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5Gが実現する“Society 5.0”をもう一度考えてみました 『スマイル』の価値 12頁目

エマが生まれてその笑顔を眼にした時から

ずっと、老いぼれジィジiは『スマイル』の価値について考え続けています。

何故考え続けているのかというと、エマの『スマイル』には価値があるから・・・

としか言いようが無いからです。

今回は、1年以上前にYou Tubeで取り上げた題材をそのままの形で引用して12頁目を書く事にしました。

何故なら11頁に考えたことと1年以上前にYou Tubeで考えたことが妙にシンクロしたからです。

題材のタイトル

《 2020.4.28 JBpressの記事です。タイトル『国家による保護と統制をどこまで許容できるか』

令和版「この国のかたち」、NFI(次世代基盤政策研究所)理事長の森田朗氏によるJBpressの記事からです。

今回は,アフターコロナを考える上で、参考になった記事の内容をお伝えする話です。

まず、記事の抜粋を記します。 》

タイトル『国家による保護と統制をどこまで許容できるか』

5Gが実現する“Society 5.0”を

社会の基本的な仕組みの前提となっていた状況が大きく変わりつつあり、“制度疲労”が顕著になってきたところで生じたのが、今回のコロナ感染症だった。現状にフィットしなくなってきた社会の仕組みは大きく変わらざるを得ず、この変化は元へ戻ることはないだろう。

たとえば、接触を減らすために外出自粛が要請され、企業に対して在宅勤務、テレワークが推奨されている。ICTの導入が遅れている日本では当初戸惑いもあるだろうが、テレワークが定着してくると移動や通勤コストの削減が進むとともに、労働環境や労務管理のあり方も大きく変わらざるを得ない。まさに時間という資源を効率的に使い、生産性の向上に結びつく「働き方改革」が達成できるのではないか。

また、それに伴い航空機、新幹線や都市交通などの交通手段の利用者は減少する。他方、通信サービスは急速に拡大する。そのとき、5Gは現実に“Society 5.0”を実現するためのツールとなるであろう。

1年以上前に老いぼれジィジiが考えてYou Tubeで語ったこと

内閣府の政策HP によると、「Society 5.0」とは、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)であるとしています。

「Society 5.0」の例として、ロボットや自動走行車などの技術で、人の可能性がひろがる社会、という項目がありますので参考までにHP上のイラストを載せました。

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「Society 5.0」という施策概念がどこから生まれたと言えば、平成7年に制定された「科学技術基本法」による、「科学技術基本計画」という基本計画から生まれました。

安倍政権が掲げる「成長戦略」でも日本社会の抱える課題を解決する重要なキーワードになっています。続編で紹介するオンライン診療が具体的な例です。

この記事の題目として、「国家による保護と統制をどこまで許容できるか」とあります。

国家による保護と統制を実施し実現する為には、つまり具体的政策を実行する為には、すべからく、このような基本計画を作ることから始まる事を我々は知らなければなりません。

もう一度 1年以上前の記事に戻ります

話が逸れました。5Gが実現する“Society 5.0”を、という記事を続けます。

こうした社会の変化は、勤務形態に限られるものではない。長期化する休校は、教育のあり方を変える。インターネットを使った遠隔授業が日常化すれば、教室という物理的空間の意義は減少する。インターネットを通して個々の子供たちの学習特性をきめ細かく把握できるようになれば、それは個別に最適化された教育プログラムの提供を可能にするであろう。

そして、ICT教育の進展は、これまで存在しなかった能力をもった人材を多数生み出し、彼らは社会を変え、新たな時代を担うことになる。時空を超えた教育環境の形成は、教育の地域格差の解消にも貢献する。地方に住んでいても、都市圏の名門校で学習することが可能になるからである。

今回は、「この国のかたち」Vol.1-1、5Gが実現する“Society 5.0”という話でした。

(You Tubeの話:完)

エマが生まれた後 老いぼれジィジiの描く『スマイル』の価値

11頁では柄にも無く「α世代」の近未来と称して、具体的なエマの将来を語ってしまいました。

そして、11頁を書き終えて数日後に今書いている12頁の出来事に偶然遭遇しました。

『地方に住んでいても、都市圏の名門校で学習することが可能になるからである』という文面で済めくくったYou Tubeの動画を、**老いぼれジィジi**という呼称も無い頃に私は作っていたのです。

「α世代」の近未来をエマの将来に照らして、都市圏の名門校に通うピッカピカの一年生の如くな11頁の内容を**老いぼれジィジiは、またまた作ってしまった訳です。

実は、この動画における私の趣旨は、『国家による保護と統制を実施し実現する為には、つまり具体的政策を実行する為には、すべからく、このような基本計画を作ることから始まる事を我々は知らなければなりません。』に有りました。

つまり、『国家(⇒政府)』を論じるには国の政策など把握し分析した上で国民は考えるべきですよ、ということが言いたかった訳です。

パンデミックという前代未聞の出来事が起こり、テレビ(特に所謂ひな壇コメンテーター)やSNSの内容に余りにも根拠が無い事が氾濫している事に少なからず反発する気持ちで動画を作ったのですが、どうでも良い事だったと自ら反省しています。

いかにして『正当』な筋道を作り、かつイノベーション(innovation)的発想と行動が出来るようになるか、

都市圏の名門校にエマが入学することは無いですが、老いぼれジィジiにも出来ることはある、毎日考えることはあるはずです。

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