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【小説】私と推しと彼と解釈違い①

  気持ちのいい秋晴れの日だった。だからなんで、よりによってこんな日に、ってあの時は思ったけど。今思えば、それでよかったような気もする。例えば雨の寒い日に、あの別れのことを思い出してしまうとしたら、嫌すぎる。

・・・

「あのね、もう、無理みたい」
「えっ、何が」
「…別れ、たい」
「はぁぁあ? 何それ、なんで」
「……解釈が、違う。しかも、ひろくんの解釈が、私には無理なやつなの」
 驚いた顔の彼の後ろ、大きな窓の外は気持ちのいい晴天。
 言っちゃった。
 まだ言うつもりじゃなかったのに。もっと考えてからにしようって思ってたのに。言いながら、言い終わる前から、もう後悔してた。でも、もう戻れない。私が私を嫌いにならないために、恋より大事なことが、ある気がするから。

・・・

 出会ったのは、気になってたアイドルの生誕ライブだった。SNSで、「初めての子も女の子もぜったい来てほしい!」って繰り返し発信されるのを見て、迷ったけど、行かないと後悔すると思った。はじめて行ったライブハウスは、控え目に言っても、えっ、小さすぎない?っていうのが第一印象。入口もなんかちょっと入りにくいし、チケットを回収してくれる人も、ドリンクを交換してくれる人も、あんまりニコニコしてなくて。なるべく目立たないように、壁の方にポジションを探そうとしたのに、そのあたりは荷物が積みあがるみたいに置かれてて。えっこれ何? 場所取り? どこにいればいいかわからなくて、さっさとドリンクを引き換えてしまったの、失敗したなって思いながら、「おすすめ!」のPOPにつられて頼んでしまったジントニックを、こぼさないように両手で持ち直した。
 はぁ…はやく始まらないかな…。
 ステージ真ん中から後ろ側にあった手すりにもたれて、居心地悪そうに見えないようにしなきゃ…って思い続けるの、疲れるし。落ち着かないし。
 想像はしてたけど…お客さん、男性ばっかりだし。
「あ、あの、すいません」
「えっ…私?」
 右手でスマホをいじりながら、ボコボコした手触りのプラスチックコップを左手に持ってる。そんな瞬間に人に話しかけられるの、慣れてないよー。
 目が合っても、その人は知らない人だった。人違いだと思いますよ、って言いかけたら
「あーあの、もしかして、鈴木小春ちゃんのファンの人ですか?」
「あっはい、そうです」
「あーやっぱり! すいません突然、怪しくないんで、僕」
「はぁ…」
 思いっきり、これが聞いたことある女ヲタヲタという生き物ですか?? って顔で見てしまった。多分。で、その空気を思いっきり理解されてしまった感じ。
「あのですね、生誕のメッセージカード、集めてて」
「…小春ちゃんの?」
 気まずそうな顔で、男の人は大きなファイルを取り出してきた。
「よかったら協力してほしいんだけど」
 別に変なナンパとかではなかった彼を誤解したのが気まずさ半分、申し訳なさ半分。それに、名刺サイズのメッセージカードと、「ペンもあるから」って24色くらいの色ペンが入ったポーチを差し出すタイミングとか、なんかゆるやかな動きが嫌じゃなかった。だから、お詫びと、ちょっとよく思われたいって気持ちを込めて、頑張って自分なりにキラキラっぽくデコったカードを渡したら、
「女の子少ないから、こういう可愛いのきっと喜んでくれると思う! ほんとありがとう!」
ファイルの最初の方の目立つ場所に入れながら、彼はニコッと笑った。いや別に男だってかわいく書けるように頑張れば?って一瞬思わなくもなかったけど、でも、あまりに開けっぴろげな笑顔だったから。とにかく本当に、推しが喜んでくれたら嬉しい!って気持ちだけなんだろうなっていうのは、理解できて、共感できたから。ほんのちょっとの無神経も、嘘がない人だって感じて。あ、怖くないかも、嫌じゃないかも、この人。って思った。

