【コンカフェ小説】推し被り殲滅
「別にあたしだって、同担拒否の人完全NGってわけじゃないけど、でもさー」
ちょっと大きくなった真希ちゃんの声が、急に耳に入ってきた。営業前の店内。照明の落ちたすみっこのソファ。それぞれ適当に自分のことをやってるダラダラした時間。強めのワードに興味をひかれたけど、首を突っ込む気にもなれなくて、でも、気になる。なんとなくSNSをチェックしてるだけなんで、私。って風に見えるように、顔の角度はあんまり変えないように、さりげなーくさりげなーく様子をうかがう。
「あー、ねー」
声のボリュームは変わらないと思うけど、意識を向ければ、ちゃんと聞こえる会話。二人とも私のことは全然気にしていなさそうなので、スマホのカモフラージュは放棄して、放置してた烏龍ミルクティナタデココ(甘さ普通、氷少なめ)を飲みながら、それでも一応「なんとなく聞くともなく聞いてます」っぽくなるくらいの角度を探りつつ、二人を眺める。ローテーブル、ソファーのボックス席。ハイチェア、カウンターとの高低差は、私の視線をいい感じに目立たなくしてくれてる、と思う。
同担拒否。私は、わかるな、その気持ち。推し被り、普通に嫌じゃない?
「この距離感で推し被り敵視とかありえんし、そんなんむしろお前が敵だわ!じゃない?」
「あーそれ~」
「しかもあいつ、SNSのプロフィールに“推し被り殲滅”って書いてたからね。まじで敵。ひとりで推し養ってからにしてくれ的な!」
この距離感で、って言いながら両手を軽く広げた真希ちゃん。真希ちゃんはウチのお店のオープニングメンバーで、だから、その分声も大きい。自称サバサバ系キャラで「ウチ下半身ブタだから、カウンターの店が好きなんだよね〜」って言うのが鉄板ネタで…。まぁ、そう言いながら前かがみで谷間アピる感じがどこがサバサバなんだよ??ってにっこりしちゃうけど…。基本仲良くなれるタイプじゃないけど、バイト先の先輩としては嫌いじゃないタイプだなって思ってる。で、そんな真希ちゃんの両手の幅3つ分くらいのカウンター。そこに半分身体を預けて頬杖をつきながら、スマホから目を離さずに大きく頷くゆりあちゃん。
カウンターの内側の真希ちゃんは、飲み干したオレンジジュースのグラスを洗い場に置いて、変な体勢で(しゃがんで顎だけカウンターに乗せるみたいな感じ)不満げな言葉は続く。
「それならそれで、マンツーになってくれる店とか行けばよくない? 独占したいとかなら。ある程度みんなで飲んだり喋ったりしましょうね~って、こういう場所のお約束っていうかさ」
「あ~、ね、規模感考えてほしいなみたいなの」
ヒートアップしていく真希ちゃんの言葉を、だるっとしたゆりあちゃんがだるっと遮って、形のいい唇をちゅんと尖らせる。
「ウチ達にそんなに多くを求めないでほしいよね。手伝いますから、最後は自分の機嫌は自分で取ってくださいって思う~。大人同士さ、いい感じにお酒飲んで楽しくなってほしいよね~。そうそう、ホントに楽しんでる?みたいなこと言われるのまじ困る。テンション一生懸命上げてるのにー」
「そ!れ! わかる、わかるよ、実際遊びみたいな気分の時もあるけど、そもそも仕事だっちゅーの、って思うよね!」
「ね~」
キレイな顔に圧倒的省エネエンジン。いつもそんなに長く喋らないゆりあちゃんが話す“多くを求めないで”に、私も思わず聞き入ったけど、なんとなくゴールはないまんま、2人の間ではいい感じになってしまったみたいで、そのまま会話は途切れた。
