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霊の話 6 私のもとに来る霊たちの話

前回の話の中で出てきた、霊的な事を仕事にし始めた理由についてのお話です。

私はなぜか、子どもの頃から視えるだけでなく、ただいるだけで霊が寄ってくるという残念体質を持っていました。タイミングが合えば、がっちりくっつかれるタイプなので憑依される事はしょっちゅうでした。

私の場合は霊の意識と自分の意識の区別が小さい頃からはっきりついていたので、特に意識が何か変わるとか、性格が豹変するなんてことは特にないタイプでしたが、霊に憑依されるとやたらと疲れるようになります。なので、私は幼少期から体力のない虚弱体質のぼんやりした子どもだったのを覚えています。

そして、私のもとにやって来る霊達のほとんどは、話を聞いてほしいということでやってきます。なんとなく道端で憑いてきた霊とか、礼儀正しく玄関から客のように入ってくる霊とかやって来方は様々です。

ですが、基本的に部屋にはプロテクトをしてあるので霊が入って来ようとすると、合図のように玄関のライトの電球が、バチッ とすごい音を立てて切れます。私に憑依していても、プロテクトでいったん弾かれて電球が切れます。

仕組みは私が作ったわけではないのですが、なぜか毎回霊が来ると電球が切れるという現象が起こっていました。

霊と電気系統は相性が悪いので仕方ないのかもしれません。霊はその音でとてもびっくりしていなくなってしまうこともありましたが、一番多かった月は一ヶ月間で電球18個変えた時がありました。勘弁してくださいよとよく思っていました。

そして、仕方なしに家にあげると、ほとんどの霊が亡くなった時の事を聞いてほしいというお願いをしてきます。

どうやって亡くなったかを私に伝えてくるのですが、話すことで命を失ったショックを和らげ、共感される事で死を受け入れているのかなと感じる事が多かったように思います。

そして、会話が得意な霊は話しきるか、イマジネーションが得意な霊は私の頭に映像を再生しきると、彼らはだいたい少しだけ泣きます。

私はそのタイミングでどうしたいか聞きます。

「天に上げていい?」

と聞くと、ほとんどがいいと言ってくれます。

霊は話をすると、生を失った事に諦めがつくような感じになっていきます。私の家に来訪する霊の傾向は、長い間一人でさまよってしまった分、生に対する未練はなくなっているような感じで、でも、悲しみをいま一つ消化できず、もはやどうやって上がっていいのかもわからないという雰囲気の霊が多かったように思います。

なので、話をすると、その感情が消化され、穏やかな感じになり、自分から上がりたいと言う霊もいれば、自然と消えていく霊もいました。

ほんの数時間の出会いなのに、死との遭遇という深い話を聞くせいか、天に上げてあげると、私はなんとなく、仲の良い友達と遠くに行くお別れをした時のような、そんなさみしさを感じたのでした。

そしてある日、

霊にも口コミがあるのか何なのか、相変わらずどうやって私の元へ来るのかわからない霊の中に、「家族にメッセージを伝えてほしい」という霊がいました。

「それは、私にはできないから、誰か生きている人をここに連れてきてくれるかな」と伝えました。

まぁ、申し訳ないけど無理だろうな・・と思って帰したのですが、一ヶ月後、私の友人から、

「霊と話したい人がいるんだけどできる?」という連絡が入りました。

その霊はどうやったのか家族と私を一ヶ月かけて繋げたのでした。すごい根性だ。と思いました。

私はその時から、人と霊を繋ぐお仕事を始めたのでした。これが、霊と一緒に仕事を始めたきっかけのお話です。

そして、それから私はその仕事を自ら率先して広めたわけではなく、その霊と対話した依頼者の口コミによって、そして、それからたまに知らない霊から、家族連れて行けばいいんだよね?みたいな意味の分からない確認をされるようになり、そうして自然と依頼が入るようになり、仕事にせざる得なくなったのでした。

続く。


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