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歴史総合・日本史探究共通テスト解説 ~大問5~ 2025年
このnoteは続きです。
以下の記事を参照してください
このnoteでは2025年共通テスト歴史総合・日本史探究の大問5を解説します。
2025年共通テスト歴史総合・日本史探究は東進さんのサイトから閲覧できます。
問1
解答④
太閤検地についての説明である。あについて、太閤検地では領主ごとに枡が違っていたため京枡に統一している。しかし、下線部aの主題はあくまでも「土地調査」である。いは土地に関する説明である。太閤検地は一地一作人の原則を謳っており、これまでの土地に対する複雑な利害関係(荘園)を否定したところにおおきな意義がある。なのでいを選ぼう。近世の百姓について、Xの文は自力救済を表していると思われる。自力救済は中世によくみられるもので、惣村による惣掟や地下検断はその例である。戦国大名はこうした百姓等の自力救済を否定し、警察・裁判権を領主(大名)に一元化しようとした。これの明文化が分国法である。近世(江戸時代)はそうした戦国時代を受けて成立したので、自力救済を認めるのはおかしい。なのでYが正文である。
問2
解答③
①について、最後の条文に「その罪に応じて定めた通りの処罰を村として行う。」とあるので、罪刑法定主義が採用されており、あらかじめ罪に対する様々な罰が定められていた。なので誤文であうる。②について、最後の条文に「処罰を村として行う。よって村民が連盟で法度として定める」とある。村民が村として作った法度で処罰を行うとあるので、領主ではない。ここでの領主とは藩のことである。よって誤文。③について資料中に五人組という言葉が出てくる。罪を犯した本人は追放、五人組は1000文の罰金とあるので連帯責任が課せられている。なので正文である。④について、「農民の生活を規制するような法令」が、資料の書かれた1669年までに存在したかを考える必要がある。例えば1642年には寛永の飢饉を背景とした田畑永代売買の禁令・田畑勝手作の禁が出されているが、「生活を規制」する法令に数えてよいか迷うところである。他にも慶安の触書がある。「慶安」という元号がいつ頃かを判断するのが難しい。1651年に徳川家光が亡くなると牢人の不満を背景とした慶安の変(由井正雪の乱)が発生する。ここから慶安の年代が想定できる。慶安の触書は、例えば「酒・茶を買のミ申間敷候。妻子同前の事。」とあるように飲んではいけないものを記している。これは「生活を規制」する法令と言えそうである。ただし、近年の研究によって慶安の触書・田畑永代売買の禁令・田畑勝手作の禁はその存在が疑われ、特に慶安の触書は出題傾向が低くなっている。この問題に関しては③が明らかに正文なのでここに自信を持つしかない。
問3
解答⑥
Ⅰについて、「江戸への出稼ぎを抑制し、流入した者を帰村(農)」させる政策という部分で寛政の改革の旧里帰農令、天保の改革の人返しの法を思い出してほしい。ただ、この文から二つのうちどちらかは判断が難しい。Ⅱについて、青木昆陽は野呂元丈と共に徳川吉宗によって蘭語を学び、蘭学のはじめとなった人物である。特に青木昆陽は飢饉対策として甘藷(さつまいも)の栽培を将軍に提案し、採用されている。なので時期は享保の改革である。Ⅲについて、「耕地の喪失や細分化を規制」という点から分地制限令(1673)を思い出したい。時期で言うと4代徳川家綱の時期か。なのでⅠの時期が寛政か天保か判断がつかなくとも問題はない。
問4
解答②
あについて、メモ3の天明3年・火山の噴火という点から浅間山の噴火と判断したい。天明の飢饉の原因冷害と浅間山の噴火である。いについて、メモ3の慶応2年部分に「天明3年以降、荒地は年貢賦課の対象外となっている」とあるので減免されている。うについて、天明3年では村民597人とあるのが、慶応2年では村民199人となっており回復はしていない。
問5
解答③
①について、村の運営は土地を持つ本百姓が中心となった。水吞百姓は村の自治には参加できなかった。町もの自治も同様であった。②について、メモ3をみると天明3年の後半部分で「他村の名主が世話している状態」とあるので正文である。③について、グラフから前半部分は正文と分かるが、享保の改革(18世紀前半)において年貢率は四公六民から五公五民へと変化している。なので誤文である。④について、17世紀後半以降新田開発が盛んになり、とくに享保の改革では積極的に奨励された。なので正文である。