秋葉原駅のまぁまぁ近くだけど、ちょっと地味な感じの中華料理屋さんの2階。隣と上のお店はスナック。カウンター8席、4人テーブルが2つ。さっきの真希ちゃんの「この距離感」の手の広さ、8つ分くらいでおさまる(小さいってこと)奥行きのお店。「メイドカフェ」って言葉はついてるけど、別にお帰りなさいも言わないし、なんならメイド服も着たり着なかったりな感じ。
お客さんも秋葉原ど真ん中っていうより、どっちかって言うと神田とか浅草橋方面のサラリーマンが仕事帰りにゆるっと飲みにくる感じで、たまにカラオケが稼働しても、ミスチルとか前々前世とかそんな感じが多くて。だから、いわゆるガチ恋?っていうか、んー…恋愛とはちょっと違うか、ガチメイド?っぽいルールみたいなのが好きな人っていうのも、あんまりいないお店だと思う。基本的には。
「あ~。そろそろ着替えよっかな~」
スマホを充電しながら操作しながら、長い髪をコテで巻きながらトッポを食べていたゆりあちゃんがゆらりと立ち上がって、更衣室に向かう。私もそろそろ、準備しなきゃ。
「ねぇねぇ、さっちゃんはどうよ、一番の被害者じゃん?」
ジュっ…
真希ちゃんと入れ替わりにカウンターの中に入って、別に強制とかではないんだけど、なんとなく自分が担当みたいになっている「手作りおつまみ」の卵焼きを作りかけた微妙な間の悪さで、さっきのゆりあちゃんのポジションから、真希ちゃんが話しかけてきた。更衣室に行ったゆりあちゃんは、私服にニーハイだけ装着して一回戻ってきて、スマホをケーブルごと持っていったから、多分まだ戻ってこないっぽい。
「ん~?」
真希ちゃんはヒマかもしんないけど、私はヒマじゃないんだけどな…。
ちょっと面倒だけど、人間関係こじらすのはもっと面倒だから、卵焼きに集中しててゴメンねっぽい感じを意識しつつ、とりあえず相槌は返す。
「えー、そんなことないよ」
「いやいやあるある、あるよ~。だってさっちゃん推しだったお客さん、最近減ってない?」
「んー…たまたま、じゃないかな…」
ちょうど卵をひっくり返すタイミングと、返事のタイミングが被ってくれたので、手元を見ながら返事しても、不自然じゃない、よね。
「絶対そうだよ! あの人来てから、お店の空気悪くなったもん」
…絶対って、ぜったいかぁ…。その心の強さ、羨ましい。
「なんかさ、この前さっちゃんが当欠した日にも来てたんだけど、知ってる?」
「えー、あ、聞いたかも、あんまり詳しくは聞いてないけど」
本当は、詳しく聞いた。この前偶然会って、お茶して、俺もう店には行きたくないんだけど、って話と一緒に。
言っちゃいけない言葉を心の中で返しながら、会話の流れを察したけど、なんとか回避できないかな~、ゆりあちゃん戻ってこないかな~って思いながら、卵液の最後を一生懸命ボウルから掻き出してみた。残り、一滴。
「その日あたしがファーストドリンク出したんだけど、なんか、『今日は君が僕の担当?』とか言われてさ、いや担当とかないから、ってなるじゃん。まぁでも一応こっちも『そういうことになりますね~』みたいに合わせてたんだけど、そしたら、あ、ちょうどその日けっこうヒマで、なんだかんだけっこう喋って、カフェパよりモエの方が普通に味が好き、みたいなこと言ったら、普通に『じゃ入れてよ』って言われてさ、あっ、ごめん」
まな板の上の卵焼きにうっかり触れてしまって、反射的に指をひっこめた、その一瞬遅れで、真希ちゃんの「ごめん」が聞こえた。思わず歪んでしまった顔は、話の内容とは関係ないのに。
「あ、ううん、熱かっただけ、いいよ全然、それでそれで?」
自分のタイミングの悪さにげんなりしながら、一生懸命明るい声を出す。嫌じゃない感出そうと思ったら、興味ある感出すしかないじゃん?
