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魯の酒は薄くて酔えない、から荘子に至るまでの記録

現在書道教室で取り扱っている競書雑誌の課題には、毎月必ず五文字の漢字の手本が載っています。
先月の課題がこちら。


李白の「沙邱城下にて杜甫に寄す」からの一節。

我來竟何事 我来たるついに何事ぞ
高臥沙邱城 沙邱城に高臥す
城邊有古樹 城辺に古樹有り
日夕連秋聲 日夕秋声連なる
魯酒不可醉 魯酒ろしゅは酔うからず
齊歌空復情 斉歌せいかは空しく復た情あり
思君若汶水 君を思うこと汶水ぶんすいの若く
浩蕩寄南征 浩蕩こうとうとして南に征くに寄す

魯酒不可酔 
〈日本語訳〉魯の酒は薄くて酔えず


酒を飲んでも、歌を聞いても、君がおらないのはつまらないという、杜甫を思う友情を現す詩。



魯酒不可酔 

ここから頭の中に浮かんでくるのは、『荘子』胠篋篇にある「魯酒薄くして邯鄲囲まる」という一文。

「一方に一つの事柄があると、それは思わざるところに影響を及ぼす。」と言う例え。

【原文】
由是觀之、善人不得聖人之道不立、跖不得聖人之道不行、天下之善人少、而不善人多、則聖人之利天下也少、而害天下也多、
故曰、臀竭則齒寒、魯酒薄而邯鄲圍、聖人生而大盜起、掊擊聖人、縦舍盜賊、而天下始治矣、夫川竭而谷虛、丘夷而淵實、聖人已死則大盜不起、天下平而无故矣、聖人不死、大盜不止、雖重聖人而治天下、則是重利盜跖也、

【書き下し文】
是れに由りてこれを観れば、善人も聖人の道を得ざれば立たず、せきも聖人の道を得ざれば行なわれず。天下の善人は少なくして不善人は多ければ、則ち聖人の天下を利するや少なくして、天下を害するや多し。
故に曰わく、脣竭くちびるあ(揚)がれば則ち歯寒く、魯酒薄くして邯鄲囲まると。聖人生まれて大盗起こる。聖人を掊撃ほうげきし、盗賊を縦舎しょうしゃして、而ち天下始めて治まらん。夫れ川きて谷むなしく、広夷おかたいらかにして淵実ふちみつ。聖人已に死すれば、則ち大盗起こらず、天下平かにしてことなからん。聖人死せざれば、大盗止まず。聖人を重んじて天下を治むと雖も、則ち是れ重ねて盗跖を利するなり。

【日本語訳】
この言葉から考えると、善人が聖人の道徳をわがものにしなければ〔善人として〕やっていけないように、 盗跖も聖人の道徳を身につけなければ〔盗跖として〕やっていけないのである。この世界には、善人は少なくて善からぬ人が多いわけだから、つまりは、聖人というものは〔善人を助けて〕世の中を益することが少なく、〔悪人を助けて〕世の中を害することが多いわけだ。〔聖人や知恵が大泥棒のために役立っているというのが、よくわかるだろう。〕
そこで諺にも「唇をそらして挙げる〔のはもともと歯と関係のないことだが、その〕ために歯は寒くなる。魯の酒が薄かった〔のはもともと趙と関係のないことだが、その〕ために趙の都の邯鄲(河北省邯鄲県)が軍隊に包囲された」ということがある。聖人があらわれた〔のはもともと大泥棒を助けるためではなかろうが、その〕ために大泥棒が起こることになった。聖人をたたきのめして泥棒を自由にしてやれば、そこで世界ははじめてよく治まるであろう。いったい川の流れが尽くされると源の谷の水も干上がり、丘が平らかにされると淵の凹みも埋まるものだ。そのように、聖人がいなくなってしまえば、大泥棒も起こらず、世界じゅうが平安無事になるであろう。 聖人がいなくならないと、大泥棒もなくならない。聖人を尊重して世界を治めたところで、それは盗跖にさらに利益を与えることになるだけだ。

金谷治訳注『荘子』


これらを通して荘子が議論しているのは、「善悪を一貫に考えていかなければならない」ということ。『荘子』には他にもいくつか善悪に関して述べている箇所があり、「本来不動の善悪などはない」「善悪は時の差」と述べています。

ここから私の頭の中で繋がっていくのは正義の問題、よく出てくる「トロッコ問題」です。

1.暴走したトロッコの先に5人がいて、そのままトロッコが突っ込むと5人全員が死んでしまう。
2.でも、あなたが路線を切り替えるレバーを引けば、5人の命を助けることができる。
3.しかし、そうすると今度は切り替えた路線の先にいる別の1人にトロッコが突っ込み、本来無関係のはずの人間が1人犠牲になってしまう。

この時の正義って一体何でしょう?


今、自分の中にある考えとしては、善悪は時によって変わるからこそ、自分が信じている「善」をやるしかない。
どちらが正義不義か分からないなら、自分が信じている「正義」をやるしかないということ。

幸福な人生を送るためには、他者の視線や評価は気にせず、自分の信じる「善」や「正義」を突き進むしかない。

だからこそ、本当に自分が何をやりたいか、何が好きなのかを知ることって大切なことだと思うんですよね。
でも今の時代はそれが見えづらくなっていると感じます。


「魯の酒は薄くて酔えない」から始まって、頭の中がどうしようもなくなったので、どうしようもないまま書きました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。

『荘子』は自分の内面をみつめるのにとても優れた書物だと思います。
訳の分からないことも言いますし、難解な部分もたくさんありますが、これからもちょこちょこ荘周さんのところに遊びに行く予定。


去年12月に東京の展覧会に出品した作品も荘子から。



さて、魯のお酒って本当に薄かったのでしょうかね~。
(青島ビールを思い浮かべている)



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