罪悪感ビジネス

環境問題にみんなで取り組もう!という動きが近年顕著である。
これはなぜなのか。私なりに考えてみた。

最近の環境問題

記憶に新しいのは
・プラスチックストローの販売、利用減少
・レジ袋有料化
などである。

プラスチック問題とは?プラスチックごみがもたらす影響や家庭でできる取り組みなどを解説|EGR (egmkt.co.jp)

私が子供であった時分は、森林伐採による砂漠化現象が主な環境問題だった記憶がうっすらとあるが
最近では環境問題といえばプラスチックである。
というのも、プラスチックは自然界に放置された場合
微生物等による分解が行われない。
生産者である人間も含め、基本的に生物の体では分解や消化が行えない。

マイクロプラスチック・海洋プラスチック〜数百年も分解されないゴミ。その原因と対策 (yamanashibank.co.jp)

余談だが、人類が滅びたなら建物よりもプラスチックの方が長く地表に残り続けるそうである。

なぜデジタル社会は「持続不可能」なのか:ネットの進化と環境破壊の未来 | ギヨーム・ピトロン, 児玉 しおり |本 | 通販 | Amazon

近年の人類はデジタル化をもてはやしており、環境問題?ITで解決すればいいじゃない。というノリだが
実はデジタル化自体が反エコという不都合な現実も存在する。

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有名な著書、「バカの壁」でも書かれている通り
人類は自分の体から離れたものを掌握することがたいそう苦手である。
故に、デジタル化で環境問題を解決しよう!と無邪気にはしゃいでいる層は人類然としているとも言える。

人類の原罪、環境問題

今の人間は生きているだけで、それなりに環境のリソースを擦り減らしている。
人として誕生した。それだけで環境を破壊しているという罪を背負うことになる。
人の子孫であるというだけで、環境破壊の原罪を背負っているので、贖罪のため環境問題解決に励め。それが環境問題の根源である。

環境問題と聞けば昨今はプラスチックゴミの廃棄だろうが、実は他にもいろいろなものがある。
・森林
森林破壊の原因って?森林破壊を止めるために、今日からできること|WWFジャパン|WWFジャパン

・地球温暖化
地球温暖化とは?温暖化の原因と仕組みを解説 |WWFジャパン

・水質汚染
水質汚染の原因と現状とは? 私たちにもできる対策についてご紹介|でんきナビ|Looopでんき公式サイト (looop-denki.com)

いずれの環境問題も一貫して言えるのは「最終的に人間が(今の利便性を享受して)生きられなくなってしまう」ことだろう。
なので、SDGS「持続可能な開発目標」が掲げられたと言える。

SDGs(エス・ディー・ジーズ)とは? 17の目標ごとの説明、事実と数字 | 国連広報センター (unic.or.jp)

あらゆる環境問題は「人間が今のままで生きられなくなってしまう」ことを最たる問題としているのであり
基本的に、それ以外の事柄は主眼ではないのである。

どれだけ自然環境が汚染されているかのグラフよりも、自分たちの捨てたゴミが生物を死においやってしまったことのほうが、人間には効果的なのだ。
それはSNSの流行により広く知れ渡った。
なので、メディアは勝手にプラスチック片を食べて死んだ野生生物がいたことをセンセーショナルに報道し、「こんなことを繰り返したらいけないよね!プラスチックは捨てないようにしよう!」と呼びかけた。
これには多くの人が注目し、「環境問題に目を向けよう!」という流れが強まった。
可哀想パワーがSNS時代では猛威を振るう。

プラスチック誤食でウミガメなど動物が死亡!海のゴミ問題 (ecotopia.earth)

贖罪がビジネスになる

人間は獣のままであれば「罪悪感」などというものは感じなかっただろう。
「罪悪感」というのは人間社会ならではの感覚だからである。
悪と善、罪と罰、どちらも人間社会にしか存在しない概念である。

世界に15億頭…牛のげっぷは地球温暖化の促進要因、世界が行う対策とは
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202111080000142.html

