人生は辛く苦しいもの。その考えは本当に自分のものか?
タイトルで何となく言いたいことが分かってしまうかもしれませんが、先週のつぶやきで「死のみが苦しみから開放してくれるという思い込み」について書いてから、それは何処から来た考え方なのか気になり始めました。
1.母の思い込みが、行動を通して伝染した説
自分はごく小さい頃、夜に兄と外を歩いていて(何をしていたのかは忘れました)、我儘を言って親を困らせてはいけない、男の子は母親を守ってやらなくてはいけないと説得された記憶があります。
(女は弱いから守ってやらなくては…とか言っていたように思います。兄は中学生の頃から男らしさコンプレックスを持っていたのかも…)
その時から母を助けようとし始めたと記憶しています。
でも幼かったので本当に役に立っていたかどうか怪しいものですが…
そんな事からいつも悩み苦しんでいた母を見て、生きるって大変なことなんだと思ったのかもしれません。
その後大きくなるにつれて、悩みを聞いて助けようとする機会が増えて、世の中は苦痛だらけという認識が無意識に植え付けられたのだろうと思います。
2.仏教の教えから伝染した説
母はよくノイローゼになり寝込んでいたので、メンタル的に苦しくて宗教に興味を持ったのだと思います。
何故かうちには、「天国と地獄」とか「輪廻転生」なんていう絵本や「仏教聖典」がありました。
なので小学校の低学年からそんなものを呼んでいたので、人は生きている限り煩悩に振り回されて苦しんで自滅するというイメージを持っていました。
※ちゃんと学べばそんな事は書かれていないのですが…
3.ゲーム、アニメ、映画の影響
更に、小学校の中盤で引っ越して友達がガラッと変わりました。
それまでは比較的穏やかで文化的な友人が多かったのですが、引っ越してからはお猿のような野蛮な集団の中に放り込まれました。
さらに、なかなか馴染めないでいるといじめが始まりました。
いじめに遭うと無関係の同級生も離れていくので余計孤立して、家に籠って遊ぶようになりました。
この頃はもう、何かを得るためには何かを我慢しなくてはならないという考え方になっていたと思います。
とりあえず我慢から、嫌だから変えるに転換するには
こうして振り返ってみると、人生のスタート地点で我慢することが美徳と説得されてから、努力して勝ち取るよりも我慢を優先するような負のスパイラルが積み重なっているのが分かりました。
高校以降も、何かを得るために何を我慢すれば良いのかという考え方に縛られて、人の顔色を伺う人生を送ってきました。
一時期はマニピュレーターにもなっていました。
また、人の顔色を伺うと都合よく扱われるので、嫌な事が増えて悪循環でした。
結果としてそれが人生は辛いことや苦しいことだらけ、という思い込みの本質だと考えています。
先週の発言から以降、自分は何に違うと感じていて何を変えたいと思っているのかを考えるようになっています。
次々面白い事を思いつくので、辛い、苦しいなんて考えている時間は無くなりました。
嫌だけど変えられていないのは時間が足りない事だけです。
いま一番興味がある事の一つとしては、人付き合いに対してどう向き合えばよいのかという事なので、エレイン・N・アーロン博士の著書「ひといちばい敏感なあなたが人を愛するときーHSP気質と恋愛ー」という本を読んでいます。
登場人物の恋愛観は共感できる点が多いです。また、タイトルは恋愛についての書籍のようですが、同性の親友に対する考え方にも通じる点があります。
HSPの男性が世の中の性差別にさらされると、回避型とよく似た行動をとることも書かれています。
まあ別に失敗したらやり直せば良いのですし!😋
HSPの人でも、そんな気持ちにさせてくれる本です。
読み終えたらまた書きます!