「んー、ほんと別にねだったとかじゃないからね? 一応。…で、なんかこっちも悪いなって思って、いいんですか~とか言ってたら、それが気に食わなかったみたいで。『いいって言ってるんだから喜べばいいじゃん』みたいな」
あー…割と普通に想像できる。明るくて元気で強い真希ちゃんは、人と仲良くなるのも上手だから。そういうのが上手じゃない人と話すのは、そんなに上手じゃない。
「なんかそれでちょっと怖くなっちゃって、それは私も良くなかったかもだけど、『えー、でももっと普通におしゃべりしてからでもいいですよ~、特別な時でも』って微妙に逃げ入ってたら、『喜ばせたくて言ってるんだから、喜ばないのは失礼だし、ありえない』とか言われて、そしたらさ」
そしたらさ、で真希ちゃんは言葉を切った。半分大げさ、半分本気っぽい泣きべそ顔で、さー、の音をしばらく伸ばす。
どう考えても、ここからハッピーエンドにはならなそうな話をこのまま聞くのも嫌だけど、かといってどうしようもなくて、私はただ聞くしかない。まだ温かい卵焼きをジップロックコンテナーに入れて、湯気が逃げるように、蓋をずらして乗せても、まだ少し長い溜め。
「…佐々木さんが、多分フォローしようとしてくれたんだけど、ドリンク入れてくれて、で、一瞬私が外したら、なんかもう会計してた」
佐々木さんは、よく来てくれる常連さんの一人で、近所の不動産屋さんで、このお店も佐々木さんのところの物件だって聞いてる。ぽっこり大きなお腹の、いつもニコニコしたおじさん。そんなにお金も使わないけど、飲み方がキレイで深入りしなくて、抜群に安定感があるお客さん。時々新規も連れて来てくれるし、冗談でみんなで「うちのお店の広報部長さん」とか言ってる。そっか、佐々木さん。佐々木さんが噛むなら、予想していたよりずっと平穏なエンディングに落ちそうな気が。
「で、一応行くじゃん?お見送り。流れ的に」
と思ったら、真希ちゃんの話はまだ続いた。
「別に行きたくなかったけど、まぁ見送るだけだしって思ったら、『次は話さなくていいよ。あのお客さん優先したげて。俺、推し被り無理だから』だって!」
多分、限りなく完璧な再現度で、真希ちゃんが口を尖らせながらあのお客さんの言葉を教えてくれる。バンバンバン!と一方的に殴られるカウンター。並んだフィギュアがカタカタ揺れる。
あー…言いそう、そのくらいは。
「なんかさー、言い方!って感じで。まぁ、私もうまくない接客だったところはあると思うけど、でもさー! 佐々木さんも、別に気ぃ遣わなくていいのに、私が席外した時、あの人に多分ちょっと話しかけたっぽいんだよね。まぁまぁみんなで楽しく飲みましょうよ的な? 別に、それが気に食わなかったのは私のせいじゃないからいいんだけどー。で、とにかくだから、こんな狭い店でそれ言う!?っていうのはあるでしょ、普通に」
自分の言葉にどんどんテンション上がっていく真希ちゃんは、多分カウンターより強く叩けるものを探して、店内をきょろきょろ見回した。サッとスツールから滑り降りて、ソファ席のポッチャマを取りに行って、また戻ってきた。いたいけなポッチャマを膝の上でポンポン叩きながら、そのリズムに乗って並ぶ、軽やかにポップな呪詛。
「べつに!ここに!来てって頼んでないし!って思っちゃった。俺の知ってるコンカフェとは違うな~とか言われて。こっちにしてみれば、なんか、あなたもココの常連さんとは違いますね~みたいな。あとなんか、さっきもゆりあちゃんが言ってたんだけどさ~、楽しんでる? 楽しいでしょ!? みたいなことちょいちょい言われるのも厳しいっていうか。いや、楽しければ楽しいけど、わかるけど、楽しいだけじゃないでしょ、普通に仕事なんだからって感じしない? あんな感じで変に気を使われるより、普通に口説かれた方がそれはそれで嫌だけど楽っていうか、ここでは仕事モードじゃなくていいからとか言われて、やったーありがとーってなるかっつーの、友達じゃないし、時給1300円のバイトだっつーの!」
「…あーー、だよね、ほんと」
テンション、上げるべき。わかってはいるけど、苦手なものは、苦手。
こういうノリがいつもうまくやれないけど、でもいつも自分なりには頑張りたくて、でもって今がめっちゃ頑張りどころだっていうのも割とわかる。
「ん、だよ! 真希ちゃん悪くないよ! …ちょっと、アレだよね、あの人」
