ケガレについて~平安貴族が恐れたもの~(小話)
こちらの記事でケガレについて少し触れた。今回の小話では少しこのケガレについて深入りしてみよう。
ケガレは感染する
ケガレのイメージは「インフルエンザ」に近い。要はウイルスのように、「人から人へと感染する」のである。
平安時代の儀式書(『西宮記』(源高明)、『江家次第』(大江匡房))などにはケガレに感染するルールについての解説がある。少々複雑だが説明しよう。
Aが死のケガレに触れた(親が亡くなったとしよう)、そのAがBの家に行き、BがAのケガレに感染し、Bが家に帰るとBの家という空間ごとケガレが汚染される。逆にAの家にBが訪れてもBにAのケガレが感染し、Bが自分の家に戻ってもAのケガレによってBの家という空間が汚染される。このBの家にCが訪れた場合、AのケガレがBの家を媒介としてCにもAのケガレが感染する。逆にBがCの家に行った場合もCの家の空間がAのケガレに汚染される。しかし、DがAのケガレに汚染されたCの家に行ってもDにはAのケガレは感染しない。
要は3人目までは移って、4人目以降はケガレから免れることができるのである。
感染予防
問題なのは、ケガレの連鎖によって政務が停滞してしまうことである。
ケガレは、感染した人物が存在した空間ごとケガしてしまう。もし、公卿の誰か一人でもケガレを朝廷内に持ち込んでしまうと、「朝廷という空間がまるごと」ケガレてしまう。
なので出勤停止扱いとなる。例えばこれが藤原道長であったどうであろう?
完全に政治はストップしてしまう。
余談だがこのシステムを悪用してサボる人物もでてくる。こちらにも面白い話があるので別の機会に書籍の紹介という形で話そうと思う。
(祖母が亡くなってしまったので~という理由は意外と昔からある(笑))
なので、血縁者が亡くなった場合は朝廷への出仕を控えなければいけないのである。
ちなみに、死のケガレは1カ月、生のケガレは7日とされ、この期間は謹慎しなければいけない。
先ほど述べたように、ケガレが発生すると政務に大きな支障がでる。そこで明法家(法律の専門家)はあの手この手でこのケガレを避けるシステムを作ってゆく。
ケガレ感染の仕組みで「AがBの家に行き、BがAのケガレに感染し」という状況を想定しよう。本来、ケガレはAの敷地に入った時点で感染するが、これを避けるために明法家は「敷地に入っても玄関までならセーフ」というようなことを言い出すのである。究極的には「着座しなければセーフ」というルールも設けられる。Aの空間に入ってもBが「座る」までは完全に「訪れた」ことにならないという考え方である。そうすれば政務が滞ることがないのである。
女性とケガレ
歴史的に女性はケガレているとみなされてきた。皇室の先祖神はアマテラスという女神であるにも関わらずだ。なぜなのかを考えてみよう。
『日本書紀』の国生み神話を簡単に説明すると、
イザナギとイザナミが、柱を中心として反対方向にそれぞれ回り二人が出会ったときにイザナミがイザナギに「良い男だ」と声をかける。イザナギはそれに答えて「良い女性だ」と応える。そうして子供を産んだところ醜い子が生まれた(水蛭子)。「あぁ、恥だ」と言葉にして醜これを海に流した(これが淡路島となった)。原因を占ったところ、イザナミから声をかけたのが原因と出た。なので再び同じことを繰り返し、イザナギが「良い女性だ」と声をかけたのに対し、イザナミが「良い男だ」と応えて子供を産んだ。これが本州・九州・四国となった。
という話である。ポイントは「最初は女性であるイザナミから声をかけたが故に失敗した」というところである。女性はケガレているが故に不浄な存在とみなされる観念が日本社会の口頭伝承の段階で存在していた。
女性が無条件でケガレとみなされる根本原因はなんであろうか?
ケガレとは死である。死を誘発するものに「血」がある(大けがすると出血多量で死ぬこともある)。ここから血(出血)=ケガレという観念が早い段階で生まれた。
女性は出産をする。出産にはどうしても出血が伴う。言い方を変えれば、女性は出血を運命ずけられた存在なのである。
なのでケガレとは死だけではなく、出産の際にも発生する。
余談だが、死の謹慎が1カ月、生の謹慎が7日と、生が短く設定されている理由は「共同体構成人数の変化に対応するため」とされる。死は突然のものであり、残された共同体構成員は対応に時間がかかる。対して生はある程度の予想がつく。
さて、ここまで平安貴族とケガレについて説明してきた。
長くなってしまうのでいったんここで終わりにしたい。次回は平安期以降のケガレについて話していこう。
アデュー