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霊の話 14 心の繋がりと悲しみの終わり

私の母は私が20代の始め頃に脳内出血で亡くなりました。私が大学生だった頃のことです。

当たり前ですが、当時、家族中が今この時期に母が亡くなるという事を想像すらしていなかったので、この唐突に起きた大きな出来事は、家族全員が数年間、母の不在に悲しみ、苦しんだ出来事でした。

子どもとして親に何も返せていないような罪悪感と、保護してくれる人のいなくなった不安と、母のしていた役割を皆が負担することだけでも当時の私たち家族にはとても大変なことでした。

それは、物理的に大変という事ではなく、こんなに仕事を任せてしまっていたという罪悪感と、何をやっても母と同じクオリティにならないという絶望感に襲われながら家事をこなすという事がとても大変だったのです。

そうして母を失った悲しみは数年にわたり、家族全体が何年も元気を失っていました。

そしてそれは、母も同じ時間だけ、未来を唐突に失った苦しみ、子どもを置いていく無念さ、愛する父との別れ、あらゆる悲しみを抱えていて、成仏できていませんでした。

家族の悲しみは繋がりを持ち、共鳴し合い、すべて同時に起きています。
当時の私たちは、そして天へと還るはずだった母も、ただ静かにこの大きな痛みを伴う時間が過ぎ去っていくのを待つことしかできなかったのでした。


それから長い月日が過ぎ、家族が母の死を穏やかに受け入れ、母のいない世界で生きる事にも慣れ、それぞれの人生を生きている頃。あの震災が起き、今度は祖母がその年の夏に脳梗塞になりました。

ろれつが回らなくなった時点ですぐ病院に連れて行ったので、命は取り留めましたが、当時、祖母は95歳。私はこの人の命の炎がもうすぐ消えていくのだということを理解しました。

母が亡くなってから、家族の母代わりとして存在するだけで元気を与えてくれた祖母です。私はそれから、祖母のためにできることの全てをしようと決めました。

そして半年後、祖母は天に還ることになるのですが、私の努力はその日まで続きました。私は祖母が本当に大好きだったので、祖母の不在は母の死以上の強烈な痛みを伴いました。

私は心のどこかで、こんなに大好きでずっと一緒にいたのだから、絶対自分は祖母を看取れるはずだと思っていましたが、でも実際はそんなことはなく、祖母が天に召される日は何の予兆もなく本当にある日突然来てしまい、私が間に合う事はありませんでした。

別れとはそんな無常なものなのかと理不尽さを不思議に思ったのを覚えています。絶望している私に父は、それは大事な人には死を見せまいとする魂か、天からかの配慮なんだとそう話してくれました。私も、そうならいいなと看取れなかった事を受け入れる事にしました。

祖母は、私が連絡を受けて実家に帰った時には、肉体の方はもうすでに仏壇ある部屋で、仏壇の前で顔布をかけて寝ていました。

祖母の意識は、祖母の部屋のいつもの場所に佇んでいて、私を見ると少しだけ笑い、

「おばあちゃん死んじゃった~。」と、おどけました。

死という出来事をただ受け入れきれず、おどけて見せた祖母を見るなり私は涙がこぼれだし、

「死んじゃったじゃないよ~。」と泣き出しました。

そして祖母も、私が泣き出すと笑顔が穏やかに消えて、これからやってくる永遠のお別れに悲しそうにしていました。私もたくさん悲しみました。

私は時々、高齢で不調の続く祖母をヒーリングしていたので知っていたのですが、半年前に罹った脳梗塞という出来事だけでなく、祖母の弱った身体はもう寿命をとっくに過ぎていて、ただ、早くに母を失った私たちを心配して、置いてはいけないと無理に意志の力で寿命を延ばし、肉体に残っていてくれていたのでした。無意識で必死に母の変わりをしてくれていました。

本来ならもう死んでいる身体。祖母の肉体はもうあちこちに痛みを伴う症状を抱えていて、本当に大変そうでした。ヒーリングをするたびにいつも感謝と悲しい気持ちと申し訳なさの混ざった複雑な気持ちになっていました。

ですが、祖母の死はできる限りのことを尽くしていたせいなのか、祖母が天寿を全うして満足しているせいなのか、母の時のような罪悪感もなく、家族の立ち直りも比較的早かったのでした。

生き尽くし、大切にし尽くすと、お別れもそんなに辛くないのだとそう学びました。本来、人との関りはそうであるのが最善なのは知っているのですが、日常的に意識するのはなかなか難しいものです。ですが、身内の死を以て心から感じると、それは心に深く刻まれた様な感じがしました。

そして祖母も、母のように数年間も悲しむことなく、天寿を全うし、生ききった満足感と、先に亡くなった身内がたくさんいる新しい世界への安心感ですぐに成仏してしまったので、私たちも共鳴するものがなく祖母の死を受け入れることができたようです。

その後、祖母は立ち直りも早く、49日の法事のお返しを父とカタログで探している時に、

「そんな高いものやることない。もったいない!」 

と、突然話しかけてきてきました。そしてその声は霊能力のない父にも聞こえたらしく、一瞬おどろいたような顔をして、

「今、おばあちゃんの声が聞こえた。」と私に言いました。

「そう。今突然そんな高いものいらないって言ってたよ。」

と話すと、母を亡くして深く悲しんでいた父もそう聴こえたと話し、祖母らしいと大笑いでした。少し穏やかな気持ちになり、

「あなたの法事なんだからいいものにしようよ」

と、父と亡くなった祖母と笑ったことを覚えています。

身近な人が亡くなった時、人は悲しみますが、それはいつも亡くなった方と共鳴していて、亡くなった方も同時に悲しんでいます。

よく、亡くなった方の部屋をそのままにするのはよくないといいますが、お互いがそれぞれの方向を向くためには、早めに遺品の整理をするのは決して悪いことではありません。

ただ、手放せないものはとっておいていいのです。その人を想う気持ちは、あなたのものです。遺品はその人と自分を繋ぐ証明のようなもの。それはずっと持っていていいものですし、整理をしたいと思った時がにするのが一番良いと感じます。

ですが、生きている人間が悲しみに執着し過ぎてしまう事は、やはりどうしても成仏の妨げになり、そしてまた、亡くなった方が成仏できていない時、私たちも心にわだかまりや罪悪感を感じます。
そんな時は逆に、遺品整理を始める事で、故人と向き合う時間がつくれるので、それをすることで私たちから手を放してあげるのが良いのかもしれません。

人は必ず、どのような形であれするべきことを終えてから天へと還ります。その人が天に還ったということは、学ぶべきことと、するべきことが全て終了したという、その人の人生において最善のタイミングであり出来事なのです。本来なら、だれも罪悪感は感じなくて良い出来事なのです。

死は、誰にもコントロールされる事のないその人の人生の一部なのです。

続く。

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