか死ぬとは考えない

人間、いつどこでなにがおこるかわからない。二十代で病にかかり、そのまま亡くなってしまう可能性だってある。病気や事故によって自分が死ぬ直前に幕府に家督を報告することを「末期養子」と呼ぶ。
死の間際での判断は誤っている場合が多く、よけいな争いの種になる可能性がある。幕府はこれを禁止していた(末期養子の禁)

江戸時代の大名に対する改易は3代将軍徳川家光までの時期に集中している。その理由の多くが「末期養子の禁」を破ったことによる。

改易とは倒産だ

さて、改易にされるとどうなるのであるか。
改易を分かりやすく例えるのであれば「会社の倒産」だ。倒産するとそこに努めていた社員はもちろんクビとなり、仕事を失う。現代であれば、そこから転職活動を行い、仕事を選ばなければという前提はつくが、次の職場で働くことになる。

では当時はどうか。武士も、もちろん転職先(藩)を探す。しかし時代は戦の無い平和な世の中。戦で手柄を立てて取り立ててもらう、ということもなく…、
かといって藩は仲間意識が強く(17世紀前半は戦国の世を主君と生き残ってきたため)、新参者を喜んでうけ入れるようなところはない

こうして自暴自棄となった牢人たちは暴れ出すのである。3代将軍徳川家光が亡くなったのをきっかけに由井正雪と丸橋忠弥が慶安の変を、戸次庄左衛門が承応の変を引き起こした。

この事件を経験した幕府は末期養子の禁を緩和して、殉死を禁止した。戦国の世であれば、主君に仕えて死ぬことが武士として最大の美徳であり、殺し殺されという殺伐とした世を前提として力で大名を押さえつける政治(武断政治)から、上下の身分秩序でもって治める(文治政治)へと転換したのである

生類憐みの令

こうした時代の流れを受けて、五代将軍徳川綱吉が発布したのが、有名な生類憐みの令である。生類憐みの令は「生き物をすこしでも危害を加えた場合、処罰の対象となる」という性格だけが独り歩きをし、歴史上類を見ないとんでもない法令だという評価を長年うけてきた。
しかし、その評価から一転、現代の私たちの生死観に決定的な影響を与えた法令でったことが明らかになっている。もちろん過度な動物愛護令であったことは事実であるが、重要な2つの側面を強調したい。

①:捨て子を禁止して、見つけた場合は保護すること
②:野良犬の徹底的な管理
の2点である。

「死」という非日常性

殺伐とした状況をイメージしてください、と言われたどのような光景をイメージするだろうか?
冒頭でも話したが「野犬が人間の骨(犬がくわえられる大きさの骨=乳児の骨)をくわえて歩いている」光景は殺伐の見本のようなものであろう。
生類憐みの令は人間、特に乳児にも適応された。そして野犬を管理することで、殺伐とした状況を一変させたのである。
また、同時期に出された服忌令にも大きな意味がある。服忌令は親族に死が発生した場合の取り決めを改めて設定しなおしたものである。死がけっして身近なものでは無くイレギュラーなものであることを象徴するため、死に関しての儀式的パフォーマンスを通じて非日常性を創出したのである

現代の私たち-特に日本に住んでいる-にとって、「死」とは完全な非日常になり下がった。それゆえの弊害も発生するのが現代であると私は思う。
「死」があまりにも遠くになりすぎた。
「生」と「死」のバランスが保たれていない。人間が「生」と「死」をコントロールできる時がいずれは来るのか。神のみぞ知るである。

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