上野誠『万葉集抗議‐最古の歌集の素顔‐』(本紹介)
最近読んだ本の紹介をしようと思う。
上野誠『万葉集抗議‐最古の歌集の素顔‐』(中央公論新社、2020年)
である。
この本から得た知見や感想めいたことを語ってゆこう。
中学の国語で「枕詞」というものを習う。ある言葉を引き出すために使用する特定の語句を言う。
例えば、「秋津島」という枕詞は「大和」という語句を引き出す。
驚くのが、歌を歌った本人でさえ、なぜこの言葉が特定の語句を引き出すのかわからないまま使用している場合があるという。
まじかよ。
万葉集の歌は大同小異のものが多い。上の句というお題に合わせてそこに居合わせた人々が自由に下の句を紡いでゆくからだ。ここに「歌とは語り継いでゆくもの」という性格が表れる。
万葉集巻一、二は歌による歴史…歌の背景についての説明が日本書紀となるべく矛盾しないような作りになっている。
巻十七~二十は大伴家持のアルバム的なもの。
日本語は漢字を取り入れて発達したので、漢字でもって思考する。
→読みは文脈でもって判断するしかなく、そこに教養が表れる。当時も現代もここは同じ。
万葉研究者は五・七・五・七・七に合わせて何となく訓んでいるにすぎず、常に万葉集らしい読み方を模索している。
「食ふ」に敬意を入れると「をす」と読む。地域を収める有力者はその土地のものを「食ふ(をす)」ことでその地域を「押す」のである(をす国)
東歌が五・七・五・七・七なのは、中央の歌が地方に国司を通じて伝わったから。読み手は農民ではなく郡司層(地方知識人)
巻三の四四三は丈部龍麻呂の歌だが、氏名から東国とわかる。この歌には「母父」という表現があり、古代東国では母系が強いということが想定できる。
→私の知見を補足しておくと、日本社会は父母の系譜を両方重要視する「双方系」の社会だと指摘される。中国は父系を重要視するため、漢化政策を行った桓武天皇によって中国皇室の儀式儀礼が取り入れた際に日本でも父系がメインになったとされる。ちなみに赤道付近のミクロネシア付近の島々の民族は母系が強いとされる。
この点から日本人がどこから来たのか明らかにしようとする試みもある。
参考を挙げておく
東歌から、恋人が分かれる際には女が男の衣の紐を結ぶ習慣が存在していたことが分かる。再開までこの紐は解かない。自然に解けると相手が自分との再会を望んでいるというサインになる
ロマンチックである。
古今和歌集には万葉集の成立時期を「ならの御時」とある。これは10世紀の歴史観である。
「なら」というのは奈良時代のことか?平城(なら)京の時代か?
10世紀の人びとは、なら=平城天皇を指していたらしい。
メモした場所をいくつか書いてみた。この本を読んで「万葉集というのは現代人が一番親近感を感じて読むことができる歌集なのだ」と思った。中学国語では万葉集・古今和歌集・新古今和歌集に触れるが、万葉集の特徴として「素朴」と説明される。たしかにその通りだと思った。
例えば、現代と比べておおらかだとは言え、もちろん浮気はよくない。でもその場を盛り上げるために「私には夫がいますけど、あなたのことも好いています」と歌にして読む女性や、日々の生活の一風景を素直に読んだ歌もある。なんだか人間臭くておもしろい。
例えば、巻十四の三八七九はこんな歌である
「あの酒屋の使用人がなにかしたのだろうか、主人からすごく怒られている、かわいそうに、助けてやろうと思ったが勇気がでなかった、申し訳ない、あんなに叱られてかわいそうに」(筆者訳をさらに意訳)
次回の本紹介は、友人が中国史の本を3冊も貸してくれたのでそれにしようとおもう。すこし日本史からは外れるが。
アデュー