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遥かなる九段への道
ある一人の棋士がタイトルの大半を保持している現在、ノンタイトルの「九段」が多い。永世称号を名乗るのは谷川十七世名人のみであり、羽生九段、渡辺九段、佐藤康光九段、森内九段、永瀬九段、豊島九段、佐藤天彦九段……と、有名棋士はみな九段なのではないかと錯覚するほどだ。
しかし、長年将棋界をウォッチしてきた私は言いたい。
九段は特別である。九段と八段の到達難易度は大差である!
広瀬章人九段と山崎隆之九段
2025年2月5日、山崎隆之八段が昇段後250勝目を挙げ、勝数規定により九段となった。43歳という到達年齢に納得はしていないだろうが、勝数規定での昇段としては、実は相当に早い。
昨年度は広瀬章人「8.99段」が、同じく勝数規定による九段昇段を決めた。こちらは36歳で到達。藤井聡太の登場がなければタイトル3期獲得で昇段していたはずとはいえ、ハイペースで規定の250勝を積み上げた。「めちゃくちゃに」早いといってよい。
両者の差は、山崎九段が八段も勝数規定による昇段だったのに対し、広瀬九段は27歳でA級入りし、早々に八段に達していたことが主たる原因である。
広瀬九段に似たペースの棋士として森下卓九段がいる。やはり27歳でA級八段となり、37歳で勝数規定による九段昇段となった。弟子の増田康宏八段も26歳でA級入りしたが、こちらはタイトル獲得による九段昇段を期待したい。
55年組
昭和・平成期に遡って「55年組」の例を見てみよう。南芳一九段、高橋道雄九段、塚田泰明九段、中村修九段、島朗九段はいずれもタイトル獲得経験があり、うち4人はA級在籍年数も長い。
5人の中で最も早く九段に昇段したのが南芳一九段だ。22歳でのA級入り・八段昇段は歴代でも指折りの早さであり、そこから3年でタイトル3期を獲得、25歳で九段となった。タイトル獲得7期、A級在籍9期。
一方、タイトル獲得の早さでは高橋道雄九段が上回る。C級1組在籍の五段・23歳の時点で王位を獲得。初防衛には失敗するものの翌期に奪い返し、次は防衛。26歳にしてタイトル獲得3期に達した。今ならこの時点で九段だが、当時は「タイトル3期を獲得しても、八段に達していなければ九段にはならない」というルールがあり、なんとタイトル5期獲得・B級1組在籍時点でもまだ七段のまま。28歳でA級八段となるが、今度は「昇段は年度内に1回まで」というルールに阻まれる。九段昇段が認められたのは翌年の4月1日、29歳の時であった。
いまはタイトル1期獲得で七段、2期で八段、3期で九段と順に昇段する仕組みであり、年度内に複数回の昇段も可能だが、当時のルールのもとではC級1組脱出に5期も要してしまったのが響いた。タイトル獲得5期、A級在籍13期。
続いて塚田泰明九段。「塚田スペシャル」を駆使して22連勝を達成、「攻め100%」の将棋でブイブイいわせ、23歳でA級八段に到達。以後は勝数を積み重ねて36歳で九段昇段を果たした。タイトル獲得1期、A級在籍7期。
「受ける青春」こと中村修九段の場合、順位戦昇級による昇段はB級2組六段まで。七段昇段は王将獲得を「抜群の成績」と評価されてのものである。八段・九段はいずれも勝数規定の適用となり、九段昇段は45歳のときである。タイトル獲得2期。A級入りはないが、B級1組・2組の在籍が通算41期にも及び、現在もC級1組で奮闘している。
島朗九段は25歳・B級2組六段のときに第1期竜王戦を制して初代竜王に。この竜王獲得が「抜群の成績」と評価されて七段昇段。しかし翌年、羽生善治に竜王位を奪われる。その後何度かタイトル挑戦するも、南、羽生らに敗れて獲得ならず。31歳でA級八段となり、45歳で勝数規定により九段昇段を果たした。タイトル獲得1期、A級在籍9期。
神谷広志八段、脇謙二九段、富岡英作九段
もう少しマニアックなところを掘り下げてみよう。
私が惜しいと思っているのが「28連勝男」神谷広志八段だ。55年組の一人であり、B級1組に6期、B級2組に16期在籍した。現在63歳で棋歴からすれば九段にいて然るべきではないか。しかし以下を見てほしい。
1981年3月 四段
1984年4月 五段(昇降級リーグ3組=現C級1組 昇級)
1989年3月 六段(勝数規定)
1991年3月 B級2組昇級
1997年12月 七段(勝数規定)