牛に「私は自然環境を破壊している・・・」という自覚は当然存在しないだろう。
ただ、彼らは生きているだけである。
牛のげっぷが自然を破壊している!と大騒ぎしているのは人間だけだ。
さて、なぜ人間はこんなにも「罪」を血眼で探し、牛のげっぷすら「環境問題だ!」と叫びだすようになったのか。

「環境問題」はカネになる。れっきとしたビジネスだからである。
現に、プラスチック製品が忌避されると同時にリユース可能なものが好まれるようになっている。
エコバッグがその最たる例だ。
そして、プラスチックストローの代わりに紙ストローが流通しているが非常に評判が悪い。
そのため繰り返し使用可能な自前ストローが注目を浴びている。

飲料水メーカーも、使い捨て容器ではなくリユース容器で販売し企業イメージアップを図っている。

そう。「環境問題に取り組んでいますよ」「SDGSに関心の高い企業ですよ」というアピールはイメージアップ戦略として非常に有効なのである。
環境問題は「この便利な社会で利便性を享受するが故に背負わなければいけない罪」なので、それを個人だけにやらせず法人も一緒に背負ってくれるという様は大いに歓迎される。

それだけではない。
カネのため、かつて或いは現在進行形で、表立っては言えないようなことに手を染めている企業も少なくはないだろう。
だがそれは企業・法人という概念がやっているわけではない。
そこで働いている人間が、それと知りつつも企業の未来のためにやっているのである。
「環境問題に取り組む」という贖罪を企業が行うことで、そうした人達の贖いにもなっている。

環境問題との向き合い方

生活する中でそれなりの量のゴミを出し、毎日電気を使い、ガスを使い、水道を使い・・・
ただそれだけで、少しずつ環境のリソースを消費している。
それを知ってしまったら、環境問題を気にしない・なかったことにするというのはあまりメンタルに良くないものとなる。
知ってしまったならば、「自分の出来る範囲」「自分は環境に良いと思っている範囲」で構わないので少しでも「良いと思う行い」をするのが正解である。

もはやたかだかレジ袋有料化だのプラスチックストロー廃止だのでどうにかなるようなレベルの環境問題ではない。
実際、メディアはそれらの効果が如何程であったかという具体的且つ定量的なデータを大々的に発表などしない。
「大衆の期待を裏切り、環境問題に取り組む意思を喪失する」恐れがある情報だからである。

環境問題に取り組む意味。
それは、先進国で利便性の高い生活を享受するが故に、引き受けなければいけない贖罪に粛々と取り組んでいる自分を自覚することにある。
(余談だが、上記記事等に記載されている「消費者の意識を変える」とは消費者たちに、『お前らも環境問題と無関係ではない!』と原罪を背負わせることを綺麗に言い換えた言葉である)
みんなと一緒に、みんなで背負うべき問題を背負っている。
その感覚を持つことで「他人と繋がれる」感覚を得るため、環境問題に取り組む方が良いと私は思っている。

個人主義が蔓延し、コロナ禍で人間関係を断たれ、孤独に苦しむ人達こそ、環境問題への取り組みを通じて人と繋がることが必要だ。
簡単なことで良い。
・ゴミの分別をちゃんとする。
・リサイクルできるゴミはリサイクルに出す。
・ゴミを減らすために、大して必要じゃないものを買わない。
さあ、「贖罪をがんばる人達の輪」に入ろう。

環境問題が1ミリも解決していなくとも、気にしなくて良いのである。
そんなことはハナから無理であることを百も承知で、メディアや政府は「環境問題ガー」と言いビジネスチャンスを創設しているのだ。
当たり前である。人間が生きているだけで環境のリソースは減っていくことが自明の理であるから、プラスチックゴミより牛のげっぷ(メタンガス)より
生きている人間を削減することのほうが間違いなく効果が出るはずである。
・・・もちろん、そんなことが行えるはずもない。
なので人権を擁する国において、環境問題はそもそも人間には解決不可能であるとすらいえる。
環境問題よりも、人間の命のほうが重い。
そう言わざるを得ないのだから。

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