 気になってたアイドルは、その日の生誕祭で誰よりキラッキラにまぶしくて、物販の時には「推し」になってた。生誕だけあって長いチェキの列だったけど、でも絶対今日は撮らなきゃいけない。渦を巻くように続く行列の中に、彼もいることはちょっと意識したけど、初チェキの緊張感でそれどころじゃなかった。
「はーい、来てくれてありがとう! 初チェキだよね? うれしー。ポーズは?」
「あっ…こはるんポーズで…」
「えー知っててくれるのうれしー」
蕾がひらくように両手を顎の下に置くのが「こはるんポーズ」それは予習してきた。ちゃんと推す気で来たことが、ちゃんと伝わったよ、って、笑顔がぱぁっとさらに広がる感じ。すごい。推しの子って、笑顔で私を幸せにしてくれるんだ。
「あー、あのね?」
チェキにサインを入れながら、推しちゃんは器用に私の目を見てくる。
「前一回、見てくれてたことあったよね?」
「あっ…うん…あの時は通りすがりで…」

今でも鮮明に思い出せる初チェキの時のこと。公園の野外ステージで偶然立ち止まっただけの私を、ふわっとでも憶えてくれてた小春ちゃんの集中力に感動して、誰か、誰かに「すごくない?」って話したくてたまらなくなった。その衝動のまんま、列に並んでる時から、なんとなく近くにいたな~って彼に話しかけたのは、私。
「はぁ…あの子は、アイドルのプロですね…」ってうっとりの溜息が出ちゃう私に、物販列の先頭でイキイキしてる彼女に視線を固定したまま「そうでしょ~、すごいんだよ~こはるんは~」って得意げにドヤ顔してる彼の顔を見て、あ、この人と仲良くなったら楽しそうかも、って思った。自分じゃない誰かのために、こんなに喜んだり、無邪気な顔ができる人が、いい人じゃないはずないって。

 それから、たまにライブで顔を見かけると話すようになって、彼の知り合いにも知り合いが増えて、女子が少ない現場だから、なんか、他のメンバー推しの人からプレゼントとか企画の飾りを相談されたりとか。そんな感じで、会えば毎回飲みに行くようになった…んだったかな?
「そういえば昔は全然苦手だったんだよ、あの子。ファンの顔憶えるの。俺とかはステージから入った方だからそんなに気にならなかったけど、やっぱり憶えてほしいヲタが多いから、なかなか物販列が伸びなくてさ。でもさ、これが凄いと思うんだけど、このままじゃダメだってなったみたいで、毎日ファンの名前をノートに書いて、みんなの特徴とか憶える配信とかやっててさ、そういうのもすぐ辞めちゃう子もいるけど、こはちは1年ずっと続けてさ~」「すごい、こはるん、普通に人として尊敬…」「でしょ~、俺も会社でやろうと思ったもん。取引先メモとか」「え、やってるんですか?」「いや、1週間で挫折」「ひえ~、だめ社会人~!」
 公式ニックネームとは違う愛称で語られる推しのエピソードは楽しくて、自慢だったりしつつも結局自虐で落ちてく会話のテンポも楽しくて、気付けば4つ上の彼に普通にタメ口でダメ出しできるようになって。「好き」とか「付き合おう」なんてないまま、推しの現場全通イコール、いつも一緒が当たり前で…。
 横浜の奥に住んでた私が終電をなくした時に、おいでよーって泊めてくれて。何にもしないまんま、時々泊めてくれる仲良しになって。そういう人なんだーって、ちょっと残念かも?って思ったら不意にキスしてきて。…そういう感じに、なって。
 3回目の腕枕をされてるとき「これって、付き合ってるよね?」って言われて。肝心なところはちゃんとしてくれるタイミングも、自分と合う心地よさがあって、もっと好きになった。
 合鍵をくれて、ゴミ屋敷状態だった部屋をふたりでゲラゲラ笑いながら片づけて、段ボール7箱くらいのCDを、引き取り業者を探して持ち込んで。しばらくその話が飲み会のテッパンになって。
 そんなくだらないことが、あの頃は本当に楽しくて、どんどん楽しくなってくんだ、ってそう思ってた。

つづく