1998年3月 B級1組昇級
2014年5月 八段(勝数規定)
勝数規定で昇段した直後に順位戦で昇級している。まったくくかみ合っていない! 結果的に六段以降はすべて勝数規定による昇段で、遠回りをすることになった。それこそ効率が「段違い」である。
いまの規定では六段に120勝、七段に150勝、八段に190勝と計460勝も必要だ。阿部隆九段という五段から九段まですべて勝数規定による昇段(合計810勝)というツワモノもいるが、例外中の例外である。もう1人、中田宏樹八段もすべて勝数規定による昇段で770勝まで積み上げたが、誠に惜しいことに58歳・B級2組在籍のまま亡くなった。直ちに追贈九段としたのは妥当な措置といえよう。
現役中にきっちり九段に届いた例として、脇謙二九段と富岡英作九段を挙げておきたい。この二人は「フリークラス規定」により九段昇段を果たした。冒頭に掲げた昇段規定の中に「※引退棋士・フリークラス棋士については、年数などを加味して昇段することがある」という注記があることにお気づきだろうか。私がこのフリークラス規定による九段昇段を初めて見たのは、田丸昇九段のときである。
2013年4月2日。田丸の当時のブログに「九段昇段おめでとう」のコメントがあった。1日遅れの4月バカと思ったら、将棋連盟HPの片隅に本当に載っていた。九段昇段規定は八段昇段後に250勝。私はまるで不足していたが、フリークラス特別規定で九段の要件を満たしたという。狐につままれた気分だった。
— 田丸 雑学堂 (@NoboruTama0505) April 3, 2024
とはいえ、フリークラス規定による昇段も甘くはなく、勝数の積み上げが欠かせないようだ。
脇謙二九段は22期にわたってB級2組に在籍したB2のヌシであるが、18歳でプロ入りし、C2を3期、C1を1期で抜けている。B2六段に達するまでが早いのである。以後は勝数規定で昇段し、1990年に30歳で七段、2000年に40歳で八段、そして2021年4月・60歳の時にフリークラス規定で九段である。順当ではないか。竜王戦では1組に7期在籍し優勝1回。矢倉「脇システム」で有名。神谷八段とは1歳違い。
富岡英作九段はどうか。角換わり腰掛銀旧同型の決定打「富岡流」で有名な棋士だが、私としては若い頃に順位戦を駆け上がっていった印象が強い。初参加の順位戦C2をいきなり全勝で抜けた後、着実に昇級昇段し27歳でB1七段に達した。これが大きい。以後は勝数規定による昇段で、2002年に38歳で八段、2024年4月・59歳で九段である。順当ではないか。
現八段勢のゆくえ
日本将棋連盟公式サイトの「昇段・キリ数までの勝数」を見ると、九段昇段まで30勝を切っている棋士は糸谷哲郎八段で残り27勝。2014年9月に竜王挑戦で七段、12月に竜王獲得で八段とジャンプアップしたのが大きい。現在36歳で、森下九段・広瀬九段とほぼ同じペースだ。
別の表を見てみよう。「現役棋士一覧」では、現役棋士が段位順に、また各段位の中では先に昇段した順に並べられている。
筆者に近い世代(40代)では、阿久津主税八段が昇段に近そうだ。2014年2月にA級入りを決めて八段昇段、以後の勝数をカウントすると190勝である。今期の好調ぶりも頼もしい。松尾歩八段も2015年8月の八段昇段から170勝をあげ、順調な歩みだ。2021年2月に昇段した「凄八」こと飯島栄治八段は、その後の4年で60勝あまり。残りの棋士人生をかけて250勝を目指すことになる。
最後に、いろいろと検索していたら、九段昇段までの勝数をカウントしたXのポストがあったので、リンクしておく。
日本将棋連盟棋士九段。それは、遥かなる道のりの果てにある尊き地位なのである。
#将棋 八段棋士の勝数規定による九段昇段の
— 大分のヨッシーさん (@Oita443256) February 8, 2025
残数。フリークラスの棋士は除く。多少ズレあり
順位戦は昇降級決定済時、来期。
一番近いのは #糸谷哲郎 八段の27勝。
名人1期・竜王2期・タイトル3期以外だと
勝数規定の九段しかないから…。#近藤誠也 八段は昇段後既に3勝している。 pic.twitter.com/3LRG45RNQp
【2025年2月12日追記】
「九段」に関する記事として、以下のものがある。
歴史的経緯はこの記事が最も詳しいので是非お読みいただきたい。