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歴史総合・日本史探究共通テスト解説 ~大問3~ 2025年

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このnoteでは2025年共通テスト歴史総合・日本史探究の大問3を解説します。


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問1

解答④
「可能性がないもの」を選べといういままでにない聞かれ方だ。要は、3世紀までの時点で「楽浪郡・前漢・後漢・新羅」という国(役所)が成立していたかどうかを考えればよい。①の楽浪郡は前漢の武帝によって紀元前108年に朝鮮半島に設置された。『漢書』地理志に「夫れ楽浪海中に倭人有り」という書かれ方をしている点からもわかる。②について、『後漢書』東夷伝には「建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以てす」とあり、奴国が金印を授かったのは57年の事とされる。③について、先ほどの『漢書』地理志には「倭人~歳時を以て来り献見すと云ふ」とあり、前漢と倭人の間には通好があったらしい。④について、新羅が成立したのがいつかというのは非常に難問であるので、馬具という点から考えよう。日本に馬具が伝来したのは古墳時代中期とされる。古墳時代中期とは前方後円墳が巨大化する時期であり、この時期の古墳の副葬品として馬具が確認できる。日本最大級の古墳は百舌鳥古墳群の大仙陵古墳であり、被葬者は仁徳天皇とされる。仁徳天皇は倭の五王のうちの一人と比定され、雄略天皇の少し前の人物である。雄略天皇は中国南朝に478年に朝貢し、安東代将軍の称号を得ている。つまり馬具が来る時代は478年より少し前ということが分かる。また、前期古墳で最大級のものに箸墓古墳があるが、被葬者が卑弥呼であると考えられている。卑弥呼が魏に使いを送ったのは238年とされ、卑弥呼の時代から50年以内に馬具が伝来するとは思えない。なので④は誤文である。

問2

解答③
①について、日本は唐に朝貢を行っていたが、冊封は受けていない。冊封を受けるとは、問1で説明した通り、中国皇帝からなにかしらの「称号」を受け取る事である。遣唐使はそのような称号を受け取っていないので誤りである。ちなみに日明貿易において、足利義満は「日本国王」に冊封されている。②について、8世紀の日新羅関係は敵対状態であり、悪化している。藤原仲麻呂は新羅征討計画を立てていたほどだ。この影響で遣唐使は半島沿いを通る北路から危険な南路を通るようになる。③は正文である。橘諸兄は、藤原四子を含む上位貴族層が天然痘で一掃されてしまった後の、緊急人事で政権トップになった。なので遣唐使としての知識を有している玄昉と吉備真備の補佐をうけようと登用したのである。この人事に反対して乱を起こしたのが藤原広嗣である(740)。④は判断が難しい。新羅商船の話はかなり細かく、民間船が全く来ない状況になったかどうかは判断できない。③が確実に正文であると判断しよう。

問3

解答②
渤海は、高句麗が唐・新羅連合軍によって滅ぼされた後、高句麗後裔国を称して現在の中国東北部に建国された国である。新羅とは敵対関係にあり、日本も新羅と敵対していたことから、比較的友好的な外交関係を結んだ。なので渤海の時期は日本でいう奈良時代にあたる。資料1に、「宋」とあることからこれは少なくとも10世紀以降の資料である。日宋貿易から平氏政権をイメージしてもよい。資料2は「聖武天皇」という語句があるので奈良時代と判別できる。資料3は、「隋」という語句があるので7世紀前半と判別できる。ちなみに隋の滅亡の原因は高句麗遠征の失敗である。資料4は判断が難しい。難波薬師奈良が自己の先祖について述べている文章であるからである。ただし、「百済国の人となりました」という部分から百済がまだ存在していた時代であると分かる。百済の滅亡は660年なのでこれも誤文である。

問4

解答①
文章あについて、8世紀末の兵制改革とは、桓武天皇による軍団の廃止と健児の制の採用である。軍団の負担が民衆の重い負担となっているため、行った撫民政策である。軍団を廃止して新しく郡司の子弟を健児に採用することにした。しかし、国境の最前線である九州と東北に関しては軍団を維持することとした。なので正文である。文章いについて、刀伊の入寇のことであり、1019年に発生した。なので11世紀前半という時期も矛盾しない。これを撃退したのは当時、大宰権帥であった藤原隆家である。隆家は、兄に伊周、父は道長の兄の道隆であり、おじの道長との氏長者争いに敗北して大宰権帥となっていた人物である(実際は多少複雑だが…)。なので正文である。

問5

解答④
遣唐使の停止は894年、菅原道真の建議によって宇多朝に行われた。その後、摂関期をピークとして栄えた文化が国風文化である。サクラさんのメモの文章に誤りはないが、図は螺鈿紫檀五弦琵琶であり、東大寺正倉院の宝物の一つである。東大寺正倉院の宝物には光明皇太后が寄進した聖武天皇の遺品が納められている。天平文化の出来事なので誤文である。タケシさんの文章も正文である。摂関期は末法思想の真っただ中である。末法思想とは、釈迦が入滅して3000年後の世界を指し、仏教の教えが廃れ世界が終わる、という思想である。なので、現世から脱出して極楽浄土に生まれ変わろうとする考えの浄土教が貴族層で流行するのである。図は来迎図であり、往生の瞬間を描いたものである。なので④が正解となる。

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