『これまでの28年とこれからの約30年』
2025年5月に土星が牡羊座に動くという。
土星はおおよそ30年で12星座を一巡りし、たった今それは12星座の最後の星座、魚座に位置している。そして、来年2025年5月には12星座の始まりの星座である牡羊座に戻ってくるのだ、と。
これは、来月、12月初めの週末に開催するワークショップ(以下WS)の案内役3人で、そのWSについて対話していたとき、なおっつこと持田直子さんが話してくれたことだった。
それを聞いて、わたしのこれまでの28年間はどんな日々だったのか、思い巡らせてこれをしたためている。
わたしにとってこの28年は、生まれた家族との関わり方、仕事、そして自分の居場所、生きていく世界についての日々だったように感じる。
学生時代はほとんど家に居なかったとはいえ、生まれてからずっと同じ場所で家族と暮らしていたし、大学卒業後に始めた仕事は家業の中で新しい役割を担うものだった。
仕事の内容はわたしにとってとてもやりがいのあるもので、足りないところがいくらでも見つけられてしまい、それをひとつひとつ積むことに懸命に勤しんだ。ほとんどの時間を仕事場で過ごし、仕事をしていない時も仕事場に居た。
我々は子であり親であり家族という共同体の一部同士でありながら、上司と部下であり、家業を執り行う同志的な気持ちもある、そんな関係性で、いつまでもわたしは小さい子供のままのようで、しかし仕事を担う一部のようで起こる矛盾、うまれる齟齬、なんたらかんたら・・・苦笑
三十を過ぎても子供のしつけかのように口煩くされることに辟易し、ある日それについて母に滔滔と語ったこともあった。以来少しその態度は和らいだことを覚えている。無意識だったのだろう。
愛着ある生まれ故郷は同時に、周囲の目を常に感じざるを得ない、被保護者的環境でもあったのだと思う。
こうして振り返りながらも、なんでそこまで?と今のわたしは思うけれど、次第に色濃くなる必死にもがきながら溺れているような感覚と、そこでがんばらなくちゃ、と必死に息つぎしているような感覚、だんだんとそんな状態になっていった。
そしてそれが極まったとき、わたしはそこから出ることになった。
そこを出て別の道を進む、その心情は限りなく心細く頼りなく、保護されていた場所とは違う場所に行くのだという感覚があった。けれどとても軽い。そんな不思議な感覚。
が、これでめでたしめでたし、とはならないのが長い旅と似ているところかもしれない。
わたしは離れる選択をしたにも関わらず、何故か物凄いエネルギーをかつての居場所に注ぎ続けていた。
それはまさに自動的であからさまで、自覚すら出来た。にも関わらず、どうしてもそこに注力することをやめられなかった。
故郷を出ていくことは、大変な罪悪である。そんな感覚が強烈に支配していた。
そんな状態のなか、人を介して触れ、取り組むことになったいくつかの物事や学びの機会と、たくさんの人との出逢いと助けを得て、わたしはその罪悪感の囚われとはさらり別れを告げ、握りしめていた手を緩める事を知った。
その道程は、絡まり一つになっていたわたしではない何かとだんだんと別れていく日々で、身体を自分に取り戻すとき、千回以上も脱皮を繰り返したこととシンクロするような感覚でもある。
生きる環境を、暮らしを、手を動かし体を動かし、一歩一歩小さく自分サイズに進めていくことは、わたしを始めていく土台づくりのような、山へ向かう体力づくりのような、そんな道程だったのかもしれない。
あるいは土台はじつは5合目くらいまで続いていて、今のわたしは少し見晴らしの良い場所を見つけられるのかもしれない。
そして景色を眺め、深く呼吸するとき、わたしは毎日座った故郷の浜を思う。波の音を聴く。
離れ難かった故郷はわたしの中にいつも在り、家族もまた共に在る、そんな風に感じる。
こんな風に思う日が来るんだね。ありがとう道。ありがとう山。ありがとう旅!
人生が、生涯にわたって続く旅の連続だとするならば、わたしたち一人ひとりがそれぞれに自分だけの旅をする。
土星からその旅へのメッセージを受け取って、2025年5月に始まる新しい旅に、さてどんな支度をしていこうか。