穴熊を殺す魔法
人を殺す魔法
話題のアニメ「葬送のフリーレン」を我が家でも楽しんでいる。金曜ロードショー枠で一挙放送された冒頭4話はすぐれた作りであったと思う。
なかでも印象的だったのが第3話「人を殺す魔法」だ。
かつて主人公フリーレンたちが手こずり、封印という状態で留め置かれた魔族クヴァール。80年が過ぎ、その封印を解いて決着をつけるエピソードである。
戦いの前夜、フリーレンは弟子フェルンの問いかけに答える(以下ネタバレあり)。
翌日の対決。フリーレンたちは「人を殺す魔法」ゾルトラークを防御してみせて、クヴァールにこう告げた。
なんとも滋味なるエピソード哉。そして将棋ファンは連想せざるを得ない。
穴熊の暴力
「巨人」大山康晴は変幻自在の振り飛車で将棋界を制圧していた。その大山振り飛車を打倒すべく居飛車党が編み出したのが新戦法「居飛車穴熊」である。自玉を固めて一切顧みず猛攻を仕掛けるその理不尽な指し回しは「穴熊の暴力」と恐れられた。
1986年の第44期名人戦。63歳の挑戦者大山康晴に対し、次代の覇者中原誠名人は居飛車穴熊で迎え撃つ。第1局は歴史に残る中原の名局。「堅い・攻めてる・切れない」の必勝条件を揃えて快勝した。
このシリーズは居飛車穴熊を駆使した中原が4勝1敗で防衛を果たす。しかし巨人はただでは転ばない。居飛車穴熊を端攻め一本で攻略した第3局の勝利。これが大山康晴の残した種であった。
穴熊を殺す魔法
その種をある若者が拾い上げる。人目につかない土地にまいて水をやり、ひっそりと大木に育てあげた10年後、振り飛車党の逆襲が本格化する。「藤井システム」の誕生である。
「システム」の名のとおり相手の出方によって攻略法を使い分けるのがこの戦法であるが、その中核をなすのは穴熊を角のにらみと端攻めで直撃する作戦である。
まさに「穴熊を殺す魔法」史上初の貫通魔法。藤井猛は振り飛車をよみがえらせ、竜王戦を三連覇した。
数にまさる居飛車党は藤井システムの攻略法を徹底的に研究した。高橋道雄が、三浦弘行が、深浦康市が、郷田真隆が、丸山忠久が、そして羽生善治が。
正面からの殴り合い、角の直射を避ける「トーチカ」、急戦定跡の再編、素人好みの右四間飛車、果ては居飛車を捨てての相振り飛車まで――
藤井システムを制する簡明な作戦は発見されなかった。しかし居飛車党は、相手がシステムならこちらもシステムとばかりに有力な手順を体系化し、その組み合わせで藤井システムに対抗した。
苦闘の末、藤井システムはついに「穴熊を殺す魔法」から「一般攻撃魔法」として対抗型の定跡に組み込まれたのである。
藤井猛の竜王三連覇から20年が経過した現在でも、藤井システムに対抗するには相当の知識と実戦経験が必要である。藤井システムへの防御は「複雑な術式じゃのう。魔力の消費もさぞつらかろう」といった具合である。
本当のアナグマというものを見せてやりますよ
ここまで居飛車穴熊と藤井システムの攻防について書いてきた。ところでその昔、私は思ったことがある。
「いや、アナグマ攻略といえばダックスフントやろ」
ええー! こんなかわいい生き物に攻略されちゃうの? 「穴熊の暴力」はどこに行ったの? だってこれだよ?
と思ったみなさん。
あなたアナグマを見たことがありますか?
いいでしょう。
私が本当のアナグマってものを見せてやりますよ。
……
なにこれかわいい!
そうなのである。Wikipediaでもご覧なさい。
ヒグマ、ホッキョクグマ、ツキノワグマ、マレーグマ、果てはジャイアントパンダまでがクマ科であるのに対し、アナグマはなんとイタチ科。イタチやカワウソの仲間なのである。
「同じ穴のむじな」「一つ穴のむじな」というときのあの「むじな」あれがアナグマなんですと。
そしてアナグマの得意技は「擬死」すなわち「タヌキ寝入り」「死んだふり」なんだってさ。
形づくりに見せかけてトン死狙うやつじゃん!
「穴熊の暴力」なんて嘘だったんだ!
びっくりである。
OSO18が実は野生を生き抜く力を失った弱いヒグマでしたみたいな話である。マンモスマンは弱いマンモスでしたみたいな話である。
まあしかし。
きっと穴熊は「穴熊」であって「アナグマ」ではないのだ。
そう。冬眠のため穴に入っていく巨大な熊。これが穴熊という戦法のイメージなのである。
以上、脱線を重ねてつまらない話をしてしまった。
気の迷いなのでご容赦願いたい。
なお「居飛車穴熊の元祖は誰か」という話まで遡ると、これは裁判になったことがある。判決文はなかなか興味深いので法学徒は読んでみましょう(東京高判平成12年3月29日判例タイムズ1094号193頁)。
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