「えーん、ありがと。さっちゃん推しのお客さんに、ごめん。なんか普通にむかついちゃって、止まんなくなっちゃった」
精一杯テンション上げて、悪くないよ!ってぷんすかすると、ぴえーんの仕草で笑ってくれる真希ちゃん。よかった。
「ほんとお疲れ様、ありがと」
よかった、間違えなかった。ホッとしてお礼を言うと、笑っていた真希ちゃんがスン…と真顔になった。
「…ねぇねぇ、さっちゃんはなんで平気なの?」
私が小皿に出した卵焼きの端っこを、目だけで(いいの?)って確認してからひょいっと口に運んだ真希ちゃんは、さっきまでのテンションの熱さをポイっと放り投げて、いきなりの落差にそれはそれでどうしたらいいかわからないような感じで、上目遣いに聞いてきた。
「ん…、私も別にすごく平気ってわけじゃないけど。……でも、たぶん、あの人もう来ないんじゃないかな」
「あ…そう? そ、そうなんだ~、なんかごめんね!」
言葉を、自分なりに一生懸命選んでたら、なんか変な間が開いちゃって、でもそれが、結果よかったっぽい。真希ちゃんは、(やばっ、聞いちゃいけない感じのやつかも)って顔で、ぶんぶん手を振ってくれた。
「やだ、もうこんな時間だね~! あたしもそろそろ着替えてくる!」
壁の時計を大げさに見上げて、真希ちゃんは5歩で到着するバックヤードに、ダッシュで駆けていった。
ふー。
ひとりになって、ちょっとホッとした気持ちで首を伸ばす。
あの人、嫌われてるな…。
あまりの嫌われっぷりに、ちょっと面白い気持ちになって、フフッと頬が緩む。別に、そんなに悪い人じゃないと思うけど。私は。いつも黒と白の服に、どこで買うのかなって感じのベルト、合皮のボディバック。
キッチンペーパーでグラスを拭きながら、あのお客さんのことを、ちょっと長めに思い出そうとする。でも、お客さんの顔って、会わないとふわっとしてきちゃうな。服装のディティールだけがもやもや膨らんで、形にならないまんま、頭の中に場所をつくった。
私は、嫌いじゃないけどな。推し被り拒否の人って。むしろ、好きかも。
真希ちゃんにはっきりそう言ってみたら、どんな顔するのかな。あーでもあっさり、え~?とか、へぇ~?とか流されそう。で、いないところで「あの子ちょっと変わってない?」とか言われそう。
…まぁ、いっか。そろそろ、開店の時間。
◆
「あ~、今日忙しかったね。お疲れ様!」
「はーい、おつ~!」
「ばいばーい」
「あ、私今日地下鉄だから」
「あっそうなんだ、また明後日ね~」
今日は平日だから、終電前の閉店。まったりかと思いきや意外とお客さんが多くて、ばたばたっと営業は終わった。思い出そうとしてた人の顔は、まだぼやっとしてる。
女の子3人で駅まで歩いて、いつもはホームに行く手前で別れるんだけど、今日は改札に入る前に別行動。いい感じにお互い追及しない距離って、楽でいいよね。
寒くも暑くもない、ちょうどいい感じ。駅前、酔っぱらいの多い公園に入って、あんまり目立たないように端っこでスマホをチェックする。
<駅前のビッグエコーの705号室、入ったよ>
メッセージは、もう20分前に来てた。男の人の「~よ」って、なんかちょっと嫌かも…。微妙に前のめりな感じ、でも、そういうのダサいって思ってるから、軽い感じを演出しました的な?そういうめんどくささが、ほんの一行のメッセージから圧になって押し寄せてくる気がした。まぁでも、一周回ると可愛いかも。この人、私に好かれたいんだな…って思うと、安心できるし、優しくできる。私。
これから会うのに、まだもやもや思い出せないお客さんの顔をイメージしながら、斜め上の赤いカラオケ屋さんの看板を見上げて、くッと気持ちに気合いを入れる。私は、学費を自分で稼いでいる、めちゃ頑張ってる専門学生。実家がいろいろあって、半年分休学してるけど、また学校に戻れるようにお金が必要なんです…、って女の子です。そうなんです。
「ちょっとお久しぶりですね、ありがとうございます」
席に座る前に、できれば気付いてほしいな~って気持ちを込めて、わざとのんびり上着を脱いで、ハンガーにかける。
「なんか申し訳なかったです。ホント、ありがとうございます。すいません」
ここで気付いてくれないと、2回目はないんだけどな…気付いてくれないかな~。ありがとうとすいませんのコンボ決めたんだけどな~。
「…あ、先にこれ。渡しとく。大変だね…。バイト今以上増やしたら、体壊しちゃうでしょ」
やった!
