ほんとうは、すこし気になる人とすこし話すだけで嬉しい。その3
すべて終わったんだな。とりあえずは
さっき(11/20日曜日 深夜)Twitter(X)投稿
友達に呼び出された
また嫌な事や不安があったんだろう
ちょっと離れた駅まで急ぐ
着いたら近くの公園へ行こう
今日も昼過ぎに起きて長風呂から上がったらもう夕方。今日は久しぶりにホントの本当にやりたい事ができる気がした。ホントの本当にやりたい事をするには人情を捨てなきゃできないから。まあ、個人や程度による。
相変わらず頭は重苦しいけど昨日お迎えした花が、隣の部屋にいると思うとすこし落ち着いた。重苦しいのに落ち着いている。相変わらずなんだけど。
もう解散だよ
友達はまっすぐ家に帰るって
私は一人どこかで珈琲寄って
酒もいいなと笑っていた
静かに自分へ帰っていく、サヨナラ。嘘ついた。いや、本当の事を言っているつもりでもそれは、友達が横にいるまではというだけで、一人になった後はまた別だよ。ただ、どれも確信してそう思っている。
ふらっとカルディで赤ワインに海外の洒落た(ように見える)お菓子を買った。帰ったらカルボナーラとラタトゥイユを作ろう。そんで食後にこれをつまみながら何か観よう。絶対楽しいよ。
ガタンゴトン・・・
最近しょっちゅう思う
実は周りに誰もいなかったんじゃないか
サヨナラは終わりの言葉じゃない
始まりが無くなった言葉なんだよ
サヨナラと言って思い出に封をしたら
そっと取っておけばいい
閉じた思い出は
当たり前な面で生活に浸透してきて
「一つ一つが君を作ってきたんだよ」
やたらめたら無意識へ響く
本がだんだん黄ばむように
思い出だって古ぼけていく
そうやって体に馴染んでくる
ふっと思い出がよみがえった
瞬間の新鮮さは薄くなって
懐かしさに代わる
始まりを忘れたころ
始まりを問う
「いつから自分はこうなったんだろう」
やっと馴染んできたのに
疑いや違和感を持つんだ
気づかされる出来事が
日々のどこかであったはず
サヨナラは踵を返してつぶやく
始まりを忘れたっていいと
後になって新鮮さを心の内に
取り戻さなければならない気がして
突然不安になったりするんだろう
ただ今はもう十分
それで駄目ということはない
週末に北海道へ遊びに行く。去年の思い出の場所に行きたい。あと、札幌味噌ラーメンとソフトクリーム食べたい。ただ、やりたい事の半分できたらいい。サヨナラと言って自分へまた近づいたならいい。
春あたり、たぶん予知夢を見た。去年そこで出会った人たちと当時の自分がとある部屋から手を振っていた。私は必要とされていなかった。みんな微笑んで手を振っていた。
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