霊の話 10 東日本大震災
※閲覧注意 一部震災の描写があります。
私の出身は福島県です。
家は内陸にあるので、震災の時は地震の被害だけで済みました。
実家は平屋だったせいか家電製品が多少壊れる程度でしたが、私のマンションは半壊、家具のほとんどが大破しました。
結婚する数年前に、海にほど近い土地で教職をしていたこともあり、震災の時には海沿いに住む知り合いが亡くなった話や、家が流された話を聞いたりと、震災後は色々と気持ちの落ち込む日々が続いたことを覚えています。
当時、私は何を思ったか、夫と密教の僧侶になるための修行をしている身で、定期的に山に籠り、読経、薪割り、護摩炊きなど一生懸命に修行していた時期でした。
…いや、一生懸命にはしていなかったかもしれません。
そして、震災から数日後、
師が、急遽、震災の弔い供養をするという事でその行事に参加させていただいた時のことです。
客席に人が集まり、ご供養の準備が整いだした頃、私の中には突如、抑えられないほどの悲しみと怒りと苦しさがあふれ出してきました。
!?
私がその地域に縁のある人間だったせいなのか、体質のせいなのか、その弔い供養のエネルギーに引き寄せられた何千人もの亡くなった方々が一斉に私に向かって来はじめました。
普段ならはじくことのできる霊も今回は数が多すぎて無理です。
私は次第に荒れるような悲しみに飲み込まれ始め、気づけば身体は悲しみとショックを抱えた霊に乗っ取られ、弔い供養の会場で大号泣し始めました。
供養会場で大勢の弔問客の前で突如大号泣するあやしい弟子
という猛烈に恥ずかしい事態になった私は、なんとか邪魔にならない目立たない場所へと移動しようとしましたが、自分の力では動くこともできず、次第に私の意識は身体からはじき飛ばされてしまい、幽体離脱状態になりました。
そして、肉体からはじき出された私は、もう自分の力では事態の収束ができない事を悟り、私は修行仲間と夫に身体を預けて肉体に戻るのをしばらく諦めたのでした。
そして、弔い供養に参加するのも諦め、幽体のまましばらく身体が空くのを待っていました。しかし一向に身体は空かず、そして自分の肉体が鼻水を垂らして泣いているのを見続けるのも何となくな気分になった頃、仕方なく震災の起きたほうへと行ってみることにしました。
そこは、沢山の人が訳が分からないといった風情で大混乱を起こしていました。もちろんそれは亡くなった方々のいる領域で起きている事です。
私はあまりにも多い霊の数に呆然としました。
そしてふと、私のもとに来る霊は一体私がどんなに見えるのだろうと自分の肉体のあるほうへと意識を向けました。すると、私がということでなく、おそらく同じ体質の人は全て霊から見て、明るく光っているように見えることが判明しました。
なぜ光って見えるのかはわかりません。ただ、霊からすればあれは何だろうなと思って寄って行ってしまうなと、少し納得することはできました。この世界の仕組みのようなものなのだと感じました。
そして、私はすることがないので、亡くなった方をあの光に向かうと楽になるよと誘導することにしました。
弔い供養に行けば浄化されます。なので、仕方なく、自分の身体を空間をつなげるゲートに使い、霊を誘導したのでした。
ただひたすら、嘆き悲しむ人達を、あそこに行くといいですよ。と誘導し次の世界へと送り続けました。
一瞬、私が教職だった頃の生徒がいたらしく、
「先生?」
という声が、押し流されていく霊の中から一瞬聞こえました。私の中に、霊の感情ではなく、リアルな悲しいという感情が溢れ、幽体でも涙を流せる感覚があるのだと知りました。
私はきっと、ずっと学校でよく雑談をしたあの子の、先生という声とともに私を驚いた表情で見ていた顔を忘れる事はできないだろうと思います。
そして、その後、私の身体は何千もの霊が通過したので、むくみ、慢性疲労、体調不良と陰の気を吸いすぎたために起こる症状にしばらく悩まされるのでした。
続く。