だてにドライアイじゃないぞ、って気持ちで込めた目力が結果を出して、スッと差し出される封筒。この、封筒に入れてくれるっていうのもポイント高い。次につなげたい度、爆上がりだな~。…あ~、こんな感じの顔だった、って毎回思うような、いい意味で真面目そうですねってお顔も、相変わらず、どこで買ったの?ってベルトも、優しい気持ちで可愛いって思えちゃう。お金の余裕は心の余裕。
「この前はほんとびっくりしたけど、こうやってゆっくり話せるのは…いいね」
偶然…って、バレバレですけどね。公開されてるシフトに合わせて、最寄り駅の近くでばったり会うなんて。でも、そういう男の人のいじらしさが、私に余裕をくれる。お店の外で会いたい、って言いだしたのも、そっちですよね? 苦学生の私はどうしてもお金が必要なんですって言ったけど、少しそれを助けてあげる…って言いだしたのは、私じゃない。だから、私はただ無邪気に、あなたに感謝するね。あ、ばったり会った「偶然」にもね。
「ですねー、まさかあんなところで会うなんて! 嬉しかったですよ~。もしかしたら、もう会えないのかなって寂しくなってたんです…私。あ、今日は何時まで大丈夫なんですか?」
テーブルの上に投げ出されたお客さんの手を、ちょっとつついて、嬉しい!のリズムを作る。さっきまでぼやっとしてた顔が、今目の前で3D。私が真っすぐ見れば見るほど、ぶつからない視線。でも、私がちょっとソックスを直したりする束の間、見られてるなってヒリヒリするような熱量。心に余裕があるから、優しくできるけど、でも生身の温度は少し…高くなりすぎないようにしたいし、今日の終わりを決めたさは…普通にあるよね。
「あ、私はごめんなさい、明日が早くて…。でも、2時とかに出たらカズーさん、困っちゃいますよね…?」
やばいやばい、微妙…!って間があきそうになったので、かぶせて都合を押し付ける。
「あ…そうなんだ、そっか、そうなんだ…」
「先に言えば良かったです…。ごめんなさい。今度もっとゆっくりできる時間とか取れるようにしますね…どこか行きたいところとか、ありますか?」
微妙な返事を了解に押し切っちゃってごめんね。楽しい話、しよ?
「あっ、そういえばせっかくだし歌ってくださいよ~! 私、カズ―さんの声、好きなんです。あの、前にお店で歌ってくれた曲、あのあと原曲聞いてみたけど、なんか違うって思っちゃいました〜。カズーさんの声で覚えてるから、コレジャナイ感しかなくて!」
「なにそれ、歌手にひでえ」
「え〜…だから〜、ハイ! 責任とって歌ってくださいよぉー」
「俺にもひどいな〜、まぁいいけど…で、どの曲だったっけ?」
「えっとね…」
一緒にいる時は、一生懸命、楽しくなってもらえるように頑張るから。
自分勝手な私の、自分勝手なルールを発動するけど、私の都合に合わせてくれたら、その分全力でかわいくするよ、欲しい言葉とか、見たい仕草とか、なるべくたくさんあげたいって気持ちは本当。対価の分だけ、満足してもらえるようにしたい。ほんのり心がつながるような夢を、見せてあげたい。だって…そういうことでしょ?こういう関係って。スポンサー…? パパ活…? なんだろ、カスタマー?カス活?…は響きひどすぎだから…、あ。普通に推し活?とかでいいのかな。響きもいい感じだし。
◆
ビュンビュン流れる街並み。タクシーの、タクシーだなって匂いを深く吸って、大きく吐いた。防衛庁の前を過ぎて、抜弁天あたりのホッとする感じ。
推し活。
深夜だし、接客業のテンションで考えたときはいいかなって思った言葉は、あとで考えるとやっぱり微妙だな~。
