雑誌の中にある世界
「このワンピースにこのカーディガンの組み合わせは無いと思うの。せっかく可愛らしいのにもったいない」
元祖“街角ファッションチェック”といえばファッション評論家のピーコさんであり、その口調やご本人のキャラクターも含め、様々なパロディを演じられるほどに有名でした。
最近でこそ、ご病気のニュースばかりが取り沙汰されますが、現役でご活躍の頃の芯の通ったご発言の数々を、今でもよく覚えています。
なかでも特に印象的だったのは、ある老舗雑誌の周年記念号に寄せられたお祝いの言葉です。
雑誌の発行者たちに祝福を述べた後、ピーコさんは、読者宛てにもメッセージを伝えました。
現物が手元にないため正確ではないものの、大意はこんな感じです。
「愛読者のみなさん。この雑誌がここまで続いてきたのも、あなたたちがいればこそです。
この雑誌は熱心なファンの方が多いと聞きます。好きな雑誌があるのは幸せです。
雑誌というのはひとつの世界で、ある雑誌を好きになるのは、もうひとつの世界を生きることと同じだからです。
自分が何が好きで何に幸せを感じるかを知っている。そんな人は幸せになれます。
これからもこの雑誌を楽しみ、素敵な人生を送ってくださいね」
私が知る限り、こんなお祝いメッセージは他にありません。なんとも心あたたまる、最高の祝辞だと思います。
ピーコさんがどんな方か、その人となりもよくわかります。
けれど、これほど美しい言葉を贈られる幸運な雑誌は、今後はそうないかもしれません。
電子版のニュースサイトが増加するはるか前から、雑誌の数や発行部数は減り続けているからです。
簡単に調べてみても、1960年代に爆発的に増加した雑誌類は、1990年代の終わりにピークを迎え、以来、右肩下がりに減少しています。
つい最近も、大手新聞社発行の歴史ある週刊誌が廃刊したばかりですし、なんだかやたらとあちこちで「長年のご愛読に感謝いたします」という切ないお別れの挨拶を目にするような気がします。
“雑誌大国”日本には、あらゆる年齢性別、趣味趣向をカバーする雑誌があり、本屋さんを覗けば、ピーコさんのおっしゃるように、いくつもの世界が並んでいます。
たとえ自分とは関わりのない世界でも、ただ手に取って眺めたり、意外に気に入った一冊を手にレジに向かったりと、私もこれまでたくさんの楽しみをもらってきました。
雑誌は“世界”であるがゆえに、コミュニティとして閉じたところがあり、その世界の住人でないと驚くような常識や価値観が存在していることもまた、面白さのひとつです。
専門用語のオンパレード、不思議な言説、圧倒的カリスマ性を誇る有名人、用途不明のグッズ販売、特徴的なグラビア、読者の交流ページ。
こういったものにはわくわくします。
動物やバレエや美術など、普段から情報収集している分野だけでなく、その内情を知らない世界であっても、こっそり覗き見ができるのも雑誌ならでは。
たとえば私が好きな雑誌のひとつが『月刊住職』
1974年に刊行された、“仏教界ならびに全宗派すべての住職・寺族のための月刊誌”です。
仏教界のニュース、寺院運営、お寺にまつわる様々な情報が掲載されており、やわらかいエッセイから真剣な考察文まで、掲載される記事も多種多様です。
そこで私が最も興味をひかれるのは読者の質問コーナーで、お坊さんたちの心配や悩みごとが多数掲載されているのです。
それらを読んでいて受ける印象は、お坊さんたちも一般の人たちのような悩みを抱えているんだ、ということです。
“口下手で訪問客と上手く話せない”
“お説法が苦手”
“話が堅すぎてつまらないと言われる”
“もっと皆を笑わせ和ませたい”
人間関係にまつる悩みが、相談の多くを占めています。
各地の仏閣にお邪魔した際、お見かけするお坊さんたちは、冷静沈着かつ柔和、きわめて落ち着いておられます。
衆生の迷いなどとは縁遠いイメージながら、こんなに“普通の人”と変わらない悩みを抱えていらっしゃるとは。
悩める人たちの前では立派に振る舞いながら、いざ自分の悩みとなると誰にも打ち明けられず、頼る人もない。
そんな孤独と辛さ、そのページがそれを共有できる貴重な場となっているのを垣間見て、あれこれと考えさせられました。
他に気になったのは“塔”の販売広告です。
それも三重、四重などの低層から七重の塔など立派な普請のものまで。
塔って買えるんだ。「あなたのお寺にもシンボルを」っていうコピーもすごいな、と少し笑ってしまいます。
もうひとつ希望を言えば、ぜひ読んでみたいのが“デコトラ雑誌”で、最初から最後まで、デコトラ情報一色というから楽しそうです。
数多くの個性あふれる雑誌と、それらが抱える豊かな世界が、これからも世に憚ることを願ってやみません。