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冬の声に反旗をとれ
今日はとても寒くなった。冬将軍という存在は、どうやら都市伝説ではないらしい。
20年前の冬も、芯まで冷えていた。
その冬、私は、地元新聞社が主催する文学賞に応募した。結婚して1年半ほど経った頃だ。好きな人と結婚して幸せなはずなのに、私は毎日憂鬱だった。それが罪深いことに思えて、誰にも言えなかった。
あの冬に、自分が何を書いて文学賞に出したか、今となってはうすぼんやりとしか思い出せない。鬱屈を原動力に、夜な夜なキーボードに悲しみをぶつけていたことだけは確かだ。
当時、私にとって職場は、ハラスメントの集中砲火を連日浴びに行く場所だった。創作という手段も、タイピングの技術も持っていなかったら、私は間違いなく病んでいた。
「子供はまだ? なんで結婚したの?」
「自分が遊びたいから子供いらないんでしょ」
「子供の作り方、知らないなら教えようか?」
職場でこんなことばかり言われるんだ、と言えば、誰もが「気にするな」と返してきた。誰も私の言語を理解しない星に、ひとりで来てしまったような日々だった。
田舎に住んでいたし、同級生の間でも「女性は寿退社」が主流だった。私も退職したかった。
退職したいと夫に相談したら、その後どうするのかと聞かれて何も言えなかった。作家になりたいなんてことはもちろん、自分が創作をしているなんて、夫に知られたら嫌われると思っていた。オタクだと幻滅されるんじゃないかと思い込んでいた。自分自身、家事もおろそかなのに、という後ろめたさも抱いていた。
ハラスメントなんてものは結局、どこに行ってもつきまとうもの。書くことは秘密の趣味。
そう片付けて、自分の声はしまい込んでおくしかないと思った。それは、今年前半までつづいた。
私は、部署こそ変われど、当時と同じ職場で働いている。理由は違うが、辞めたい気持ちも健在。ハラスメントは、手を替え品を替え、絶滅する気配がない。
私の「作家になりたい気持ち」は、「書く仕事をしようという意志」に成長している。ただ、私もだいぶ大人になったらしい。書きたいけど時間が、とか、何から書いていいのか、とか、それよりやらなきゃいけないことが、とか。やらない言い訳ばかり探して、書きたい気持ちをこじらせる一方である。
思えば、あの冬の私の手には反旗が握られていて、小さな動きながらもそれを翻すことができたのだ。
私は当時住んでいたアパートの最寄りの郵便局に、ひとり、角2封筒に入れた原稿を抱えて行った。みぞれが降っていて、冷たく暗い日曜の午後だった。そのことを、誰にも、夫にも話さなかった。
私は、その文学賞を穫れたら自分の正体を明かし、大手を振って「作家になるので退職します」と言えると思った。勝ち逃げできる、とも思った。とにかく私は退職して、書きたかった。
数カ月後、一次選考通過者と最終選考対象者の氏名が新聞に載った。20名くらいの一時選考通過者の中に、私の名前があった。
受賞には届いてないにしろ、私の声が誰かに受信された証だった。
窓から差し込む朝日で、私は何度も何度もその記事を読んだ。
そして20年が経ち、私はnoteで書くという道を見つけた。
今夏、私は夫に、ようやく自分が「書きたい人だ」ということを告白した。彼は「そうだと思ってた」と言った。雑誌やラジオに時々投稿し、たまに採用されて喜んでいる私を、夫は見守ってくれていたのだ。私は夫を信じられていなかったことを、声には出さずに謝った。
昨冬と比べて、今年の冬将軍は仕事熱心のようだ。今日は特に風が強い。晴れて、曇って、小雨がぱらついて、将軍も師走は忙しいらしい。
私は今日も、ストーブの前でキーボードを鳴らしている。
あの冬には確かに持っていた「反旗」を取り戻す道の途中に、私はいる。
(1527文字)
#モノカキングダム2024