自分なりにテンション上げて、やりとげた…って気持ちと、なんだかんだ普通に気をつかう相手から解放されて、やっと乗ったタクシーは宇宙。シートベルトしてても、さっきまで手足を引っ張っていた重力はもう感じない。会いたい人に会えると思えば、ふわっと背中が軽くなる。
「お客さん、どこで止めます?」
「あっ、そこの角、信号の手前でも奥でもいいです。そのへんで」
歌舞伎町のど真ん中、深夜3時でも人のいる街。外す、シートベルト。降りる、タクシー。
さすがに少ないけどチラホラいる客引き(秋葉原っぽく言うならお散歩?)の女の子とか、オーバーサイズの服を着た声の大きい外国の人、もうすっかりいい感じに酔いが回ったおじさんたちにぶつからないように、歩きスマホはしない。もう、行く場所は決まってるんだから。
…これは推し活なんかじゃない。
たぶん、さっきのもそういうのとは違う。
お店のお客さんと外で会って、お小遣いをもらうのも。
私が今から好きな人に会うのに、お金を払うのも。
普通に恋だし。そのためならなんでもできるって、それって恋とか愛とか、そういうやつだよね。私だけ見てほしいとか、特別にしてほしいとか、それも恋でしょ。
そんなことを一生懸命考えてるときに、ヘラへラ声をかけられるの、本当にうざい。
「ねぇねぇ、行く店決まってる? 」
視界に入るように目の前で手を振ってくるから、まっすぐ無視もできなくて、
「ちょっとウチにも寄ってってよ~、軽いボーイズバーだからさ」
黒髪短髪、オーバーサイズの白いカットソーに黒い細身のパンツ。私みたいな量産型女子にお似合いでしょ~って感じの、量産型男子に声をかけられるのって、正直同族嫌悪。
「……」
うるさい、ほっといて。そう言ったら負けだから、沈黙だけを返事にする。
「ちょっとだけでいいからさ~、ねぇねぇお姉さん、ホスト? ホスト行ってたらお金続かなくない? うちならもっと気楽に飲めるよ~」
「……」
ぜったい、一言でも口きいたら負け。そんなのはもううんざりするほど経験値があるから、感じ悪い態度を取るのも面倒だけど、ぜったいに愛想なんて見せない。ほんと、どっかいって。
「ねぇねぇ、まだ若いでしょ?10代?はたちなりたてくらい? あんまお金使わなくても遊べる店の方がいいよー若い子は」
「………」
「んだよっ…、そうやって遊んでられるのも、今だけだからな」
しつこい男はまだわちゃわちゃ言っていたけど、ガン無視し続けたらボソッと呪いの言葉をかけられた。
お前もな!!
せっかくのいい気分を邪魔されて、アスファルトを蹴る足に妙な力が入っちゃう。私は、ただムダにお金を使ってるんじゃないし、自分のためだし。彼が頑張れたら、私も頑張れる、それはシンプルなwin-winでしょ。軽い遊びなんて、つまんない。本気だから、本気の人にお金を使いたい。私。
ふーーーー。
ビルの1階、エレベーターホールなのに無駄にキラキラした照明。目的地の一歩手前に、イヤな感じは置いていけるように長ーく息を吐く。ホスト、キャバ、クラブ?ジャンルはよくわかんないけど、夜のお店っぽい凝った横文字のサインが、鏡張りの壁に並ぶ。隙間を覗いて、前髪チェック。鏡に自分の右手が映り込むと、…さっきカラオケでお客さんに握られた時の、湿った感触を思い出しちゃうけど、リペアしたてのネイルはかわいいから、よし。
ねぇ真希ちゃん。優しくできるのは、私だって推し被り殲滅だから。(いつかこの街を焼き払って、最後に彼だけ助けたい)くらい、普通に毎日思ってるんだよね。彼を推す女なんて、全員消えてなくなればいいのに、って。
ポーン
ごくごく普通の音と一緒に、開くエレベーターのドア。
いつかは勝つって決めてるから。今日はまだその日じゃないだけで。
私は、彼のいるフロアのボタンを押した。
これは爆破スイッチ。
いつか、推し被り全員、殲滅ーーー
おわり