現在書道教室で取り扱っている競書雑誌の課題には、毎月必ず五文字の漢字の手本が載っています。
先月の課題がこちら。
李白の「沙邱城下にて杜甫に寄す」からの一節。
魯酒不可酔
〈日本語訳〉魯の酒は薄くて酔えず
酒を飲んでも、歌を聞いても、君がおらないのはつまらないという、杜甫を思う友情を現す詩。
魯酒不可酔
ここから頭の中に浮かんでくるのは、『荘子』胠篋篇にある「魯酒薄くして邯鄲囲まる」という一文。
「一方に一つの事柄があると、それは思わざるところに影響を及ぼす。」と言う例え。
これらを通して荘子が議論しているのは、「善悪を一貫に考えていかなければならない」ということ。『荘子』には他にもいくつか善悪に関して述べている箇所があり、「本来不動の善悪などはない」「善悪は時の差」と述べています。
ここから私の頭の中で繋がっていくのは正義の問題、よく出てくる「トロッコ問題」です。
この時の正義って一体何でしょう?
今、自分の中にある考えとしては、善悪は時によって変わるからこそ、自分が信じている「善」をやるしかない。
どちらが正義不義か分からないなら、自分が信じている「正義」をやるしかないということ。
幸福な人生を送るためには、他者の視線や評価は気にせず、自分の信じる「善」や「正義」を突き進むしかない。
だからこそ、本当に自分が何をやりたいか、何が好きなのかを知ることって大切なことだと思うんですよね。
でも今の時代はそれが見えづらくなっていると感じます。
「魯の酒は薄くて酔えない」から始まって、頭の中がどうしようもなくなったので、どうしようもないまま書きました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
『荘子』は自分の内面をみつめるのにとても優れた書物だと思います。
訳の分からないことも言いますし、難解な部分もたくさんありますが、これからもちょこちょこ荘周さんのところに遊びに行く予定。
去年12月に東京の展覧会に出品した作品も荘子から。
さて、魯のお酒って本当に薄かったのでしょうかね~。
(青島ビールを思い浮かべている)